怖い話を収集していると、一番多く集まってくるのが、
いわゆる「虫の知らせ」系というやつです。
近親者や友人が亡くなるときに、何らかの形で知らせにくる。
みなさんも聞かれたことがあるんじゃないでしょうか。
例えば、仏壇に置いていたものが地震でもないのに落ちたとか、
誰もいないはずなのに仏間から鐘の音が聞こえたとか。
で、そのすぐ後に電話がかかってきて、「○○が亡くなった」という
知らせが入る・・・でも、この手の話はあまりにありきたりで、
ほとんどはブログに載せられないんです。ただ、たくさんある中には、
これは奇妙だなって思うものもあるんですね。
今回は、そのうちから2つの話をご紹介したいと思います。

デザイン事務所勤務 徳永さんの話
うちの家はね、四国のほうで漁師をやってたんだよ。
あ、俺は三男だったからね、漁師はやらないで大阪へ出てきた。
一番上の兄貴は漁師だよ、まだ現役。もうそろそろ引退したらどうかって
勧めてるんだが、やめる気はないみたいだ。まあね、今は船もよくなって
昔みたいに難破することも少ないし、何かあれば無線で仲間が助けてくれる。
いや、兄貴を見てりゃうらやましいよ。そりゃ漁師は重労働だが、
漁に出るのは1年の三分の二もないから。瓦屋根の御殿みたいな家を

建てたよ。それでな、これはうちの親父から聞いた話なんだ。親父の親父、

俺の爺さんは早くに死んだが、婆さんのほうは84歳まで生きた。
でな、病気で寝ついて、いよいよ今日明日かもしれんってことになってな。

いや、昔は病院で死ぬ人は多くなかったんだよ。家で亡くなるのが
普通だったし、医者も往診に来てくれた。で、親父は婆さんがそんな状態でも、
平然と漁に出ていくんだよ。こう言ってた。「なに、人は満潮のときには
死なないもんだ。昔からそう伝えられてるし、俺が見たかぎりでは
間違いのないことだ。死ぬのは干潮のときだよ。だから、それまでには

戻ってくる」って。まあなあ、そういうことはあるのかもしれん。
親父が沖に出て網を流してたら、船のエンジンが停まってしまった。
点検修理しても、蹴飛ばしてもかからない。けど、そんなことで慌てる

親父じゃない。無線で漁協に連絡をとったら、あいにく近くに牽引できるような
船がいないときた。船は財産だからな。親父だけ助かってもしょうがない。
だから、のんびり待ってるしかないんだが、ほら、婆さんのことがあるだろ。

さすがに親の死に目に会えないのは残念だし、近所の評判もよくない。
そうしてるうち、だんだん潮が引いて、「ああ、婆さん逝っちまうんじゃないか」
って心配になってきた。親父が子どものころからの、婆さんが網をつくろったり、
イカを干したり、握り飯をつくってくれたことなんかが頭に浮かんできて、
あの鬼みてえな親父が、じわーっと涙まで出てきたんだそうだ。
時間は夜の10時過ぎ、海は凪いでいて、ぼんやり浜の明かりを見ていると、
船の上の青い闇を、何か白いものが飛んでいる。あっち行ったり、こっち来たり、
一抱えもある霧の固まりのようなもんだったそうだ。やがてそれは、親父のいる

甲板に近づいてきて、数m前に停まった。近くでは白いブドウの房みたいに
見えたそうだ。それがボコンボコン泡立つように出たり引っ込んだりして、
その一つ一つに、うっすら目鼻があるように思えた。

でな、やがて正面にひときわ大きな泡が浮かんで、それが婆さんの顔になった。
婆さんは目を閉じていたが、小さく口を開き何か言った。
けど、音としては出てこなかったんだな。それでも、親父は自分の名前を
呼ばれたんだと思ったそうだ。どのくらい時間がたったか、
婆さんの顔は平らになり、霧の固まりは急速に空へ昇ってってしまって、
それきり見えなくなった。それからすぐ、無線で婆さんが死んだって連絡が入った。
親父は、「あれはやっぱし、婆さんが会いに来てくれたんだろうなあ。
ただ、婆さんだけじゃなく他の顔もあったように思うから、
引き潮のとき亡くなった人の魂が一つになったもんかもしれない。だからな、
俺はそんときから死ぬのがあんまり怖くなくなった」こんな話をしてくれた。
まあな、そういうことはあるような気もするが、都会では無理だろうなあ。

自動車整備工場経営 北村さんの話
俺ね、子どものとき亀を飼ってたんですよ。縁日のときに買ったミドリガメ
なんだけど、かなり大きくなってね。水槽飼育で、冬眠はさせてなかったです。
亀って長生きするけど、冬眠の失敗で死ぬことが多いんですよね。
だから冬場はヒーター入れてました。え、亀の名前?
いちおう小太郎ってことにしてたけど、亀って、犬猫と違って呼びかけたりは
しないじゃないですか。で、あれは俺が小5のときですね。
父親が、会社の検診で癌が見つかって入院してたんです。もう末期

だったんだけど、俺にはくわしい病名なんかは知らされてませんでした。
今思うと、抗癌剤治療をしてたんでしょうね。父親はすごく痩せて、
顔色も黒くなって、死期が近いってのは何となくわかりました。

それでね、その日は俺、学校からいったん帰ってきて塾に行ってたんです。
それが終わってからだから、時間は8時過ぎかなあ。
一人で住宅街を家に向かってると、塀の上に何か動くものがある。
近寄っていくと、小太郎だったんです。「えっ!?」って思いました。
水槽から脱走したんだろうか、でも、逃げられないよう、甲羅の端に穴を開けて
ハリガネを通してたんですよ。見ると穴もハリガネもあったんです。
すごい偶然だと思いました。逃げ出した亀をそんな離れた場所で
つかまえることができるなんてね。手を伸ばすと、
小太郎はカクンと頭を動かし、ゆっくりした声で「今、親父が死んだぞ」
そう言うと、傾いて塀の向こう側に落ちていったんです。
すごく混乱しました。亀がしゃべるはずがないし、

父親がほんとに死んだならそれは大変だし。塀に手をかけて伸び上がったんですが、
植木があって小太郎の姿は見えない。こうしちゃいられないとも思ったし、
家に向かって走りました。わりとすぐだったんですけど、着くと母親と弟が

玄関にいて、「病院行くよ」ってタクシーで連れてかれ、父親はすでに

亡くなってましたね。容態が急変したみたいです。葬儀屋とかの手配を済ませて、
家に戻ってきたのは深夜でした。でね、水槽を見たら小太郎がいたんですよ。
それも、甲羅に通したハリガネはちゃんと水槽に結ばれてて、
逃げ出した様子がないんですよ。小太郎に話しかけてみたんです。
「お前さっき塀の上にいたか」って。でも、答えは返ってこなかったし、
それ以後もしゃべったりすることはなかったです。え、小太郎ですか。
たしか死んだのは俺が高1くらいのときだったと思います。

でねえ、当時も不思議だったんですけど、今考えれば、
いろいろわからないことがあります。まず一つめは、小太郎は家にいたのに、
どうして病院で父親が死んだってことがわかったのか。
いやまあ、病院からの電話を小太郎が聞いてたのかもしれませんが。
もう一つは、なんで父親が直接知らせに来なかったのか。
これはね、心あたりがなくもないです。俺は父親が嫌いで、
入院前はすごく反抗してましたから。親父はアル中でね、母親もだし、
俺と弟も殴られてたんですよ。その後、母親は一人で働いて俺と弟を高校に
行かせてくれ・・・俺は自動車整備工場に就職して・・・え? 小太郎の声ですか?
父親に似てたかって? うーん、なんともいえないですね。覚えてるのは、
地獄の底から聞こえるような 冷え冷えとしたものだったってことだけです。