今回はこういうお題でいきます。
来年になれば、みなさんの多くは初詣に行かれると思いますし、
そこでおみくじを引かれる方もおられるでしょう。今回はそのお話を
したいと思います。おみくじの起源をたどっていけば、
「神託」ということになると思います。

神託とは神の意をうかがうことです。これには大きく二つの方法がありました。
その一つが占いです。3世紀に成立した中国の歴史書『三国志』の中に、
当時、倭国と呼ばれていた日本のことが書かれた「魏志倭人伝」があり、
その中で占いにふれている部分があります。

「其俗 擧事行來 有所云為 輒灼骨而卜 以占吉凶 先告所卜
其辭如令龜法 視火坼占兆」 

占いに用いられたのは鹿の肩甲骨が多かったようです。
これを火で焼いて、できたひび割れによって物事の吉凶を占いました。
また、骨のかわりに亀の甲羅が使われる場合もありました。それから、
「盟神探湯(くがたち)」というものもあり、これは神による審判です。

令龜


釜で沸かした熱湯の中に裁かれる者の手を入れさせ、
正しい者は火傷をせず、罪のある者は大火傷をおうという形で
結果が出るとされていました。神託のもう一つの方法は、
神がシャーマンを依代(よりしろ)として憑依し、
その口を借りてお告げをするという形です。これは託宣とも言います。

さて、これらの神託がおみくじの元になったわけですが、
初期のおみくじは「短籍(たんざく・たんじゃく)」といって、
紙片にいくつか選択する内容を書いて神に捧げ、
祈祷の後に一枚を引いて結果をみるというものでした。

短 籍


『日本書紀』には、斉明天皇の時代、有間皇子が謀反を企て、
その成否を、短籍を引くことによって占ったという記述が出てきます。
また、この方法は人選をする場合にも用いられ、ときの天皇や
幕府の将軍が、くじ引きで決められたこともあったんです。

例えば1428年、室町幕府の将軍、足利義持が急死した後、
京都の石清水八幡宮においてくじ引きが行われ、
それで選ばれたのが第6代将軍の足利義教です。
このことから、足利義教は「くじ将軍」と呼ばれたりもしています。

ここまでお読みになって、「えー、そんな大事なことを
くじで決めるのか、なんていいかげんな!」と思われた方も
おられるでしょうが、それは現代の感覚です。当時は、
くじ引きで物事を決めるのは神の意志をうかがうことであり、

キャプチャ

人間が話し合いなどで決めるよりも、
ずっと公平で正しいと考えられていたんですね。
もし結果に文句を言う者があっても、
「神様が決めたことだから従え」と言い返すことができたわけですね。

さて、おみくじが現在の形に近くなり、
一般庶民も引くことができるようになったのは、
10世紀、比叡山延暦寺の座主を務めた、元三(がんざん)大師が、
「観音みくじ」を考案したことから始まります。

天海大僧正
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観音みくじには、仏教的な漢詩が五言絶句で書かれていたようです。
これはちょっと意外ですね。庶民的なおみくじは、神社ではなく
お寺から始まったんです。さらに、江戸時代初期、天海大僧正が
この観音みくじを改良して、より内容がわかりやすいものになりました。

さて、おみくじは、結果を見た後に境内の木の枝などに結ぶ
習慣があります。これは「結ぶ」が「神様と縁を結ぶ」に通じることから、
江戸時代に始まったようです。結果が悪かったおみくじは木の枝に結び、
よかった場合は持ち帰る、という人もいますが、
これはどちらでもかまわないようです。

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おみくじの結果がよくても悪くても、結んでもいいし
持ち帰ってもいいのです。ただ、家に持ち帰った場合、
後になって処分に困ってしまうこともあります。御札などと同じように、
神社のお焚き上げに持っていかなくてはなりませんが、
最近は、返納するための箱を用意しているところも多くなりました。

さてさて、大吉とか凶などの結果は、引いた人のそのときの状況を
表しているとされます。例えば 凶が出たとして、それが数時間で
終わるのか、何ヶ月も続くのかは、その人の心がけしだいなんです。
ですから、結果だけに一喜一憂せず、おみくじに書かれている内容、
神様からのアドバイスをしっかり読み、生活をあらため、
今後の行動の指針としていくことが大切なんですね。では、このへんで。