娘が2歳になったのをきっかけに、ローンを組んで建て売りを買ったんです。
いえいえ、新築じゃないです。築5年ほどの中古なんですが、
よく怪談話なんかに出てくる、いわくつきの事故物件とかそういうのじゃ
ありませんでした。私は気にするたちなので、そのあたりはきちんと調べました。
場所は郊外でしたが、スーパーや幼稚園にも近く、
近所には公園もあって環境のよいところだと思っていました。
夫の通勤には1時間と少しかかってしまいますが、念願の庭つきの家を
持つことができて、夫婦とも満足していました。
アパートからの引っ越しだったので、荷物もそれほど多くはなく、
小間物や観葉植物などを少しずつ買って家に飾るのが楽しみでした。
すぐ両隣にあいさつにいきました。家の左隣りは小路をはさんでケーキと


洋物雑貨を売る店で、洒落た感じの奥さんが切り盛りしていました。
年ごろも近く、よい友だちになれそうに思いました。
右隣は高い生垣をめぐらした古い家で、庭にはさまざまな種類の木が
よく手入れされてありました。夕方にうかがったのですが、
外からみて電灯がついているのに呼び鈴を押しても返事がなく、
しかたなく後日また訪問することにしようと帰りかけたら、
ガラッと戸が開いて、60年配のご夫婦がそろって玄関に立っていました。
こちらがごあいさつしても、夫婦ともひじょうに険しい顔をして何も返答され
なかったので、とりあえず粗品だけ置かせてもらって帰ったんです。
そのときには、失礼ながら夫婦ともにボケているのではないかと思ったり

しましたが、後にケーキ店の奥さんにうかがったところでは、右隣りの家は、


ご主人が銀行を退職された方で、不慮の事故で一人息子とその奥さんを
亡くされて以来、夫婦して何かの宗教にのめり込むようになって、
その宗教仲間の方の出入りはあっても、近所づきあいはほとんどしていない
という話でした。もしか入信をすすめられるのではとも思いましたが、
この近所の人が勧誘されたという話は聞いたことがないということでした。
それから1ヶ月ほどは何事もなく過ぎました。私は主婦ですので、
日中は子どもを連れて新しい町を巡り歩き、とても楽しく過ごしていました。
6月になった頃です。晴れのチャンスに庭で洗濯物を干していると、

右隣の家のご主人が、きちんとしたスーツ姿で隣の庭に立っていました。

とても怖い顔をしてこちらのほうを睨んでいました。

その姿をみて、ぞくっとしましたが、

 

近寄ってあいさつをすると、それには答えずうちの庭木の一本を

指差しました。それは隣の生垣との境にたっている4mほどの木で、

私は名前はわかりまんでした。ご主人はゴモモモッと聞こえる叫びを

発しましたが、何を言っているか聞き取れません。生垣の側まで寄っていくと、

切れ切れの言葉と身ぶりから、その木の枝が自分のほうの庭まで

入り込んでいるので剪ってくれ、と言っているのだとわかりました。
ご主人はこちらが話を理解したとみたのか、そのまま家に引っ込んでいきました。
夜、主人に今日あったことを話しました。主人は困惑した様子で
聞いていましたが、その木はもともと建て売りの庭についてきたものだし、
わが家ではとくに思い出も愛着もあるわけではないから、
隣が嫌がっているなら根元から伐ってしまおうということになりました。

 

次の日には園芸業者に頼んで木を伐り、根も掘り起こしてもらいました。

業者の話では、その木はモチノキといって神社のご神木として
植えられたりするものだ、ということでした。また、昔からあったわけではなく、
わりと最近に移植されたものだろうとも言っていました。
作業には私が立ち会ったのですが、いつもはカーテンがひかれっぱなしの
二階の窓から、隣の夫婦が並んで覗いていることに気がつきました。
それから娘が、ふだんはその木を気に入っていという様子もなかったのに、
「きらないで」とぐずったことを覚えています。
この木を伐ると隣家との境を遮るものがなくなり、居間のサッシから隣の庭が

よく見えました。庭の奥に、祭壇を備えつけた小さなお堂があるのに

気がつきました。その扉こちらを向いて、いつも閉まっていました。

 

翌日から、居間のサッシが曇るようになりました。どんな天気の日でも

曇るのです。最初に気がついて拭いたとき、タオルが黒くなりました。
サッシにはごくごく小さな水滴がびっしりついているのですが、その一つ一つを

よく見ると、どれにも小さな黒い芯のようなものが入っているのです。
ススか何かなのでしょうか。ネットで調べても原因はよくわかりませんでした。
干してある洗濯物が黒くならないのも不思議でした。
それから、娘が庭に出るのを嫌がるようになりました。私がいくところ、

どこでもついてくるのですが、庭にいこうとすると強くいやいやをします。

それだけではなく、居間にいてもサッシのほうに近寄らなくなりました。
わけを聞いても「つめたい、こわい」と言うだけです。そういえば、
もう夏なのに、カンカン照りの日でも、サッシの周辺はひんやりとしているのです。


しまいには朝起きだしてくるなり、居間のサッシのカーテンを

ひこうとするんです。もちろんこれらのことは主人に話しましたが、
「実害があるのはススだけだろう。たしか裏のほうにゴミ焼却場があったはずだ。
風向きの関係でこっちに煙がきているのかもしれない。市役所に電話してみるよ」
こんな反応しかしてくれませんでした。まあたしかに、実害はそれだけなんですが。
さらに10日ほどして、隣の生垣からこちらの庭に向かって、
芝生が一直線に盛り上がってる箇所を見つけました。
モグラの進路のような感じで80cmほどこちらに伸びてきています。
その向こうに隣家のお堂が見えました。

でも、それは幅30cmほど、高さも5cmくらいあります。そんなに大きな

モグラがいるとも思えません。園芸用の棒で盛りあがりをつついてみましたけど、

 

とくに手応えもありませんでした。せっかくの芝をはがすのは惜しいので

少しだけ、スコップで高くなっている中心部を掘り起こしてみました。
地中には細い木の根のようなものがあるだけでした。
盛りあがりを足で踏んで平らにしましたが、
次の日にはまた盛り上がっていて、しかも少し家のほうにのびてきていました。
その夜、風呂に入れた後に娘が鼻血を出しました。
だらだらと流れて、小鼻を押さえてもティッシュをつめても止まりません。
そのうちに血が胃に入ったせいか嘔吐しはじめ、
救急診療に連れていかなければなりませんでした。病院に着いたころには
もう止まりかけていましたが、診ていただいたところ鼻の中には傷もなく、
のぼせたにしては出血がひどいので、後日精密検査をするということになりました。


寝入った娘を抱いて、主人とともに家に戻ったとき居間の固定電話が鳴りました。
主人が出ると、応対の様子からどうやら主人の母親のようでした。
電話をおえると、主人が「おふくろが明日こっちに来るっていってる。
理由は言わなかった。俺にも明日会社を休めって。何なんだろうな」

と驚いたように言いました。じつは主人の実家は私との結婚に反対でしたので、
縁が切れたような状態になっていたのです。
主人の実家は四国で、義母は拝み屋のようなことをやっているのだそうです。
ずっと昔から、その手の家系だとも言っていました。
早朝の5時ころ、義母は一人でわが家にやってきました。痩せた体に、
地味な和服に白いペラペラの法被?のようなのを羽織っていました。
夜行バスとタクシーを乗り継いできたということでした。義母は


私たちがあいさつするのもきかず、家には入らないで、すぐに庭に回りました。
何事が起きているか、すべてわかっているようなふるまいでした。
そして持ってきた風呂敷包みから白木のへらのようなものを取り出し、
あの盛りあがりの先端を掘り始めました。
主人が手伝おうとしたのを制して、一息に芝を大きく掘りはがしました。
そして私たちに「見なさい」と言いました。
芝のはがれた下にはまだ若く薄緑の木の根が長くのびていましたが、
その表面にはびっしりと小さな小さな字が浮き出ていました。
子どものころから書道をやっていたので、
いくつか読める字がありました。昔の変体仮名です。
義母がその先を掘ると根の先端が現れましたが、


大きく膨らんで蛸のようにうごめいていました。見ていると、
ぐるんと向きを変え、鳥の目のようなものが現れました。義母が

呪文のようなものを唱えながら、それに白木のへらを突き下ろしました。
緑色の樹液?がこぼれ、ぐらっと地面が揺れたような感じがしました。
振動が地面を伝わって盛りあがりの上を走り、隣家のほうに向かって

いきました。そして隣家のお堂から急に火が上がったのです。
火はすごい勢いで燃え、あっという間に小さなお堂は焼け落ちました。
「これでいい」義母は言いました。
「これでこちらの素性も力もわかったろう。もう何もできまい」
すぐに隣家の玄関からあの夫婦が出てきて、お堂の焼け残りにホースで
水をかけ始めました。滑稽なくらいに慌ててドタバタしていました。


ご主人がこちらを見て、義母に視線をやるとすぐ目をそらしました。
火が消えると、悄然とした様子で家に入っていきました。
義母は何も話してはくれず、家には入らないまま、
伐ったモチノキがあった場所にはナンテンを植えるように指示して、
その日のうちに四国へと戻ってしまわれたんです。
娘は精密検査をしても何の異常も見つかりませんでした
お堂が焼け落ちた2日後の夜、隣家は逃げるようにして引っ越し、
その後夫婦を見かけたことはありません。これでお話は終わりです。