私の父方の祖父から聞いた怖い話をしていきます。祖父はずっと
実家のある田舎で農業をしてまして、86歳で亡くなりました。
31年前のことです。亡くなる2日前まで畑に
出てたんですよ。その日、めずらしく夕刻前に戻ってきたので、
私の母が「お早いですね」と言うと、「いやあ、わしとしたことが
陽にあたりすぎたかもしれん。今日は晩飯はいらんて、すぐに寝るわ」
こんなことを言ったそうです。で、翌朝起きてこず、いびきをかいて、
呼びかけても返事もしない。往診の医者が呼ばれたものの、
「今日明日でしょう」と言うだけ。医者の見立てどおり、次の日の
昼に亡くなりました。まあ、大往生と言っていい年齢ですからね。
医者は死因を詳しく調べず、診断書には老衰と書いたんです。

当時は、病院に入院して亡くなるなんてのは、よほどの金持ちだけ
だったそうです。でもね、その亡くなった年、私は高校生で
剣道部だったんですが、祖父と腕相撲をやって勝てなかったんです。
昔の人は頑健だったんですねえ。祖父はよく、「わしに勤め人は
無理だし、一生田畑仕事で暮らしを立ててこられて恵まれていた」
そんなことを言ってましたね。この祖父から、私が子どもの頃に
聞いた話をいくつかお話していきます。祖父がまだ小学生の頃
ですから、もう今からは100年以上前のことですよ。
早朝、祖父は近くの川に仕掛けてあるカニ籠を見にいったんです。
入ってたカニはもちろん家族で食べるんです。洗剤も農薬も
まだなかった時代ですから、泥さえ吐かせれば、

貴重なタンパク源になりました。で、川原に下りてったところ、
同じ土手の草をかき分けて、祖父の家の裏でやはり農家をしてる
40歳ばかりの男が、背中に籠をしょって下りてきました。
その男は祖父とは顔見知りで、ときおり声をかけてもらったり
してたそうです。男は祖父の姿を見ると、笑って「おお、カニ籠か。
たくさん採れたら、うちにも分けてくれ」そう言い、
板の足場のあるところで背中の籠を下ろし、中に入れてた
鎌などの農具を洗い始めました。そのとき、祖父はおや?と思った
そうです。その男の家には、水の出のよい立派な井戸があるのに。
まあでも、その時代は、洗濯板を使って洗濯は川でやってたので、
それ以上怪しむこともなく、下流に行ってカニ籠を上げてみました。

でも、残念ながらカニは入っておらず、タウナギの小さいのがいるだけ。
それを逃し、上流に「カニいながった」と叫ぶと、男はその声が
聞こえなかったように一心に鎌を洗ってる。それだけじゃなく、自分の
両の二の腕も洗い出したんです。その様子を見て、なんだか怖くなった
祖父が帰ろうとすると、男の前の川の水面が、ぼこっと人の頭くらいの
大きさで持ち上がって崩れない。男は、せっかくぬぐった鎌をまた出して、
その水の盛り上がりに何度もふり下ろしていたそうです。祖父はとっとと
退散したんですが、その日の夕刻、町から警察がきて男が逮捕されたんです。
前夜に、妻と二人の子を殺してたんですね。理由は祖父には知らされなかった
そうですが、花街関係のことのようです。それでね、それを聞いて川でのことを
思い返すと、立ち上がった水の固まりは、たしかに3つだったと言ってました。


私が中学生になったばかりの頃ですかねえ。夕飯後、掘りごたつに
入って一杯やっている祖父に、「ねえ、じいちゃん。何か不思議な話を
知ってる?」と聞いてみたんです。そしたら、祖父は目の前にある
テレビをアゴで指し、「あれが出てきた当時は不思議でたまらんかった」
そう言ったんです。まあね、私が物心ついたときにはテレビはもう
ありましたから、別に不思議ってことはないですが、そういうもの
なんだろうなと思いました。なおも、「畑に出てて怖い話とかあった」と
食い下がったんです。そしたら、祖父は酒のコップを置いて、
しばし考えるようにしてましたが、「昔はなあ、狐や狸に化かされたって
話はよく聞いたもんだ。いや、じいちゃんは騙かされたことはねえ。
化かされるのは酔っ払いか、村の困りもんだけだった」

こう答えたんです。困りもんというのは、ちょっと抜けたところのある
村人で、他の住人とつきあいが悪かったり、トラブルを起こしがちな
人のことです。祖父はずっと酒を飲まなかったんですよ。暮らしが
貧しかったせいでしょうが、晩酌をするようになったのは60歳を
過ぎて、祖母が亡くなってからのことです。私が「ないのか」と
残念がると、祖父は「でもな、1回だけ、家の畑にいたとき、
襖を見たことがある」と言い出したんです。「襖? 家の襖のこと?
誰かが畑に捨てたん」聞くと、「いやいや、きちんと立った状態の
襖が、昼寝から覚めたら畑の真ん中にあったんだ」
はい、祖父は夏時分は、畑に出ると暑くなる午後の2時を中心に、
木陰に入って手ぬぐいを顔にかけ、昼寝をしてたんです。

「え、どういうこと」 「いやあ、わからんが、襖が2枚だけ畝の
上にある。もしかしたら宙に浮いてたのかもしれん」 「それで?」
「まず考えたのは狐ら畜生のことだ。わしを化かしに来たのか、
そうはいかんぞ、てな」 「で」 「近くには肥溜めもあるからな、
落とされてはたまらん。だから裏のほうに回った」 「で」
「ところが、わしが抜き足で腰をかがめていくと、それにつれて
襖も向きを変えるんだよ。不思議だろう、必ず襖の正面がわしの
ほうを向いてる」 「それで」 「人を呼ぶことも考えたが、
その間に消えてしまったりすれば、それこそわしが狐に化かされた
という噂が広まるだけだ」 「あ、その襖、どんなのだったん?」
「・・・立派な、高価そうなものではあったが、下卑たところもあった。

ああ、お前には下卑って言ってもわからんか。下品な赤い色で
塗られててな、大きな牡丹の絵柄が描かれてた。
まるで遊郭にでもあるような襖」まあ当時の私は、下卑たという
言葉は知らなくても、遊郭のことはわかりましたので、黙って話の
続きを待ちました。「裏に回れないんでしょうがなく、
鍬を手にして近づいていった。そんときは鉄砲は持ってきて
なかったからな」祖父は狩猟免許を持ってて、冬には野ウサギを
撃ってました。「で」 「そしたら、少しずつ近づくにつれ、
音が聞こえてきた」 「どんな」 「いわゆる歌舞音曲だな。
三味線を弾いて浮かれ踊るような」 「で」 「襖のすぐ前まで
きたら、両手をかけて開けてみたくなったんだよ。

頭がぼうっとしてきてな、ああ、こん中ではずいぶんと楽しいことが
行われてるにちがいねえ。酒と肴がずらりとお膳に並んでるのだろう、
いっぺんだけでも見てみてえ、そう思ったのよ」
「開けたの?」 「いいや、たしかに手はかけた。けどな、
そこまでで踏みとどまった。これはわしの暮らしとはまるで違う
場所だ。そう考えて襖の前から飛び離れ、置いてあった鍬をつかんで
ふり下ろした」 「そしたら?」 「・・・それでな、襖は
消えたんだよ。まあな、そのあとに大きな狸の死骸でも転がってれば
話のオチはつくだろうが、そういうこともなかったな」
「結局、その襖、何だったの?」 「わからん、わからんが、わしは
試されたのだろうよ」 「え、誰に?」 「さあな」

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