今回の内容は、何に分類していいのかわかりませんが、
オカルトの話なのは間違いありません。「スライダー」という語を聞くと、
みなさんは何を連想されるでしょうか。野球フアンなら、
速いカーブ系の変化球と答えられるかもしれませんが、

 

オカルト的には、「Slider」は

「Street Lamp Interference Data Exchange Receiver(s)」
を指す場合が多いんですね。これ、意訳すると、
「道の街灯を次々と消していく人々」とでもなりますか。
要は、電気人間ということです。

 



世界には、オカルト界では知られた電気人間が何人もおり、
自分の意志だけで、自在に照明をつけたり消したり、ステレオやテレビの
ボリュームを上げたり下げたり、チャンネルを変えたりできると

言われています。略さないほうで検索すると、youtubeで動画が

いくつか見つかります。興味を持たれた方は参照してみてください。

「幽霊の発生する原因は、人間の発する生体的な電気力である」とする説は
昔からあります。ここでは「電気力」というあいまいな語を使いますが、
これは電気に関するさまざまな現象・概念をすべて説明しても煩雑だし、
退屈だろうと思うからで、その点はご理解ください。
人間が死ぬ間際に、強い電気力が放射され、
それが空中に残って他者に影響を与え、幽霊の姿を見せる・・・

しかしどうなんでしょう。たしかに人間は微弱な電気力を発しますが、
それを言うなら、この世は電気力に満ちあふれているわけですよね。
テレビ電波、携帯電話の電波、変電所、高圧電線などなど、
空中にさまざまな電波が飛び交ってる中でわれわれは生活しているわけです。
みなさんの目の前のPCだってかなりの電磁波を出してますし、
そもそも可視光線も電波の一領域です。

 



それに静電気も、目に見えないだけであちこちで発生しています。
人体にそれがあるのは、髪の毛を下敷きでこすってみればわかりますし、
金属のドアノブをつかんだときにバチッとくるのも、静電気の力です。
べつに生体でなくても、何かの部分が風でバタバタあおられて


動いてるようなところなどには、
自然の静電気がたまっていておかしくありません。
そんな中で、人間が発する微弱な電気力が、
どれだけ効果的に幽霊の姿を見せることができるかは疑問があります。

あと、怖い話を書く場合や心霊スポットを訪れた際に、
電気的、機械的な障害が起きるという話もよく聞かれます。
怖い話を書いて保存しようとしたら、ファイルごと消えてしまった。
心霊スポットで写真を撮ったスマホが、なぜか完全にブラックアウトした。
廃墟を訪れたロケ隊の照明やカメラに、原因不明の不具合が続く。

 


インタビューして録音したはずの話がなぜか入ってない。
ま、こんな感じのことですね。これは、偶然という場合が多いでしょうし、
話を盛ってるんじゃないかとも疑われますが、
しかし、中にはどうやっても説明のつかない現象もあるかもしれません。

さて、ご紹介するのは「江戸の電気人間」こと弥五郎です。
「抱きつき弥五郎」とも呼ばれていて、浮浪者であったという説や、
大老酒井忠勝の家臣であったとする話もあります。
とすれば江戸初期の17世紀ころの人なのでしょうが、
姓がわかっていないのは、身分の低い下人だったのでしょうか。
こんな話が伝わっています。

弥五郎が自らの電気力に目覚めたのは、少年時、
荒川の氾濫で母親が溺死してしまった。悲しんだ弥五郎は、
一夜中、母親の冷たくなった死骸に取りすがって泣いた。
すると翌朝、母親が生き返ったんですね。これ以来、弥五郎は頼まれれば
病気治療をするようになりましたが、軽い病人には医者に行くよう勧め、
生き死にの重病者でないと力を発揮することはなかったとされています。

 

岩川八幡神社の弥五郎祭り



また、「抱きつき」という名がついた由来は二つあり、一つは、

裸になって隅田川に入り、大鯉を抱きかかえて生け捕りにしていたことから。
鯉は弥五郎にさわられると、しびれたように動かなくなってしまうのです。


もう一つは、身長2m以上の丸山という当時の相撲の関取が酒に酔って暴れ、
手がつけられない。ところが弥五郎が背後から忍び寄って抱きつくと、
丸山はぶるぶる震えだし、ばったりと倒れて気絶してしまった、
こういう話からきています。

さてさて、電気ウナギなどは、解剖して調べれば、
発電する仕組みがはっきりわかりますが、人間はそうなっていません。
ですから、これが本当ならスゴイ話なんですが、
残念ながら、これ、出典は大正時代の小説なんですね。
江見水蔭の短編小説『鯉を抱く男』に出てくる話のようです。
なーんだ、と思われたらすみません。

 



元ネタとしては、実際に酒井忠勝が記した『仰景記』には、
『家光将軍の治世に「抱きつき弥五郎」と呼ばれる乞食がいた。
往来で町人の女性などに抱きつき、金を無心する。それ以外には

とくに悪いことをしないが、困り者だとして町奉行に訴えられた。


しかし適当な処分が見つからないので、将軍家光まで話が行ったところ、
「天下太平の印だ」と一蹴された。』こういう記述があるようです。
おとがめなし、ということなんでしょうね。

これはこれで、当時の時代の雰囲気を感じさせて面白いですが。
このことをヒントにして、小説家が話を広げていったのかもしれませんし、
実際に、江戸時代にそういう噂が流れていたのかもしれないです。
どうやってこの手の逸話が生まれるのかを考えれば、
自分なんかは、興味深いなあと思いますね。では、このへんで。