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今回はこういうお題でいきます。これはオカルト論
でもないし、未分類ですね。自分はあんまり推理小説は
読まないんですが、この2名の作家、横溝正史と
ロス・マクドナルドはどっちも大好きです。

で、この2人、作風というか内容が似ているという
説があるんです。唱えたのは、ミステリー評論家の
瀬戸川猛資氏なんですが、じつは自分もずっと昔から
そう思っていました。ただ、一般的にはそう考えられて
いませんよね。横溝正史といえば、

「祟りじゃあ」で有名になった『八つ墓村』や
『悪魔の手毬唄』など、田舎を舞台とした怪奇色の強い
伝奇推理小説。いっぽう、ロス・マクドナルドのほうは
タフで優しい私立探偵、リュウ・アーチャーを主人公とする
ハードボイルド。表面的にはかなり違ってますが、

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やはり似ている。ただし、ロスマクのほうは後期の作品、
『さむけ』や『ウイチャリー家の女』などにおいてです。
では、どんな点が似ているのか。一つずつ列挙していきたいと
思います。・ 登場人物が膨大で人間関係が複雑であること。

どちらも数十人の登場人物が出てきます。横溝のほうは、
まあ登場人物は日本人で、性格も描き分けられているので
途中、スムーズに読めるんですが、ロスマクのほうは
カタカナ名で愛称とかも入ってくるので、本当にわかりにくい。

メモしながら読み進めていかないといけないほどなんです。
ですから、横溝のほうは未読の方に自信を持ってオススメ
できるんですが、ロスマクはオススメできません。
ページ数も多く、途中でわけがわからなくなって読み止めて
しまう方が多いんじゃないかと思います。

・ 探偵は派手に活躍しない。横溝の名探偵は金田一耕助
ですよね。興奮するともじゃもじゃ頭をかきむしってフケを
落とすなどのギミックはあるものの、基本的には狂言回しの
役です。途中で犯人の犯行を防ぐことはできません。



『獄門島』では、金田一が戦友に「妹たちが殺される」との
末期の依頼を受けて獄門島にやってくるんですが、結局
3人の妹はすべて殺され、金田一は最後に犯行の解説を
するだけです。『悪魔の手毬唄』でも、ねらわれた娘の一人は
助かるんですが、それは犯人の娘が身代わりになったから。

ロスマクの探偵リュウ・アーチャーは、初期の作品では

拳銃を撃ったりもしてましたが、後期になるにつれ、

どんどんと人格が削られ、一人称の透明なカメラの目に

変わっていき、事件の関係者のもとを訪れて、

ひたすら精神分析的な質問をくり返すだけになります。


この当時、アメリカは精神分析が流行ってましたし。
アメリカン・ノヴェルなどとも言われ、推理小説としてだけ
でなく、文学として評価されてるんですね。以前は、
アメリカの大学で、国文学としてロスマクをテーマに
論文を書く学生がいたりしたんです。

っcdcd

・ 家族の問題をあつかっていること。横溝作品の舞台は
戦後すぐのものが多く、新憲法になっても、古くからの因習から
抜けきれない土地でした。そしてしがらみの中で事件が起きる。
ロスマクのほうも、どの事件にも複雑な家族関係がからんでいる。

アメリカというと、個人主義で離婚も多く、親は子どもに
あまり干渉しない。そういうイメージを持たれている方も
おられると思いますが、実際はそうでもなく、
家族関係で悩むアメリカ人は多いんです。アメリカ映画でも、
多かれ少なかれ家族の問題が出てきます。


・ 過去の事件が遠因となって現在の事件が起きる。         
この点もよく似ています。『悪魔の手毬唄』なんかが典型ですね。
20年前の殺人事件の真相を隠そうとして現在の殺人が起きる。
ロスマクのほうも同じで、過去が現在に侵食してくるのを
防ごうとして事件が起きるんです。



・ しっかりしたトリックがある。まあ横溝作品は本格推理
小説なので当然ですが、ロスマク作品も、ハードボイルド
としては一番きちんとトリックが設定されてるんじゃないかと
思います。それも、これはネタバレになりますが、
どちらも一人二役が多い。『さむけ』では、

最後の一行で意外な犯人がわかり、そこでそれまでの記述が
すべてガラッと色が変わって見えます。そしてそのときの
犯人の心情を考えると、肌にさむけ(The chill)が生じる。


・ 事件が解決しても、まったく晴れ晴れとしない。
どちらの作品も、殺人は終わったものの、この残された
登場人物たちは、これからどうなるんだろうと思われ、
暗鬱な感じがするんですよね。これはやはり、人間がよく

書けているからだと思います。では、今回はこのへんで。