最後の審判 ミケランジェロ
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今回はこういうお題でいきます。カテゴリはオカルト論ですね。
終末論は終末思想とも言いますが、Wikiで引いてみると、
歴史には終わりがあり、それが歴史そのものの目的でもあるという考え方」
と出てきます。これを見ると、哲学的な概念なんですね。

ただ、終末論は宗教で用いられることが多いですよね。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教には終末論がありますし、
北欧神話などの多神教でも終末論は言われます。あるいは、哲学に近い内容の
仏教にも終末論はありました。末法思想というやつです。

ですが、一口に終末論と言っても、その内容はさまざまです。
例えば、キリスト教では「最後の審判」において、すべての死者がよみがえり、
イエス・キリストが復活して裁きを与えます。これは世界の救済と考えられており、
この世が一度終わることによって、より高次の段階に引き上げられる

ということです。ですから、世の終末は必ずしも悪いものではないんですね。

仏教の末法思想もこれに似ています。お釈迦様の入滅後、
世は正・像・末と三つの時期に分かれ、その最後を末法の世と言います。
これは、「正しい法が隠れ行われなくなる時代」という意味です。平安末期から
鎌倉初期にかけて、世の乱れとともに末法思想が流行しました。ただし、
末法の果ての未来に弥勒菩薩が現れて、すべての人を救うとされていたんです。

末法思想
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さて、現代の新興宗教でも、終末論を唱えるものは多いですよね。
あのオウム真理教もそうでした。ですが、その終末論は本来の意味から変化して、
「この世はもうすぐ終わるが、わが宗教を信じる者だけは救われる」といった、
信者獲得のための手段に変質してしまってる場合が多いんです。
この手の論法を用いるのは、はっきり言って、底の浅いインチキ宗教です。
 

日本の近代の歴史で、最も大きく終末論を唱えたのは「大本教」でしょうか。

(正式には、教はつかず「大本」といいます)大本教は、教派神道「金光教」

の熱心な信者であった出口なおに、1892年、「艮の金神 

うしとらのこんじん」という神が降臨し、なおは、「お筆先」と呼ばれる

自動筆記によって、大量の神の言葉をつむぎ出したんですね。

出口なお
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艮の金神は、後に、日本神話における国常立大神とされました。それと、
なおはもともと文盲であったのに、自在に文章を書けるようになったことが、
真に神が降りた証拠と言われましたが、そのあたりの真偽はわかりません。
この出口なおに近づき、娘婿に入って2代目の教祖になったのが、近代日本最大の
霊的指導者とも言われる、出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう)です。

出口王仁三郎
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王仁三郎の思想について、ここでは詳しくふれませんが、数々の予言をして

驚異的な的中率を誇ったとされます。出口の予言は、神道の

「雛形思想」が基本になっていました。これは、大本教内で起こったことが
日本でも起こり、さらに世界でも起きるとする考え方で、「3段の型」と言います。

つまり、大本教が弾圧されたりすれば、日本にも悪いことが起きるわけですね。
それから終末思想ですが、大本教の根本は、出口なおが最初にお筆先で

書いた内容、「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。
神が表に現れて三千世界の立替え、立直しを致すぞよ」に集約されます。

ここから、明治55年に「世の中の立替え」が起きる、と喧伝されました。
明治55年は、大正10年(11年説もあり)にあたりますが、
世の中立て直しの神が登場し、地上世界が新たに立て替えられるというわけです。
大本教なりの終末思想と言ってもいいでしょう。王仁三郎は、大阪の

中堅新聞社だった「大正日日新聞」を買収して、言論活動を強めていきました。

さて、ここで少し余談。昔の新聞社って、どこもすごい いい加減だったんです。
「藤田小女姫 ふじたこととめ」という女性占い師をご存知でしょうか。
この人物が小学6年生の1950年、「奇跡の少女現る」と社会面のトップで
報じたのが「産業経済新聞」。現在 保守を自称して偉そうなことを
書いている「産経新聞」だったんです。

藤田小女姫
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藤田小女姫は、産経新聞社内に一室を与えられて社長らに可愛がられ、
その予言を聞きに、小佐野賢治、岸信介、福田赳夫、田中角栄、
財界の大物らが次々と訪れたと言われます。藤田小女姫は、1994年、
北朝鮮の贋金づくりにからんでハワイで殺害されます。

当時、産経新聞のやってたことは、現在からすれば、とうてい考えられない
話ですよね。ただ、この手のいい加減さは、産経だけでなく、
朝日や毎日でも同じで、国家機密漏洩や虚偽報道、違法な取材などが
普通にまかり通っていました。朝日新聞は、慰安婦問題などを捏造しましたが、
もともと、大新聞とは名ばかりの低俗な体質のものだったんです。

さて、話をもとに戻して、まさに世の立替えが起きるとされた大正10年
(1921)に「第一次大本事件」、昭和10年(1935)に

「第二次大本事件」が起こり、最盛期には信者数300万人と言われた大本教は、
公安により徹底的に弾圧されて、ほぼ壊滅します。第二次大本事件では、
教団幹部61人が起訴され、特高警察の拷問によって16人が死亡しています。

大本教の弾圧
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王仁三郎は、死を免れて1942年に保釈され、故郷の京都府に戻って

家族と暮らし、1948年に76歳で亡くなっています。大本教の言う

「世の立替え」は起きませんでしたが、第2次世界大戦の敗戦により、
日本が大きく変わったのは、ご存知のとおりです。

さてさて、ということで、大本教は終末思想を利用して信者を集めましたが、
オウム真理教のような凶悪な暴力事件は起こしませんでした。
現在でも、終末をうたう新興宗教はいくつもありますので、

注意されたほうがいいと思いますね。では、今回はこのへんで。