ここ

変な題名ですが、今回はこういうお話をしていきます。
カテゴリは妖怪談義に入るでしょうか。さて、1994年の
スタジオジブリ映画に『平成狸合戦ぽんぽこ』というのが
ありました。昭和40年代、多くの狸たちが平和に
暮らしていた多摩丘陵に、多摩ニュータウン開発計画による

山や森の破壊が迫っていた。ある日、多摩の狸たちは
結集し、総会を開いて開発阻止を決議する・・・
だいたいこんな内容でしたね。なかなか面白かったと思います。
人間が社会生活を営んでいるのと同様、

金長狸の像


狸や狐にはそれぞれの社会があり、その一部は人間の領域と
重なっている。「阿波狸合戦」という話があります。
これは江戸時代末期、阿波国(後の徳島県)で起きたという
タヌキたちの大戦争の伝説です。金長狸と六衛門狸を
それぞれの長として争いになった。

この場合、狸たち同士での戦いだったわけですが、人間が
起こした戦争に狸や狐が加わることもあったようです。
どっちの話からいきましょうか。まず狐のほうからにしましょうか。
幕末のことです。1853年、アメリカ、ペリー提督が
率いる艦隊、俗に言う黒船が日本に来航しました。



その後、日本は西洋列強国と次々に条約を結ばせられることに
なりますが、この時期、コレラが大流行します。安政五カ国条約が
結ばれた1858年から3年にわたって全国に蔓延し、
「安政コレラ」と呼ばれました。

江戸だけで10万人が死亡したとされます。この流行は長崎から
始まったので、明らかに外国船が持ち込んだものです。
で、このとき、江戸市中には奇妙な噂が流れたんですね。
どういうものかというと、「千年もぐら」という妖怪が
外国からやってきて、コレラをまき散らしている。

キャプチャaaaad

千年もぐらは、アメリカ狐とも呼ばれました。アメリカ国が
日本を征服する加勢として、アメリカの狐千匹が日本に
やってきたというわけです。で、日本の狐たちが一致団結して
アメリカ狐を追い払おうとします。こんな話が残ってます。

浅草に、木綿屋で下働きをしているフユという女性がいた。
このフユが、木綿屋に仕事に出てまもなく、急に背中や脇腹が
痛みだし家に戻ります。夫の音次郎は知らせを聞いて
すぐ医者を呼び、医者は薬を飲ませようとしますが、フユは
飲もうとせず、かわりに何か食べさせてくれと言う。

黒船
キャプaaasd

変に思った医者がわけを聞くと、ふだんのフユとはまったく
別人のような調子で「自分は薩摩からやってきた狐である。
アメリカに加勢してアメリカ狐がやってくるという話を
聞いたので偵察しに来たのだが、遠路旅してきたので
腹が減って動けなくなり、しかたなくこの女にとり憑いたのだ」

さすがに信じられない内容でしたが、飯を与えるとぺろりと
平らげ、その後、深い眠りに落ちてしまった。目が覚めたときには
もとに戻っていた・・・だいたいこんなお話です。興味深い
ですよね。日本の狐とアメリカ狐の戦争、最終的に
どっちが勝ったんでしょうか。

キャプチャ

次は狸の話です。日露戦争は11904年(明治37年)から
翌年にかけて行われました。この戦争には、日本の狸が
自主的に参加していたんです。香川県高松市の「浄願寺の禿狸」や
愛媛県今治市にいた「梅の木狸」などが一族を率いて
ロシアにまで出征していた。

これも奇妙な話です。狸の戦い方はその化ける能力を活用する
もので、たくさんの狸がいっせいに並んで山を作る。で、
そこにロシア兵の隊が登ってくると一気に山をひっくり返す。
また、狸の軍隊は日本兵とは違う軍服を着ていて、

キャプチャwwwwe

それは赤で、胸に「○に喜の字」の紋章がついていた。
この兵隊は弾があたってもまったく平気でどんどん前進してくる。
さらにこの兵隊を狙撃しようとすると目がくらむ。どうにも
戦いようがない、とロシア将兵の手記に出てくるんだそうです。
なかなか面白いですね。

日露戦争は、ロシア革命もあり、多大な犠牲を出して日本が
なんとか勝ちましたが、十分な賠償がとれなかったこともあり、
国内の不満も高まりました。このとき、従軍していた狸たちも
日本に凱旋し、提灯行列をしたという話も残っています。

日露戦争
キャプチャsderrrrr

ただ、これらの狸や狐は、その40年後の太平洋戦争には
参加しなかったようです。そういう記録は残っていません。
ただし、日本が敗戦し、進駐軍が占領しにくると、
アメリカ兵が夜の街で狸に化かされたといった話はあります。

さてさて、ということで、狸や狐は、たんに人を化かして
面白がっているだけでなく、国の存亡の危機のときには
立ち上がって戦いに出たわけです。ただまあ、人間への協力
だったのかはわかりません。では、今回はこのへんで。