※ これは自分の独自研究ですので、異論ありまくりだと思います。

 

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こういうお題でいきたいと思いますが、これ、正直言って、
一介の市井の占い師には無理なテーマです。ですから、ここで書くことは、
妄想のようなものと考えてもらったほうが気楽ですね。まず、宗教とは

何か? これは、じつにたくさんの要素を内包した幅広い概念です。

みなさんが一般的に考える宗教とはどういうものでしょうか?
神様(キリスト教ならヤハウェ)がいて、経典(聖書)があり、教義(十戒)が

あるものが宗教、そんなふうに考える人が多いような気がします。
ですが、これは一神教的な考え方であり、本来の宗教はもっと多様なものです。

例えば、集団で太鼓を打ち鳴らし、火を焚き、それを囲んで踊り狂い、
トランス状態を得る・・・こういうのも宗教の一つの形態です。
アフリカ大陸や太平洋の島々などには、いまだに残っていますよね。
あと、人間が集団生活を営むようになって、人のものを盗んではいけないなど、
さまざまなルールができてきました。

原始宗教
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これは道徳や法と呼ばれることが多いんですが、始まりは宗教であったと
考えることもできます。日本でも、天つ罪(田を荒らしたりすること)
国つ罪(他者を殺傷したり、近親相姦したりすること)など、
古神道から発生したルールがあります。

で、自分は今回、3つの観点から宗教について考えてみようと思っています。
まずその1つ目は、肉体と霊魂の分離 です。
家族として共同生活していた者が亡くなり、呼びかけても返事をしませんし、
遺体はだんだんに腐敗し、骨となり、やがて土くれと化します。

 



これは厳然たる事実で、肉体は必ず滅びます。しかし、生きていた家族の記憶は、
残された者の中に残っているわけです。では、あの強く優しかった父、
夫はどこへいってしまったのか? 肉体ともに永遠に滅びたのか。
そうは考えたくない。ここで、肉体と霊魂の分離が起きたんだと思います。

肉体は滅しても霊魂は不滅で、別の世界へと旅立った。
それは、あの世、彼岸、霊界、天国などと呼ばれるものなのかもしれません。
そしてそこから、まだ生きている私たちを見守っている。
こういう考え方が、自然発生的に生まれてきたんではないでしょうか。

ちなみに、最古の遺体の埋葬が確認されるのは、約10万年前、
現生人類ではなく、ネアンデルタール人の事例です。
これは副葬品も見つかっているので、たんに遺体を隠すためだけでなく、
なんらかの宗教的な目的があったのではないかとみる学者も多いんです。

花を副葬して遺体の埋葬を行うネアンデルタール人
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2つ目は、道徳的規範 ですね。上でも書きましたが、他人の所有物を盗んだり、
他人のパートナーと姦通したりすれば、争いが起きて集団生活がうまくいきません。
ですから、社会の中にルールが生まれます。では、どうしてルールはあるのか。
ルールを破ったものは、なぜ罰を受けなくてはならないのか。
これも宗教が発生した大きな要因の一つだと思います。

多くの宗教では、ルールは神が定め人間に与えたとされます。
『旧約聖書』で、モーゼが神から十戒を与えられる場面は有名ですよね。
ちなみに、キリスト教以前のユダヤ教には、日常的な事細かな戒律が

ありましたが、モーゼの十戒はそれを極限までシンプルにしたものです。
そして社会のルールは、道徳、法律、理性などと名前を変えて、
現代にもつながっているわけです。

モーゼと契約の石版
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3つ目はの存在です。古代文明といえば、エジプト、メソポタミア、
ギリシアなどですが、はじめはどこも多神教でした。日本でもそうですね。
人間の力が及ばない暴風雨、形のよい山、森の中の巨木、荘厳な滝、
そういったものは古代人により神として崇められ、祀りたてられました。

ご神木
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日本は、まだ多分に多神教の性格を残していますが、
西欧社会は、多神教の上に一神教であるキリスト教が上書きされた
形になっています。これはイスラム社会でも同じです。ですが、
多神教の痕跡は、様々な場面で顔を出すことがあります。

さて、では上記の3つの観点のうち、最も最初にあったのはどれなんでしょう?
時間的な順序に意味があるかどうかわかりませんし、難しいんですが、
自分は考古学的なさまざまな根拠から、1なんじゃないかと考えています。
まず、肉体と霊魂が別であるという概念が持たれるようになった。
2、3の発生はそれに遅れるんじゃないでしょうか。

 

多神教の神々



ところが、多くの宗教では、神を中心に置いていますよね。
死後の霊魂を天国や地獄にふりわけるのが神。行いの善悪を定めたのも神、
それどころか、この世界を創ったのも、人間を生み出したのも神という具合に、
すべてが神中心に収斂し、宗教は社会の中で強い力を持つようになっていった。

さてさて、これには多くの異論があるでしょうし、
自分が書いていることが絶対に正しいとも思いません。また今後、

何らかの確実な証拠が出てくることも期待薄です。このことについては、
いずれ機会を改めて続きを書いてみたいですね。今回はこのへんで。

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