今晩は。古い話で恐縮なんですが、それでは始めさせていただきます。
私の、母方の祖母についてのことなんです。祖母は東北の某県に
住んでおりまして、もう、とうに亡くなっていますが、
その前後のいきさつも含めてお話いたしたいと思います。
祖母は拝み屋のようなことをして生計を立てていたんです。
はい、あの当時、町々にいた拝み屋はすでに需要が少なくなって
いましたが、それでも失せ物探しや良縁祈願、赤ん坊の疳の虫をとる
などのことで、祖母のところを訪れる方はまだあったようです。
拝み屋の最後のうちの一人と言っていいかもしれませんね。
もともとは裕福な家の生まれでなんだそうです。それが、
当時、町で肥料工場の社長をしていた祖父に見初められ、

嫁ぐことになったんです。そもそも恋愛結婚など珍しかった時代
でしたし、祖母の実家では反対だったのですが、強引に家を出る
ような形で結婚した。でも、祖母は幸せになれませんでした。
私の母とその兄が生まれたんですが、母が10歳くらいのときに
祖父の工場が倒産。それだけではなく、祖父は借金を多く残して
行方をくらましてしまったんです。その町の噂で、
贔屓にしていた飲み屋の酌婦と手を取り合って逃げたという
話が広まっていたんだそうです。つまり、祖母は捨てられたことに
なりますね。祖母の実家では、世間体があるため、祖母に残った
借金を片づけるのを手伝ったんですが、祖母に対しては、あくまで
出ていった娘ということで、ほんのわずかの援助しかしませんでした。

まあ、当時は兄弟姉妹が多いのが普通でしたし、実家にも祖母にも
意地があって、そういう形になってしまったのだろうと思います。
そのため、祖母は拝み屋を始めたんです。幼い頃から、今で言う
霊感があり、ときおり神がかりになったんだそうです。
そのことが町で知られていたため、拝み屋の商売も成り立って
いたのでしょう。そうやって祖母は、母と伯父を育てたんですが、
2人とも早くに祖母のところから離れてしまったんです。
伯父は中学を卒業すると、金属細工の職人のところに住み込みで
弟子入りし、今では有名な宝飾デザイナーになっています。
母も、高校卒業と同時に東京に出て寮のある会社に就職し、
そこで父と知り合って私が生まれた。え、祖父ですか。

それが、いまだに行方がしれないんです。母や伯父のところにも
連絡はありませんでしたし、失踪したの母たちがまだ幼い頃でしたので、
こちらから積極的に探すということもしなかったようです。祖父の記憶は
ほとんどない、と母は言っています。どうして早くに祖母の家を出たのかも
聞きました。そのことについては、母は話したくなかったようで、言葉少なに、
「祖母の拝み屋の仕事が嫌だったし、祖母は怖い人だったから」こう答える
だけでした。ああ、すみません、いつまでたっても話が前に進まないで。
もちろん祖母には会ったことがありますが、それは数えるほどです。
最初は、私が小学校低学年の頃に、何かの事情で
母とともに東北の祖母の家を訪れたとき。
町外れにある粗末な家でした。祖父との結婚生活で住んでいた屋敷は

借金のかたに人手に渡り、そのあばら家に移り住んだのでしょう。
祖母は結婚が早く、母を生んだのも早かったので、まだ若く、
髪も長く黒ぐろとしていました。小柄でしたが、きつい目つきをしており、
子どもの私にも怖い人に見えましたよ。祖母は孫である私には
あまり関心はないようでした。そのときに、私は、母が祖母と話している間、
祖母の拝み屋の部屋に入り込んでしまったんです。
はい、上から五色の垂れ布が下がっていて、きれいだと思ったんです。
白い布がかかった祭壇の上には、三宝や御神酒徳利、燭台や香炉、
いろんなものが置かれてましたが、その最奥に、白木造りのミニチュアの
神社のようなものがあったんです。大きさは幅も高さも20cmくらいで、
鳥居はなく、神社に似てはいましたが、少し違うようでもありました。

正面の小さな扉は、かたく閉められていました。私がそれを見ていると、
いつの間にか祖母が背後に立っていたんです。「珍しいかい、
それは室屋といって、神様が下りてきてお休みになる場所だ。
だから中はけっして見てはいけない。だがお参りすることはできる。
今夜いっしょに行ってみるか」そんな内容のことを言われたのを
覚えています。ここに祖母とお参りする? どういう意味かわかりませんでした。
母は祖母との話が済むと、私を連れて宿をとっていた旅館に戻りましたから。
でも、その夜、夢を見たんです。腰までくる草がぼうぼうに生えた
河原のようなところでした。空は灰色で今にも雨が降り出しそう。
私は一人で心細く、泣き出してしまいそうでしたが、いつの間にか
手を握られ、見ると横に白い着物を着た祖母がいたんです。

祖母は長い髪を巫女さんのように束ね、無言で私の手を引いて草の中を
歩いていきました。やがて向こうに、室屋が見えてきたんです。
ミニチュアではなく、人が入れる小屋ほどの大きさでしたが、
やはり正面の扉は固く閉じられていました。室屋の前まで来ると、
祖母は地面にひざまずき、私にもそうするように命じて、
2人で長い間そうしていたんです。私は、何をお祈りするのかも
わからず、とまどっていましたし、怖かったんです。
やがて、空がゴロゴロと鳴り出し、稲妻が光って・・・
そこで目が覚めたんです。胸がしめつけられるように痛く、心臓が
ドキドキしていました。隣に寝ていた母を起こして夢の内容を話すと、
母は顔をしかめましたが、何も言いませんでした。これが最初で、

その後 私は、人生の節目節目で室屋にお参りする夢を見るようになったんです。
例えば、私の高校入試で、志望校の合格発表の前日。やはり祖母とともに
室屋の前にいました。夢の中の祖母は相応に齢をとっていて、
髪には白いものが混じっていました。わけがわからないまま祈りを
捧げているのも同じです。・・・翌日の発表は不合格でした。
それから、私が結婚して妊娠がわかり、子どもがお腹に宿っていた頃です。
唐突に室屋の夢を見たんです。祖母はもうお婆さんという外見になっていて、
前と同じように室屋の前で祈っていました。そうするのは嫌だったんですが、
夢の中では祖母に逆らえないんです。もうおわかりだと思います。
次の朝、私は具合が悪くなって病院に運び込まれ、流産が判明しました。
そんなことがあって、私は室屋の夢を見るのが怖くてしかたなかったんです。

祖母は、ずっとあの雪深い町に一人で住んでいましたが、病気がちになり、

向こうにいる伯父が介護つきの老人ホームに入れたということでした。

それが・・・入所して3日目に、祖母はベッドからいなくなってしまったんです。

近所を探しても見つからず、施設では警察に通報しました。それから1日

たっても発見できず、伯父からの連絡があって、母と私はまたあの町を

訪れました。でも、何もできることはないですよね。警察からの連絡を待つ

しかありません。その夜は、伯父の家に泊まったんですが、ひさびさに室屋の

夢を見ました。ごうごうと風が鳴る草の中に一人で立っている。そこまでは

同じでしたが、祖母の姿はありません。心細いながらも前に進んでいくと、
室屋が見えてきました。ただ、いつもとは違って、室屋の扉が開いてたんです。
中に、白い着物を着た人が倒れていて、祖母だと思いました。でも、怖くて

近づけなかったんです。祖母が倒れている奥に、台座にもたれかかるように
背広を着た男性の白骨死体がありました。祖父だと直感しました。祖父と祖母の
間には、短刀が転がっていたように思います。そこで目が覚めると、伯父の
家の中が騒がしくなっていました。祖母が見つかったという連絡が入ったんです。
はい、祖母のあの拝み屋の家、警察は何度も探したんですが、その祭壇の前に
白い装束を着て倒れ、亡くなっていたんです。・・・祖母の葬儀のとき、あの室屋を

はじめ、拝み屋の道具は一切合切 棺に入れられて祖母とともに燃やされました。

それ以来、あの夢を見ることはありません。葬儀が終わって一段落したとき、

母が唐突にこんなことを言いました。「私と兄が早くに家を出たのは、
拝み屋だけでなく、おばあちゃんが家に男の人を引っぱり込んでいたからなの。
生活のためだったんでしょうけど、それが嫌で」と。これで終わります。