うちのジイちゃんの話なんだ。今年78歳で亡くなったんだけど、その死に際の
ことだよ。ええと、どっから話せばいいかな。・・・ジイちゃんは、うちの両親と
同じ市内に住んでて、車で15分ほどの距離だな。親父はジイちゃんに、
うちに来て一緒に暮らせよって、いつも言ってたけど、ジイちゃんは
「体が効くうちは一人のほうが気楽だ」って、誘いに応じようとはしなかったんだ。
実際、ジイちゃんは達者で、犬を飼ってて毎日1時間以上散歩させてたし、
俳句の会とか、カルチャースクールで陶芸の勉強をしたり、
退職金と年金で自由気ままに暮らしてたんだ。
これはね、俺はまだ就職したばっかりなんだけど、うらやましいというか、
年取って仕事を引退したら、ああやって悠々自適に暮らしたいなって、
理想を体現してるように思えてたんだよ。

車も運転してたんだよ。10年落ちくらいのカローラ。
だけどこれは、俺の両親も少し危ぶんでたんだ。
目も体もとくに問題はないジイちゃんだけど、
やっぱ歳のせいで判断力とかは鈍ってるだろうし、万が一のことが
あったら大変だから、運転免許の返納を勧めたほうがいいんじゃないかって。
とは言っても、ジイちゃんはあちこち出かけるのに車を使ってるわけだし、
そこらは都会と違って電車やバスの便はあまりよくないんだ。
だから免許がなくなると、うちの親が送り迎えしたりする機会が多くなるだろうし、
何より、ジイちゃんの生きる気力が萎えちゃうんじゃないかって、
言い出せずにいたんだよ。はっきりボケの兆候とかが見えないうちは
いいだろうって、お茶を濁してたってことだよな。

ただ、半年くらい前にジイちゃんが家に来たとき、「この頃、なんだか道を
間違えるようになった。若いときは地図だけでどこでも行けたもんだが」
こんなことをこぼしてたんで、今年の4月、俺が就職した初給料で、
ジイちゃんにナビを買ってプレゼントしたんだよ。
ジイちゃんのカローラは旧型で、カーラジオのとこにナビは入らないから、
ダッシュボードにのせるやつだ。もちろん高いもんじゃない。でも、ジイちゃんは
すごく喜んでくれたよ。でもなあ、今になってみればこれがよかったのかどうか。
ナビは中古なんだよ。8万くらいのがリサイクルショップで3万になってた。
その前がどこで使われてたなんてわかんないよ。買った店に行けばある程度

わかるかもしんないけど・・・とにかく不可思議な話なんで、あんたら信じ

られないって言うかもしれないな。でもほら俺の右手、肘より先が動かないんだ。

神経が断裂してるんだよ。あんときの事故でやったんだ。
今はリハビリ中で、指が少しずつ動いてきてはいるけど、完全に元通りになるかは、
医者にもわからないみたいだ。だから、こんなことで嘘ついたってしかたないだろ。
で、そのナビをジイちゃんの家に持ってたとき、
やっぱ年寄りだから使い方がわからないだろうと思って、
俺が一緒に車に乗って、操作法を細かく説明したんだよ。
まあ、ジイちゃんは機械はけっこう強い。
昔は8ミリカメラや、写真の現像なんかも自分でやってたって話も聞いてた。
だからそう心配はしてなかったけど、すぐに要領を飲み込んで、
自分でナビをセットして、俺んとこまでくることができたんだ。
ナビの音声が案内をしゃべるたびに「スゴイ、スゴイ」って喜んでね。

ああ買ってよかった、いい金の使い方をしたって俺も思ったわけ。で、3ヶ月前
の話。俺が仕事から帰ってきたら、ジイちゃんが車で来てたんで、ナビの調子を
訪ねてみた。そしたら、「こりゃいいもんだ。あの案内してくれるネエちゃんの

声が、ほれぼれするほどいい。だから道がわかるとこでも、どこに行くにも

使ってるんだよ」こんな話をし、続けて「それにしてもスゴイな。交差点に

入るたびに、そこであった事故を教えてくれたりするとか、昔じゃ考えられない」
「えー、事故の件数ってこと? あれにそんな機能とかあったっけ」 「件数だけ

じゃなく、亡くなった人の年齢とか、ケガの状況まで教えてくれるんだよ」
「それはない、いくらなんでもそれはムリだよ。

ジイちゃん、ラジオを一緒につけてて、ごっちゃになってるんじゃないか」 

「いやいや、すごく詳しく知ってる」さすがにこれは考えられないって

思うだろ。数年前ので衛星通信機能はついてない。

というか、最新の数十万のでも、過去の事故の情報を教えてくれるナビなんて

ないだろ。それで、ジイちゃんの家まで乗せてもらって、本当かどうか確かめて
みることにしたんだ。もしかしたらボケの始まりかも、とも思ったしね。
で、ジイちゃんの車に乗った。時間は7時過ぎでもう暗くなってた。
ジイちゃんが自分の家をナビに入力し、「これから案内を開始します。
目的地までの到達予想時間は・・・」まあ普通に始まった。
でね、どこの交差点に入っても「右に曲がります」とか言うだけで、
事故のことなんて言ったりはしない。やっぱジイちゃんの勘違いだと思った。
「ジイちゃん、ただ普通に案内してるだけじゃない」
「それは向こうが忙しいからだろう。この間は、ここに入ったとき、ええと、
死亡事故が3件、最新のは去年で、27歳の母親と4歳の女の子が死んだって。

母親は頚椎骨折が死因で、女の子はフロントガラスを割って車外に飛び出し、
対向車に轢かれたため。そんな話だったな」
「そんなのしゃべるわけないよ。ところで、ジイちゃん「向こうが忙しい」
って言ったよね。それどういう意味なん?」 「このナビってのは、
本部につながってて、そっから係のネエちゃんが話をしてるんだろ」
「えー、なに言ってるんだ。これは全部、録音した声を合成して出してて、
どこかに通じてるわけじゃないよ」
「じゃあ、今話しかけてみるからな。次の信号のとこでで事故は起きてますか、
教えてください」ジイちゃんがこう言ったが、ナビは無言。
そりゃそうだよな。これで答えが返ってきたら未来の車だよ、って思った。
「ほら、ジイちゃん、返事なんてしないだろう」

「おかしいなあ、いや、今まで何度もしゃべってるんだよ。ほとんど夜のときだな。
その時間帯は本部が忙しくないから、答えてくれるんだと思ってたが」
「やっぱラジオだよ」俺がそう言ったとき、ナビが急に、
「次の交差点での過去10年間の事故発生件数3件」こうしゃべりだした。
「ほらみろ、どうだ」とジイちゃん。ナビは続けて、
「最新の事故は7月4日、死亡者0重傷者1名。重傷者は顔面の裂傷と、
右手神経の断裂」7月4日ってのはその日のことだよ。
俺が驚いてナビ画面をいじくろうとしたとき、ジイちゃんが
「ううううっ」とうなってハンドルに突っ伏した。俺は助手席だったから、
とっさにハンドルをつかもうとしたがジイちゃんの体の下で、
うまくいかなかった。それで、思いっきりサイドブレーキを引いたんだ。

フロントガラスの前の景色が回転して、コンクリの塀が目の前に迫ってきて、
ドッガーン。俺の意識はそっからとぎれとぎれだよ。救急隊員に呼びかけられた
ときに気がついたんだが、右手の肘に大きなガラス片が刺さってるのが見えた。
ジイちゃんのことを気遣う余裕はなかった。
でね、このときジイちゃんは亡くなったんだが、死因は心筋梗塞だって。
もちろんジイちゃんにもガラスがたくさん刺さってたけど、
致命傷になるようなケガはなし。あのハンドルに突っ伏したとき、
もう命はなかったってことだったんだ。なあ、信じられない話だろ。
あんときナビは「死者0、重傷者1」って言ってたけど、そのとおりだったんだよ。
ジイちゃんのカローラはそのまま廃車。ナビもスクラップだと思う。
まさかまた、どっかの中古店に回ってるなんてことは・・・