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今回はこのお題でいきます。今年の春分の日は、3月20日ですので、
その日を中日として、前後の3日間がお彼岸ということになります。
彼岸の入りが今日3月17日、終わりが3月23日で、合計7日間です。
みなさんの中には、お墓参りに行かれる方も多いでしょう。

もちろん、秋分の日を間にはさんだ秋のお彼岸もありますね。
これは日本では仏教行事とされていますが、インドや中国では、
お盆(盂蘭盆会)はあっても、お彼岸という行事を行うことはありません。
あくまでも、日本独自のものなんです。しかもこれ、
始まりが怨霊に関係していると書けば、驚かれる方もおられると思います。

さて、「彼岸」というのはそもそもどういう意味かというと、
もともとは、川を間にはさんだ対岸ということです。
サンスクリットのpāram(パーラム)の意訳で、仏教用語としては「波羅蜜」です。
では、対岸に何があるのかというと、これは西方浄土ということになります。

春分の日と秋分の日は、昼と夜の長さが同じになりますが、
太陽は真東から昇って、真西に沈むことになります。ここから、
太陽を拝して、西方浄土へと思いをはせる期間ということです。
ただし、西方浄土=極楽があるとは、お釈迦様はおっしゃりませんでした。

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もともと原初の仏教では、地獄や極楽というものはありません。
お釈迦様、ブッダは、目に見えない世界の話はしなかったんです。
では、西方浄土とはどういうことかというと、
これはこの世での心の持ち方のことを指します。

人が世の中で暮らしていく以上、どうしても「あれが欲しいこれが欲しい、
あいつが憎い、他人が羨ましい」という煩悩を逃れることは難しいんですが、
修行を積んで、それらを脱した涅槃の境地に達すること、
それが西方浄土として例えられているんですね。



日本の仏教では、お彼岸の期間は特に「六波羅蜜」を守ることが大切だと
説かれます。六波羅蜜とは、・お布施 つまり他人に物を分け与えること
・戒律を守ること(持戒) ・耐え忍ぶこと(忍辱) 
・何事にも努力すること(精進)・心を集中し安定せること(禅定) 
・知恵を深めること(智慧)
 です。

鎌倉時代の僧、日蓮が書き残した文章によれば、閻魔(えんま)王など、
冥界の判官が集まって帳簿を改めますが、お彼岸の期間中は、
善いことをしても悪いことをしても、それが特筆されて帳簿に記入される
となっています。ですから、極楽往生を願うなら、このお彼岸の期間
特に行動を慎んで、上記の六波羅蜜を実行しなくてはならないことになります。

日蓮上人
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さて、ここまでは、どこのまとめにも書いてあるようなことですが、
当ブログはオカルトが主題ですので、怨霊の話に入っていきたいと思います。
お彼岸は元来仏教行事ではなく、他の仏教国にはないと上で書きましたが、
では、いつから始まったのか?

歴史書『日本後紀』には、806年、はじめての彼岸会が行われたと
書かれており、この年の3月17日に桓武天皇が崩御していますが、
おそらく、そのことと関係があるものと考えられます。このときの彼岸会では、
崇道天皇(早良皇太子)のため、諸国の国分寺の僧に命じて、
「七日間、金剛般若経を読まさせた」となっています。

崇道天皇を祀る
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早良(さわら)皇太子は、日本の大怨霊の一人ですよね。桓武天皇のもと、
早くから立太子されていましたが、785年、藤原種継暗殺事件に
連座して廃され、寺に幽閉されました。皇太子は、無実を訴えるため絶食し、
淡路国に配流される途中で憤死したとされています。

上記の種継暗殺は、無実の罪であったとする見方も多いですね。
日本の歴史では、たくさんの人が処刑されたり流罪になったりして
いますが、その中で怨霊化するのは、ほとんどが罪なくして死んだ人です。
そして、周囲もその人物に罪がないことを知っていた場合。

その後、事件の関係者の藤原氏が次々と病死し、桓武天皇の生母も病死、
疫病の流行、洪水など悪いことが続けざまに起こり、早良皇太子の祟り
であるとして何度も鎮魂の儀式が行われました。
800年には崇道天皇と追称され、亡くなった淡路国の山陵へ
陰陽師や僧を派遣して、謝罪が行われています。

桓武天皇
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一説には、794年の長岡京から平安京への遷都は、早良皇太子と、
もう一人、井上内親王の怨霊を怖れてのことだったとする意見もあり、
それが一因となったことは間違いないだろうと自分は考えています。
桓武天皇の病気と死も、怨霊のせいとされたんでしょう。

さてさて、ということで、日本独自の仏教行事、彼岸会が、
怨霊と深い関係にあったとは思いませんでしたね。
あと、春分、夏至、秋分、冬至などの太陽暦にかかわる行事は、
おそらく縄文や弥生時代の、日本に太陰暦をベースとした暦が
中国から入ってくる以前の習俗と関連があるんだろうと思います。

最後に、お彼岸につきものの「ぼた餅」と「おはぎ」ですが、本来は
同じものです。春は「牡丹」、秋は「萩」に見立てて餅をつくるわけです。
ですから、花の大きさから、ぼた餅は大きく、おはぎは小さくつくる
とも言われますね。では、今回はこのへんで。

日本の古い時代は素朴な太陽暦であったと考えられる
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