僕は高橋と言って、〇〇大学の2年生です。これはこないだ、僕が体験した
話なんです。ここの大学は歴史が古いことで有名で、できたのは明治の
20年代。大学の構内は広いんですが、一部に旧棟と呼ばれる、
80年前の古い建物が残ってるんです。昭和初期に建てられたものです。
でね、僕が本を探してた図書館はその旧棟にあるんです。あ、言い忘れて
ましたけど僕は哲学専攻で、その本というのは、イギリスの18世紀の
あまり知られてない哲学者が書いたドイツ語のものだったんです。レポートの

参考にしようと思ったんですが、今どきそんな本を読む学生はまず

いそうもないものです。実際、本は古い割にはきれいで、ほとんど

読まれてない印象でした。でね、時刻は4時ころで、あと1時間ほどで

図書館は閉館のはずでした。司書はいないので何列も並んだ書庫の奥で

 

自分で本を見つけ、急いで必要な部分をコピーしようとしたら、

本のページの間から、メモみたいな紙がひらりと落ちたんです。
あれ、何だろう? そう思って、その紙を拾い上げ手近なテーブルに座って
読んでみようとしました。でもそれ、昔の漢字で書かれてたんです。
「寶ハ焰ノウへニアリ」筆で書いた字のように見えました。
え? これ、何て読むんだろう。焔は「ほのお」だよな。今の漢字だと炎。
寶はなんて読むんだろう。・・・恥ずかしながら、そういう知識は
なかったんですよ。まあ、どうせ昔、誰かがメモしてそのままになってた
もんだろう。そう思って、紙は丸めて捨てようと思いました。
そしたら、「それ、宝って読むのよ」と声がかかったんです。
え?とその方を見ると、髪の長い女性がテーブルの向こう側にいて、


僕が見てた紙をのぞき込んでたんです。年齢は二十歳前後で、長い髪を
肩まで垂らした美人でした。古風なベージュ色のフリルのついた服装で

まったく知らない顔です。僕が「へえ、よく読めるね」と言うと、

女性は「私は国文学を専攻してるんだけど、古文書を読むのに必要だから、

そういう漢字も勉強してるの」って答えたんです。続けて「宝って、宝物の

ことかしら。これ、もしかしたら財宝のありかを教えてるのかもしれないわよ」
「えー、そんなおとぎ話みたいなことがあるかな。いくらこの大学が
古いったって」 「わからないわよ。この図書館だって昭和の建物でしょ。
もしかしたら戦争のときのどさくさで、資産家が財産を隠してるとか」
まさか、と思いました。いくらなんでもそんなことがありえると思えない。
だけど、その女性の古風な顔を見ていると、何だか信じてしまいそうな


気持ちになったんです。「うーん、宝かあ。もしかしたら財産を金とか
宝石に替えたものかもしれないなあ」・・・もうすでに、
このときには魅入られてしまっていたのかもしれません。
「この図書館が閉まるまであと1時間くらいあるでしょ。ねえ、それまでの
間、宝探しをしてみない?」こう言われて、なんだかその気になっちゃった
んですよ。「へえ、面白そうだな。少し考えてみようか」僕はそう言って、
椅子に座り直し、「まあ宝の正体は見つけてからのお楽しみということで、
炎というのは何を表してるんだろう?」 「火、だよね。だけど、
このあたりに火を使うようなもの、ある?」 「いや、ないと思うけど。
理学部だったら実験で火を使うかもしれないけど、理系の学部は全部が
新しい建物にあるし」 「そうよね。それにこの紙、ずいぶん黄ばんでるし、


旧漢字が使われてるのは昭和21年までなのよね。だから、かなり古い
ものだと思うわ」 「じゃあ、あの本、それからずっと読まれてないって
ことか?」 「まさか、さすがにそれはないでしょ。めったに借りられる
本じゃないと思うけど、あなたのようにレポートのために借り出す学生は
いたでしょう。ただ、この紙を見つけても、古いから、もしかしたら
貴重なもだと考えて、捨てたりせずにはさまったままにしておいたのかも
しれない」 「うーん、そうかもしれないな。炎ねえ、全然、思いつかないな。
あ、そうだ。この旧棟と医学部棟の間の中庭に焼却炉があったよな。
あれのことじゃないかな」 「そうかなあ。いつできたか知らないけど、
焼却炉はそんなに古いものじゃないじゃない」 「だな。けど、こうしてても
他に思いつくものがないし、とりあえず行ってみないか」 「いいわよ」


ということで、彼女といっしょに外へ出ました。晩秋のことで、

もうだいぶ暗くなってましたね。で、そっから焼却炉までは5分足らず。
青く塗られた小さめの焼却炉が3つ並んでました。医学部で公共のゴミ回収に
出せないものを燃やすためのものです。ただ、どれも新しく、サビが浮いてる
様子もなかったんです。「これは違うわね。新しすぎる。入れてから10年も
たってないんじゃない。それに炎の上と言っても、上は空だしね」
「これは違う・・・よなあ」そのときに。僕はこの女性について何も知らない
ことに思いあたったんです。「ところで、文学専攻って言ってたよね。まだ
名前も聞いてなかったけど、何ていうの?」 「ああ、そうね。川上という
名前よ」彼女はそう答えましたが、ふと顔を伏せ、何か言いにくそうな感じ
だったんです。あれ、見ず知らずの男子学生をさそったことを後悔して


るのかな。そう思いましたが、それにしては表情が虚ろで、暗いせいかも
しれませんが、長い髪に隠れた顔の色がやけに青白かったんです。
「ここが違うとすれば、もう心あたりなんてないなあ」 「私もないけど、
どうせなら旧棟を一まわりしてみない。何か目につくかも」ということで、
もうだいぶ人影も少なくなった旧棟を、端からまわり始めました。古風な
建築の学生自治会館、記念館、図書館・・・中にも入りましたが、目につく
ものはなかったんです。「こりゃダメだな」そう言って、図書館の外を
ぐるっと回ったら、もうやめて帰ろうってことになったんです。でね、
図書館の裏手に回ると、前面がシャッターになった建物の前に出たんです。
「あれ、こんなのあったかな」 「ふだんこっちに回ることなんて、まず
ないから・・・あ、痛、痛たたた」突然彼女が頭を押さえてうずくまったんです。


「どうしたの?大丈夫?」 「ここ、ここに何かある」 「えーだって、
新しい建物だよ、それより医者に行かなくていい?」 「大丈夫・・・頭は

いつもずっと痛いのよ。ねえここ、入れないかしら」 「無理じゃないか。
鍵がかかってると思う」確かにその建物、シャッターには鍵がかかってたんですが、
脇に入ると土手になっていて、建物には小窓がいくつかついてたんです。手を

かけると開くものがありました。それで、どうしようかと迷ってたんですが、
彼女は窓枠に手をかけて、もう中に入る体勢になってたんです。「あ、危ないぞ。
これ、だいぶ高さがある」 「私なら平気、きっとここにあると思う」 
「何が?」 「宝が」で、彼女は転げ落ちるように建物の中に入ったんですが、
まるで体重がないみたいにふわっと床に降り立ったんです。中は暗く、
彼女は目ざとく照明のスイッチを見つけて明かりをつけました。それから僕が


遅れて中に入ったんですが、ドスンとしゃがんで着地しなくちゃならない高さ
だったんです。でね、そこ床がコンクリで、天井はトタンむきだし。
・・・粗大ごみ置き場だったんです。「ああ、ごみ置き場ね。たぶん旧棟の
教授室から出たものだと思う。建物は古くてもなんとかもってるけど、中の
ものは順次入れ替えてるんじゃないかな」 「すごいな。これ、処分料だけでも
かなり取られるぞ」 「建て替えのときにまとめて業者に出すんじゃないかな」
中は古い大きな木の机。重厚な本棚。絨毯、額縁・・・雑多なものが崩れ落ち

ないように積み上げられていました。彼女はそれらを目で追ってましたが、
「あ、あれじゃない」って言って奥を指さしたんです。そこにあったのは
鉄でできた巨大な暖炉型の石油ストーブ。それと針金でゆわえられたトタン製の

組み立て式エントツが多数。彼女は廃棄する机の上に乗り、それを乗り越えて

 

ストーブに近づき、ひとつずつ表面の蓋を開け閉めしてたんですが・・・

「あ、あった。これみたい」と下のほうにある一つのストーブを指さしたんです。
「えー、なんで分かるの?」俺が言うと、「これ、何か燃やした灰が入った

ままだから」 「あー、灰ごと捨てたんだな」彼女はその灰の中に

手を差し入れ、何かを探すように手で掘り返してましたが、「あ、あった」

と言って灰色の丸いかけらをつかんでこっちに見せたんです。「それ何?」

「これが宝。やっと見つけた」 「え?」 「これ、川上慶子の・・・

私の頭蓋骨の焼け残った一部」骨の欠片をゴトッと床に落とし、そう言って

ニターッと笑うと、スーッとにじむように消えたんですよ。・・・こっからは

後日譚です。この大学にからんだ事件史を新聞の縮刷版で調べたんです。

そしたら・・・昭和20年、終戦の年、この大学の文学部だった女子学生の

 

川上慶子という人が殺されてて、胴体は川原で発見されたんですが、

頭部は未だに見つかっていないようだったんです。終戦の混乱した時期

でしたからね。警察の捜査も満足にできなかったんだろうと思います。

これ・・・彼女は自分の骨の一部を探してたんでしょうね。あと、

あの紙片は誰がどういう意図で本にはさんだのか、なぜあの本が

選ばれたのかはわかりませんでした。犯人がやったんでしょうか?

これ、僕、どうしたらいいんですかね。もし何か事件なんだとしても、

もうとっくに時効になってるはずだし、あのときの頭蓋骨のかけらは

まだ持ってますが、気味が悪くって・・・それにしても、昭和20年

なんて古いものがよく今まで残っていたと思いますね。

彼女の執念なんでしょうか。とにかく不思議な体験でした。