ああ、おばんです。私は山田といって、私鉄会社に勤めてまして、
この間、再雇用を退職したばかりです。いや、今は何もやってません。
気楽な年金生活ですよ。でね、これ、うちの父方の祖父から昔聞いた
話なんです。ですから相当に古いことです。たぶん大正時代とか
そんくらいの。うちのじいちゃんは奈良の山奥のほうの生まれで、
その頃は27,8歳。冬場は出稼ぎに出てたんです。大阪の飯場で
土木作業をやって実家に仕送りをしてた。まだ家庭を持ってない頃の
ことです。じいちゃんが飯場の寮にいると、夜に実家から電報が来た。
当時はもちろん電話なんてなくてね、電報を使うのも何か緊急のときだけ。
じいちゃんは、これは大ごとだろうと思って急いで中を見たら、
「サワトオジ シス ソウギハアスヨル ケツサイシテカエレ」と
あったんです。当時の電報は字数によって料金が違い、これだけの

長文は珍しかったんですよ。サワトオジというのは沢登という名字で、
じいちゃんの父親の弟なんですが、幼い頃に里子に出てたので父親とは
名字が違ってました。年齢は50代の後半だったはず。今でしたら
ずいぶん若い年齢ですが、当時はそうでもなかったでしょう。60歳
前後で亡くなる人が多かった時代です。ですから自然死かと思ったんですが、
電文ではその後にわざわざ、ケツサイという言葉が出ていて、これは
潔斎ということだと思いました。つまり、酒や肉などを食さず、
身を清めて帰ってこい、という意味だと思ったんですね。どういうことか
わかりませんでしたが、じいちゃんはその夜銭湯に行き、生臭物は
食さずに身を慎んだんだそうです。そうして飯場の親方にわけを話し、
2日間休みをもらって翌朝早くの汽車で奈良に帰ったということです。

2時間ほど列車に揺られて実家に戻ると、みなはすでに菩提寺の
ほうへ向かってるようでした。この当時は棺桶屋はあっても葬儀屋はなく、
葬式はお寺で行うのが普通だったんです。で、お寺に行くと葬式の準備は
整ってました。じいちゃんが「あれ、葬式は夜じゃなかったのかい」と聞くと、
父親は「違う、違う。式は昼のうちに済ませてしまって、夜は通夜で
遺骸を囲んで起きてるんだよ」と言いました。「え、だってそれ、
通夜のほうが先だろ、普通」じいちゃんが言うと、「まあ普通はな。
だけど今回は普通じゃねえんだ」 「どうして?」 「あの、唐来山って
お前も知ってるよな」 「ああ、町の西方にある小さな山だろ」 「そうだ。
あそこはな、昔から生き物を殺しちゃいけない決まりになってるんだ。
お前に教えちゃいなかったが、ずっと古くからな」 「どうして?」

「・・・祟るって言われてる。だから町のやつは、誰もあそこで鉄砲撃ちや
罠猟なんてしねえ」 「はあ、知らんかった」 「まあ、あそこはうちからは
かなり離れてるからな。それに国の山だし。わざわざ教える必要もないと
思ったんだよ」 「で、どうして殺生できねえのよ?」 「だから、祟られる
んだって。なぜ祟られるのかは知らんが。だってここ100年以上あの山に
入ったやつはいねえし」 「で、今回は?」 「沢登おじなあ、どうやらあの山に
行ったみたいなんだ。で、家に帰ってくるなりばったり倒れて死んじまった。
その手には獲ったばかりの兎が握られててなあ」 「どうして唐来山に入ったって
わかるんだよ」 「それが見たやつがいるんだ。沢登おじがあの山の登り口で
鉄砲担いで歩いてるのを。まあ、山に入ったとこまでは見てねえんで違うのかも
しれんが。そうだったら助かるがな」 「で、どうするわけ」 「ひと晩中、

遺骸を守れば祟りは終わるそうだ。だからこれから皆でそれをやる」 「夜中に
何が起きるんだ?」 「・・・死んだやつが帰ってくるってことだ。
それを朝まで寺に入れなきゃ祟りは終わる。だからこれからそれをやるんだよ」
「えー、不可思議な話だな。帰ってくるたって、遺骸そのものが寺の中に
あるんだろ」 「詳しいことは和尚しかわからん。ずっとなかったこと
だからな」 そんな会話があって、じいちゃんは葬儀の長い読経に立ち会い、
午後からはお膳を前にしてみなで会食になったんです。酒も出ましたが、
みななめるだけで、深酒をするものはおりませんでした。沢登おじの遺骸は、
棺ではなく、大きな桶に入れられて寺の本堂に置かれてありました。
当時はまだ土葬だったので、その桶ごと墓穴に埋めたんです。そうしてるうちに
日も暮れかかり、和尚は寺の廊下の雨戸を閉め、しっかりと鍵をかけて

その上に真言の御札を貼ったんです。それから、町の主だったものや家族、
総勢15人ほどが棺桶を囲んで輪になって座り、和尚はおよそ1時間おきごとに
棺桶の蓋をずらして中を見ていたんです。もう秋の終わりに近く、広い
寺の中は寒くなってきたので、火鉢が3つほど置かれました。で、だんだんに
夜も更けてきて、12時ころでしょうか。桶の蓋を開けて中を見た和尚が
「あっ! ない」叫んだんです。そして「来るぞ。もうすぐ来る。死せる者が
入ってこようとするから、みなで雨戸を押さえておけ」そう言ったんです。
そして自分は本尊に向き直り、朗々と経を唱えだしました。
で、その途端、ドンドンドンと雨戸が激しく叩かれ、そこの板が強く
たわみました。あわてて近くにいた人がその戸板を押さえ、すると
戸を叩く音は右隣の板に移り・・・結局、みなが一人一枚のわりで

雨戸に取りつきました。もちろんじいちゃんもそうしたんですが、昔の雨戸なんで
ところどころに節穴があります。そこから外をのぞくと、闇の中になにか人らしい
ものがいました。しばらく見つめていると、だんだんに目が慣れて、おぼろげに
外の様子がわかるようになって、外をうろうろしてる者が沢登おじによく似てる
のがわかったそうです。ただ、なんだか様子がおかしい。異常に背が高く、
頭のあたりが白い。あれは何だろう? そう思って目をこらすと、
たしかに沢登おじだったんですが、頭の額の部分からなんと白い兎の体が
生えてるように見えたんだそうです。そしてそいつは「ウー、フー」と唸り声を
上げながら雨戸の外の庭を歩き回り、そしてとうとうじいちゃんが押さえてる
雨戸に向かってきたんだそうです。じいちゃんは肝がつぶれそうになりましたが、
心のなかで南無阿弥陀仏を唱えながら、力を込めて雨戸を押さえたという

ことでした。そうして永遠とも思える時間が過ぎ、朝の5時頃でしょうか。
雨戸を叩く音が不意にぱたっとやみ、寺の中は静まり返りました。和尚が
読経をやめて桶の中をのぞき込み、「おお、戻ったぞ。終わったようだ」
って言ったんです。遺骸には傷一つなく、外を歩き回っていた様子はなかった
んです。和尚は続けて、「こんなことはもう100年以上もなかった。
上手くやれるか心配だったが、どうやら成仏してくれたようだ」と。
みなはぐったりとしてその場に座り込み、中には雨戸を押さえていた手が
すっかり固まってしまったものもいたとのことです。これでだいたいの話は
終わりなんですが、後でじいちゃんが父親に「こんな怖ろしいことが世の中に
あるとは知らなかった。いつから、唐来山で獲物を獲るとこういうことが

起きるとわかったんだい?」と聞くと、父親は「それがなあ、あの山はもともと

この地方の代々の藩主の持ち物だったお留山だったんだよ。入山も禁じられてた.
だからいつごろからこういうことがあったかはわからんのだが、江戸時代の
飢饉のときにはあの山で獲物を獲ることもあったらしい。そういう経験の
積み重ねで、対処の方法もわかっていたんだ」と言ったそうです。
それから「あの山な。唐来山という名前だが、本当はとむらい山と言うらしい。
ただ、誰も表立っては口にしないんだ。きっと大昔にえらく怖ろしいことが
あったんだろう」と。で、じいちゃんはこの数年後に結婚し、飯場の仕事はやめて
材木会社に就職したんです。そうして昭和初期、町には火葬場ができて
土葬ではなくなり、渡来山に関する話も聞かなくなりました。ですが、
どうやらいまだに立入禁止ではあるようです。自衛隊の研究所がふもとに
建っています。これで終わりです。