今晩は。私鉄関連の仕事についている山根ともうします。
よろしくお願いします。これから話すのは、僕が小学校の4年と
6年のときのことです。今からはもう20年ほど前の。
本当にあったことか? と聞かれると困ってしまいます。
僕以外には見ていないことですし、証拠のようなものもありません。
子どもが頭の中でこしらえた幻覚かもしれないんです。
ただ、2人の人と2匹のウサギが亡くなってるのは事実です。
まず、そのことをお断りしておきます。当時、僕は北関東の◯県、
◯市に住んでまして、家は規模の大きい造成団地の中にありました。
JRの職員だった父が、そこの建売住宅を買ったんです。引っ越したのは
僕が4歳のときということで、その前の記憶はほとんどありません。

小学校はその団地に付随して建てられたもので、クラスのほとんどの
子が団地の住人でした。たしか1学年4クラスだったので、
けっこう大きいほうですよね。校舎は新しかったですが、コンクリートの
四角い箱のような建物で、あたたかみはあまりなかった気がします。
あ、すみません、話がなかなか前に進まないで。小学校の4年になると、
児童会活動に所属します。全員ではありませんが、〇〇委員会というのに
学級から選ばれて入る子がいるんです。その年の後期、
僕は生物委員というのになりました。仕事は動植物の世話で、
具体的には花壇の水やりや球根掘り、それと校舎の裏手にあるウサギ小屋の
管理です。小屋も新しくて立派でした。広さは畳3枚くらいで、
全面に稲わらが敷いてありました。檻は緑の細い鉄パイプを組んだもの。

ウサギは10匹くらい。全部がオスです。つまり、学校で繁殖することは
ありません。そもそもこのウサギ、団地内にあるショッピングモール内の
ペット屋さんが、何年か前に自分の子どもが通ってたとき、
学校に寄贈してくれたものなんです。格安で手に入るルートがあるらしく、
ウサギの寿命はそれほど長くないですが、少なくなると補充して
くれてました。もしかしたら実験用のものなのかもしれません。
あともう一つ、ウサギ小屋の後ろ側はまばらな林になっていて、
20mくらいでグランドの野球のバックネットに突きあたります。
その林の中に「古墳」と呼ばれていた場所があったんです。そうですね、
直径3mくらいの円形の土盛りで、上には何もなく短い草が生えてました。
戦国時代の武将の墓だって話もあったけど、今から考えれば変ですよね。

柵も何もなかったんですが、それ、生徒の間で、踏むと祟りがあるとも
言われてたんです。いや、全員が知ってたわけじゃなく、女子なんかは、
そんなのがあること自体知らない子も多かったと思います。
僕はやらなかったけど、男子の中にはわざと上にあがるやつもいました。
はっきりした祟りはなかったと思いましたが、このことが、この後の話に
何らかの関係はあるんじゃないかと考えてます。
それで、生物委員会では2人組になって仕事をするんですけど、
僕が組になったのは樹生っていう隣のクラスの委員で、男子同士でペアに
なるんです。仕事は、朝学校に来たら始業までにホースで花壇の
水やりをします。それと、ウサギの餌と水やり。放課後は、フンなどで
汚くなった稲わらの取り替えですね。大変なことはなかったです。

というのは、山田さんという校務員さん、当時はまだ用務員さんと
言ってた気がしますが、その人が餌や替えの稲わらを全部用意して
くれてたからです。汚れたわらも、指定された場所に積んでおくと
片づけてくれました。山田さんは50歳くらいで、体の大きな人だったけど、
生徒にはすごく優しく、言葉も丁寧でした。樹生とは、それまで口を
きいたことがなかったんですが、すぐに仲良くなったんです。
家も比較的近いことがわかったので、放課後よく遊ぶようになって、
僕の誕生会のときには違うクラスだけど家に呼んだんです。
で、あれは10月のことでした。その日の朝、委員会の当番だったので
外で樹生を待ってたら、時間になっても来なかったんです。
しかたなく一人で仕事をしました。学校に入って隣のクラスをのぞいたら

先生がいたんで、樹生はどうしたか聞きました。そしたら、
親戚に不幸があってお休みの連絡が入ってるって言われました。
放課後になって委員会に顔を出したら、担当の先生が、樹生は休みだから、
誰か手伝いをつけようかって言ったけど、一人で大丈夫ですと答え、
鍵を借りてウサギ小屋に行ったんです。中に入り、餌の食べ残しを
容器ごと外に出しました。それから熊手で稲わらを集めてると、
「おーい」って声がしました。檻の外に樹生がいたんです。
「え、お前、休みじゃなかったのか」 「早く終わったんで学校に来た。
手伝うよ」こう言ったんで、「そうか、じゃ、俺、水捨ててくるから、
樹生は稲わらやっててくれ」外に出て樹生に鍵を渡したんです。
そのときは・・・特に変わりない いつもの樹生だと思ったんですが・・・

僕が外の水飲み場から戻ってくると、樹生が中から檻の鉄棒を片手で
つかんでグラグラ揺すってました。囚人の真似をしてふざけてると思って、
「やめろよ、壊れるぞ」って言いました。樹生は歯をむき出して笑い、
「ほらああ」と間のびした声で言って、もう一本の手を後ろから出したら
白いウサギの耳をつかんでたんです。ウサギは弱くて、ちょっと乱暴にすると
死んじゃうので、「おい、やめろ!」と言うと、ますます笑いながら
「ほおらああ」片手でウサギの頭、片手で胴体をつかんで首をぐるりと
ねじったんです。「ゴキキ」って音がはっきり聞こえました。「あー!!!」
叫ぶと、「どうした?」って声が後ろからして、山田さんだと思いました。
「あ、山田さん、中で樹生が」 「誰もいないぞ」 「え!?」
檻の中はひと目で見渡せるんですが、たしかに誰もいなかったんです。

わけがわかりませんでした。樹生がウサギの首を折るのをはっきり
目撃した・・・でも、そうじゃなかったんです。その日の夜、
母親が僕の部屋に入ってきて「大変、お誕生会に来た樹生くん、
事故で亡くなったってニュースでやってる!」って言いました。
急いで居間に下りていくと、親戚の葬儀に行った帰り、父親の運転してた
車が高速で側壁に衝突し、一家四人が死傷・・・亡くなったのは樹生だけ
だったんです。翌日、学校に行くと担任の先生からその話があり、
次の日に全校集会で詳しい説明がありました。その放課後です。生物委員会
担当の先生から呼ばれて、理科室に行くとこんな話をされたんです。
「ウサギが一匹、あのほら、バックネット近くの土盛りの上で死んでるのが
見つかってな、お前の当番のときに逃げ出したりしたか」って。

あの後、山田さんといっしょに作業をして、死んでるウサギはいなかったし、
引数も数えてました。山田さんには、樹生を見たことについて詳しくは話して
なかったんです。樹生の葬式には僕も出ました。翌年、5年生のときは
僕はクラス委員になり、企画委員会というのに所属しました。
これはいろいろ忙しく、剣道のスポ少にも入ったんで樹生のことは
忘れかけてましたが、ウサギ小屋には近づかないようにしていました。
それが、6年生の後期、学級会でまた生物委員に選ばれてしまったんです。
6年生の中でも推薦されて、僕が委員長になりました。仕事内容は
前と変わらなかったんで楽でしたが、ウサギ小屋に近づくのはやっぱり
怖かったです。必ず、ペアになってる生徒といっしょにいました。その子には、
「委員長なのに、なんだかウサギが怖いみたいだね」って笑われました。

で、また10月なんです。放課後というのも同じ。僕が水を捨てて
戻ってくると、カキカキーンという金属音がしてました。檻の鉄の戸が
ズレる音です。樹生のことを思い出しながら小屋を見ると、中に山田さんが
入ってたんです。山田さんはあの日の樹生と同じく歯をむき出しにして笑い、
隅でおびえているウサギの一匹をつかむと、首筋をガッと口に咥えたんです。
ウサギは「キー」という声を上げ、山田さんの両目がぐるんと裏返って
白くなり、「ゴギ」という音がしました。ボタボタとウサギの口から
血がこぼれ、そこまで見て僕は後ろに尻餅をつき、怖くて目をかたく
つむりました。そのとき、「おい、どしたん。ズボン泥だらけだぞ」って
声が聞こえ、目を開けるとウサギ小屋には誰もおらず、ペアの子が驚いた顔を
してたんです。最後まで山田さんは来ず、作業は僕らだけで済ませました。

・・・この後どうなったか、もうおわかりだと思います。僕が学校から
出たとき、救急車のサイレンが近づいてきて、校門に入っていきました。
翌日に聞いたところでは、脚立に登って木の枝を剪っていた山田さんが
誤って転落し、喉から胸の中に深く尖った枝が突き刺さり、
声を出せず地面で血だらけになってたのを生徒の一人が見つけ、
先生方に知らせて救急車が呼ばれた・・・山田さんはその日のうちに
病院で亡くなったということでした。樹生のときも、山田さんのときも、
小屋の中でウサギを殺したのは僕の幻覚なんでしょうか。2人とも
違うところにいたのはたしかです。あと、この後、あの古墳の上で
死んでいるウサギ一匹が発見されました。ウサギの短い毛皮には、
たくさんの噛み跡がついていて、赤白まだらになっていたそうです。