俺らの棟梁・・・元棟梁の話なんスけどね。俺ら大工なんス。
棟梁ってのは家の棟と梁って意味で、一番高いとこにある
一番重要な部分なんス。すげえおっかねえ人だったんス。
俺はないけど、叩かれたってやつも何人もいたんス。
ただ、厳しいのは仕事に関してだけで、
それ以外はどんな下請けも公平に扱ってくれたから、
陰に回って悪口言うやつなんていなかったんじゃねえかな。
あと俺らは棟梁の大工時代の頃はわかんないけど、先輩の話だと
すげえ無口で、やっぱりちゃんとした仕事をする人だったって話っス。
特にカンナかけは名人級だったって。そんな人だから棟梁にまでなれたんス。
で、息子さんが2人いるんだけど、どっちもサラリーマンになっちゃって、
大工の跡は継がなかったんすね。
それは棟梁も承知で大学まで出して、むしろ望んでたみたいなんスけど。
だからよく言ってたんス、「この工務店も俺一代限り」って。
ところがね、奥さんが50代でガンで亡くなってすぐ、
60過ぎたあたりからボケが来ちまって、
指図やなんかがおかしくなってきた。息子さんらは
別の土地に出てるんで、それがわかったとたん棟梁を引退させて、
老人ホームに入れちまったんだ。
いや介護施設とかじゃなくて、ウン千万もかかる有料老人ホーム。
だから個室だし、食事もサービスもすごくいいんだけど、
やっぱ孤独だから、専門のリハビリとかがあっても、
ボケが進むのが早かったんじゃないかと思うんスよ。
これでもね、世話になったと思ってるから仲間と何回も面会に行ってるんス。
最初車イスを押されて出てきたときは、驚いたっスよ。
俺らのことがわかんなかったんス。いや、それだけじゃなくてね、
あんだけ厳しく怖かった人の顔に表情がないんス。
目もドローンと曇っちまって、すげえ悲しくなったのを覚えてるっス。
会話も何もできなかったんで、土産を置いて30分くらいで
おいとましたっス。そのときの介護士さんと少し話たんス。
足腰にはまだ力があって自分で歩けるんだけど、心のほうがね、
気力がまったくなくなって、
このままだと寝たきりになってしまうかもしれないって、言ってました。
あとこれは噂なんだけど、息子さんらは忙しいらしく、
月に一回くらいしか行ってないらしいんス。
まあね、あんな反応で顔見ても身内もわかんないんだとしたら、
そういうものかもしれないスね。
それでも俺は2月に一遍くらいの割で面会には行ってたんスよ。
雨降った日とかやることもないし。でね、何回か行くうちに
気がついたんスけど。その老人ホームね、なんか変なんス。
介護士さんの雰囲気が暗くて、メンバーもしょっちゅう入れ替わってるんス。
有料ホームは普通のとこに比べて給料もいいって話も聞くし、
どうしたもんかって思ってたら・・・
これも噂なんスが、どうやら幽霊が出るらしいんス。
いやあ・・・信じたわけじゃないんスけど、
ただこんな話がすぐに耳に入ってくるってあんまりないと思うんス。
だから何事かはあるんじゃないかって。
でね、今年の春のことっス。夕方の7時過ぎ、夕食後に面会に行ったんス。
3ヶ月ぶりくらいスね。そしたら、棟梁の両隣の個室が
空きになってたんスよ。どうやら亡くなったらしいっス。
でもね、有料でも老人ホームってどこも入所希望が溢れてるし、
そもそも、その両隣の人ってボケてもなかったし、
自分で歩けるくらい元気だったんス。ね、なんか嫌な感じっしょ。
幽霊の噂と関係があるのかもとか、ちょっと勘ぐっちゃったんスよ。ホームは
どの部屋もね、電気はケチってないんだけど、なんか薄暗い感じがしたし。
で、いつものようにベッドに体を起こした棟梁と向き合って、
まあこっちが一方的に仕事の話をして、
棟梁はうつろな目をして聞いているって感じだったんスけど、
付いていた介護士さんがちょっと席を外したんスよ。
そしたら棟梁の両手がぶるぶる震え始めて、
急に部屋の蛍光灯がついたり消えたりし始めたんス。
接触のせいだと思って、一回スイッチを切ってまたつけたんス。
そしたら蛍光灯はついたんだけども、棟梁がベッドに起きた体を
横に向けてね、部屋の後ろ側の一隅をじっと見つめてたんス・・・。
そこにね、黒い煙がたまってたんスよ。こう言っても想像つかないと
思うスけど、水にね、黒インクをポタッと垂らしたような感じでぐるぐる
渦まいてたんス。4月だったんで、エアコンは入ってなかったと思うけど、
部屋の中がびっくりするくらい冷えてね。
でね、その煙の中に顔だけ見えたんス。婆さんだと思いましたね。
知らない婆さんが、いかにも憎々しいというように棟梁を見てたんス。
もちろん胆をつぶしたし、介護士さんに知らせに走ろうとしたんスよ。
そのとき、棟梁の手が動いてるのに気がついたんス。
その婆さんをにらみながら、手で俺らには見慣れた仕草を・・・
で、部屋を出て、受け付け前で「棟梁の部屋に行ってください」
と叫んで、自分の車まで走ったんス。
たまたまそのとき、仕事道具持ってきてたんスよ。
もちろん棟梁が現役時代に使ってたようないいもんじゃないけど。
大急ぎで部屋に戻ると、介護士さんが2人、呆然とつっ立って
部屋の隅を見てたんス。霊の黒い煙はますます大きくなって、
その中で婆さんの顔が大きく口を開けて回転してたんス。
でね、俺は棟梁に、持ってきたカンナを手渡したんス。
そしたら、今まで自分の足で立ったとこなんか見たことがなかったのに、
棟梁はベッドの上に立ち上がって、大きな声で「けえれ!」と叫んだんス。
そして手に持ったカンナで、黒煙の中の婆さんの顔をがりりと削った・・・
でっけえ、魂消るような悲鳴があがって、部屋が大きく振動したんス。婆さんの
霊は爆発したように四方に散らばって消えたんスよ。いや嘘じゃねえって。なんならそんときの介護士2人に聞いてみてくださいよ。俺と同んなじこと
言うから。・・・でね、それ以来幽霊は出なくなったらしいスよ。
ホームの皆に感謝されて、棟梁は一躍ヒーローっス。といって、
ボケが治ったわけでもないんスけど、自分で歩く気力は出てきたみたいっス。
面会には行ってるっスよ、もちろん今でもね。尊敬してるっスから。