歴史の研究者です。この間、あるお寺に行って経蔵の古文書を見せて

もらったんです。門外不出の、国宝になっても不思議じゃない秘蔵品でした。
そのとき右目に虫かゴミが入ったみたいで、帰ってもずっとチクチク痛んでました。
それだけじゃなく、視界の隅に何か黒い物が見えるようになってきました。
いつも痛いってわけじゃないし、そんな生活に支障をきたすほどでも

なかったんです。同僚にちょっと話したら、

「それ飛蚊症じゃないか。医者に行ったほうがいいぞ」
と言われました。気になったのでネットで調べたら、こんなふうに出てました。
「視界に糸くずや黒い影、蚊のようなものが見え、
視点を変えるにつれそれが動き回るように感じる。眼科の受診が必要」
で、午後から年次休暇をとって何十年ぶりかで目医者に行ったんです。


今はスゴイ機械があるんですね。ベテランの眼科医がカメラで

わたしの目をのぞき込んで、「ありゃ、これは」と驚きの叫びを発したんです。
不安に思っていると、「これね、当院じゃダメです。紹介状を書きましょう」
そう言って、デスクで手書きしたのを入れた封筒を渡されました。
住所を教えられて行ってみた家は、民家の造りでしたが、

玄関先に2mほどの観音像があり、
さらには「霊能者 高村 ○△」と書かれた小看板まであったんです。
「なんだこれは」と思いながらも呼び鈴を押すと、
和服着流しの小さな爺さんが出てきて、和室に通されました。

爺さんは紹介状を読むと「うんうん、わかりました。

あなた最近お寺さんに行ったでしょう」


「そうです。何でわかるんですか」
「いやあ、この手紙でわかりますから。目医者さんには字の意味は

わからなかったでしょうが」こんなやりとりをしてから、

爺さんは奥へ引っ込んで金属の洗面器に水を張ったものと、
小ぶりな木づちを持ってきたんです。「あなた、悪いのは右目でしたよね。

この洗面器に顔をつっこんで、水中で目を開けてください。
そしたら、わたしがあなたの左後頭部を、この木づちで叩きます」
「ええ!それはちょっと・・・」
「なに軽くですよ。これくらい」爺さんは木づちで私の肩をポンと叩きました。
まったく痛くはなかったので、まあダメ元と考えて

洗面器に顔を突っ込み目を開けました。

スコーンと頭を叩かれ「いってぇー」と叫んで顔をあげました。
「何するんですか!さっきの10倍強く叩いたでしょ!!」

わたしが抗議するのに取り合わず、爺さんは

「あ、出た、出た」と言って洗面器を指さしました。
するとそこには、水の上に墨を流したようになって字が浮かんでたんです。

梵字でした。「あなた、お寺さんに行ったとき、何かの拍子に

これもらってきちゃったんだね。まあ悪い物じゃないから

簡単に出ましたけど。あなたなら、これ意味わかるでしょ?
「ええまあ。えー 『塵垢』 の字義を持つものですね」 「うんそう、だから

わけなく出たんですよ。これが『怨対』やら『諦念』『縛』なんかなら、

なかなかやっかいでした」こんなふうに言われたんですよ。

『梵字』
名称未設定 1

目無
今年の春だね。ワラビ採りに山に行った。なに、そんな高いとこじゃないよ。
午前いっぱい採って、昼飯を食おうと思って頂上まで登った。
そこは草地になってて見晴らしがいいんだ。3つ持ってきた

握り飯のうち2つまで食って、残りは3時にとっておこうと思った。
陽気がよくてね、いい風が吹いてて、ごろっと横になったら寝ちまった。
どんくらい寝たかなあ、肌寒くなってきて起き上がったんだが目が開かなかった。
目が見えないってんじゃない、まぶたが上と下くっついちまってたんだ。
慌ててね、手でひっぺがそうとしたんだが、膠で貼りつけた

みたいになってる。こりゃ困ったと思ったね。
いくら山に慣れてる俺でも、目があかないんじゃどうやっても帰れねえ。
草地だから立ち上がったけども、林に入れば頭を横枝にぶつけるだろうし、


峪に転げ落ちちまうかもしんねえ。途方に暮れていたら、
脇に下ろしてた掌に柔らかい感触があったんだよ。子どもの手だと思った。
俺の親指と人差し指をまとめて握ってる。
それと同時に「おじいさん、こっちだよ」って声が聞こえた。
男の子だったな。でな、不思議に怖いとは思わなかったんだよ。
その子に指をつかまれたまま「頭を下げて」とか「丸太があるよ」

と指図されながら、確かに山を下っていったんだ。
ただね、方向がおかしい、里への道とは違うってことは、
目が見えなくてもわかったよ。で、平地に出て

しばらく行ったら、いつのまにか指をつかんでる感触が消えた。
おそるおそる目をあけてみたら、これがひらいたんだよ。


まわりを見回して驚いたね。山の反対側、隣村の外れだったんだ。
子どもの姿なんてどこにもなく、そのかわりに目の前にお堂があった。
隣村の目無地蔵さんだったんだよ。なに、怖いもんじゃない。
眼病除けのありがたい地蔵さんだが、最近は信心する人が少なくなって

さびれてる。「ははあ」すぐにわかったね。

「こらあ、地蔵さん、俺の握り飯が食いてえんだろう」って。
でな、残ってた飯をお供えして拝んで。
村に戻るまで半日かかったし、せっかく採ったワラビも

どっかになくしちまったけど、まあ功徳を積んだとは思ってるよ。

目目連
営業の帰り、急に土砂降りになったが、念のために傘を

持ってきてたんで助かった。駅へ向かっていると、曲がり角の

側溝のとこで変なことをしてるやつがいた。傘を持ってるのにそれをつぼめて、
ずぶ濡れになりながら側溝の蓋を先っぽでつついてたんだ。
かかわらないようにしようと思って離れて通ったが、

なんとなく横顔に見覚えがある。
さりげなく近づいていったら、やっぱり知ってるやつだった。
俺は大学時代、囲碁部で活動してたんだが、そこの後輩で、
こいつとは団体を組んで戦った仲だった。
「おい、何やってるんだ?」と聞いたら、一瞬、誰かわかないようだったが、
「ああ、先輩、お久しぶりです」と我に返ったように答えた。


「何、そんな蓋つっついてるんだよ。何かいたのか?」
側溝の中をのぞくと、動く物がいるような気もしたが、

暗くてよくわからなかった。
「いやそれが先輩、変なものが見えるんですよ。格子になった部分に」
意味不明だったんで、駅の喫茶で事情を聞いた。
「俺、囲碁はいまだに続けてるんです。でも将棋と違ってできる人が少ないから、
もっぱらネットでオンライン対局です。そこそこ勝てるもんだから

はまってしまって、毎日遅くまでやってたんです。

そしたら、最初はパソコンでした。
画面上の碁盤の目の中に眼が見えるんです。
すんません、なに言ってるかわかんないですね。


本物の二つの眼(まなこ)です。それがたくさんたくさん

・・・自分を睨んでるんですよ」
「・・・・」やっぱりおかしくなってる、と思わざるをえなかった。
「ところがだんだんに、四角がたくさんあるものの中にも

目が見えるようになりました」
「四角は、細長い長方形だと大丈夫なんです。
でも、障子の四角くらい正方形に近くなると、やっぱり目が出てくるんです。
さっきの側溝の蓋も、穴が細いやつじゃなかったから小さな目がいっぱい・・・」
可哀想だがこりゃダメだ、と思った。
「それは幻覚だな。根をつめて見つめてたせいじゃないか」
「でも、囲碁は学生時代のほうが真剣にやってましたよ」


「じゃ、パソコンのせいだ。ディスプレイのバックライトとかが

関係してるんじゃないか。で、そのことを気にするあまり、

今度はパソコン画面以外でも見えるようになった。
そんなとこだろ。いいから医者に行け、心療内科がいいんじゃないか」
こう勧めて別れたんだ。
それから数日後の夜に、アドレス交換した後輩からメールが来た。
内容は「おかげさまで、医者へ行ったら見なくなりました」というもので、
「まあそうだろう、早く直ってよかったじゃないか」と思い、

いいことをした気分になった。
少し仕事をして寝たが、夜中、嫌な夢を見て起きてしまった。
明日は早いんで、ウイスキーでも飲んで寝直そうと思った。


俺はベッドで壁のほうを向いて寝てるんだが、立ち上がって

電気をつけようとした。そのとき、いつも昔の優勝トロフィーとかと

一緒に飾ってる碁盤、部屋がせまいんで

縦にして置いてるんだが、そこに・・・無数の小さな目が光ってたんだよ。
「引っ越してきましたよ、碁を打ちましょう。あなたのほうが強そうだ」
こんな声が聞こえたような気がしたが、後のことは覚えてない。
気がついたら朝になってたんだ。

『目目連』