俺が中学に入る前後のことだから、もう何十年も昔の話になるけどな。
当時住んでた町には「畑番」ってのがあったんだ。町の中の一集落の

風習なんだけど、小さな神社の裏手に柵で囲まれたわずかな面積の畑があって、
そこの管理を1年間まかせられるのが畑番だった。どこにでもありそうな話だと
思うだろうが、そのときに実に奇妙な体験をしてるんだよ。
その話を聞いてもらおうと思って。
まず、畑番になるのは、昔からそこの集落に住んでる家族だけなんだ。
田舎だから新しく引っ越してくる人なんてほとんどなかったが、
少なくともじいさんのじいさんの代あたりから住んでる家の回り番だった。
大きな橋で町の中心地から隔てられたそこの集落は、世帯数が

150くらいかなあ。その中で畑番が回ってくるのは60軒くらい。

つまり60年に一度のお役目ってことだ。畑の広さはたいしたことはない。
40mの30mくらいだな。高さ1m程度の木の柵がまわりを囲んでた。
そこは裏手がすぐ山だから、イノシシとか野生動物が降りてくることがあって、
それに荒らされないようにってのが第一目的だったろうが、それだけでもない。
一種の禁足地みたいな意味合いがあったんだろう。前の家から管理を

ゆずられるのが、その年の4月で、雪深い地域だったんでさすがに冬場は

何もできなかった。雪が溶けた吉日を選んで、俺の父母が畑に入って畝を

立てるんだよ。土はかなり地味のよさそうな黒土だったが、何も植えたりは

しないんだ。まずこれが不思議だろ。作物を植えない畑じゃ意味がない。
それなのにほぼ毎日、雑草をとったり、水やり肥料やりをするんだよ。
で、そのときに使う水も肥料も、神社の裏手の地面に埋めた大きな桶に入ってた。

水は山水で、竹の樋を通して桶に流れてくるしかけになっていたな。それと
肥料は、これが人糞なんだよ。肥溜めってことだな。それが水桶と並んであった。
まあ当時、水洗の家はほとんどなくて、うちも汲み取り便所だったんだが、うちから
肥を運んだことはないんだ。でも誰かが補充してたらしく、いつもいっぱいに

なってた。神社の神主一家がやってたんじゃないかと思うがはっきりとはわからん。
これを午前10時ころ母親が、夕方5時過ぎには仕事から帰ってきた父親が、
小桶にひしゃくで汲んで、畑にまんべんなく撒く。
それが終わると土に額ずいて何かをごにょごにょと唱える。そんな具合だった。
でな、これも不思議で、親父は役場の職員、つまり公務員だったんだが、
どういうわけか毎日4時前には帰ってきてたんだ。その畑番の1年間だけな。
だからもしかしたら、何らかの了解事があったのかもしれない。

どうしても親父が抜けられないときもあったが、
そいう場合は当時まだ健在だったじいちゃんが畑に出てたな。
肥を撒くことについては、1度学校でからかわれたことがあるんだよ。
俺は4月に入学した一年生だったが、同じクラスのやつに。小さな町だから、
小学校は3つで、中学のクラスも知ってるやつばっかだったけど、違う小学校から

来た同級生に「お前の家で、畑に肥かけてるんだろう、臭くねえか」ってな。
そんときは「ああ、そうだよ」と言ったが、家に戻って親にそのことを話したら、
すぐに親父がそいつの家に電話をかけて、そしたら1時間くらいして、そいつが
両親に連れられてきた。それだけじゃなく、神主や町議なんかも家に来たんだ。
そいつは来たときにはすでに、殴られたらしく頭がぼこぼこになってたが、

さらに俺の見ている前でそいつの父親に手ひどく

平手打ちされ、玄関先で土下座させられたんだ。

「許してください。心ないことを言いました」そう言えって教えられたんだろうが、
泣きながら謝られ、まわりの大人は何も言わずにきつい目つきで見てたんだよ。
さすがに気の毒だったし「いいよ。いいよ」って言ったけどな。そういうことから
考えると、畑番は町ぐるみで特権みたいなのを与えられてたんじゃないかって思う。
あとはそうだな。鹿のことがあったか。畑を荒らしにきた鹿だと思うんだが、
それが畑の柵の前でひざまずくようにして死んでたっていう話なんだ。
俺は直接見たわけじゃないけどな。親父が畑から戻ってきて電話して、
町の若いもので運びだしたらしい。まだ若い鹿だったそうだけど、
「畑の毒にあてられた」って、親父の話には出てきてた。で、俺自身は畑番には
ほとんどかかわらないでいたんだが、10月の始めに神社の祭りがあったんだ。
そのときに何も植えていない畑の「収穫」があるってことだった。

その前、1週間くらいのときに、親父が俺に「お前こないだの誕生日で13歳に
なったんだよな」って聞いてきた。「そうだよ」って答えたら、「じゃあ収穫の

ときに立ちあってみるか。 次に番が回ってきたときのこともあるしな」

こう言った。「次ったって60年に一度なんだろ。俺はそんときにはじいさんに

なってるし、やらなくて済むんじゃないか」  「いや、町は今、過疎が進んでる

から、案外に次は早く来るだろ」こういう話になって、収穫に立ちあうことに
なったわけ。で、神社の祭り自体は派手なことは何もないんだ。神主が祝詞を

唱えて、その年の新穀を捧げるだけだ。その後に畑の収穫がある。町長をはじめ、
町の主だった人はみな顔を出してたな。来ないのは小中学校の校長とか、そっちの
関係くらいだった。それがみなでぞろぞろと畑に向かう。時間は4時近くだった。
畑は遠くから見たことがあるだけだったが、そのときは柵のまわりに杭が打たれて、

紫色の幕が張り巡らされていた。歩きながら神主が、「晴れてよかったですの、
そちらで心を込めて畑のお世話をしたおかげで」こんなことを言い、
親父が「いや、恐縮です。町のみなさんの盛り立てがあればこそ、なんとか無事に
終えられそうです」神主が先頭になって幕をくぐり、その後俺の両親、
じいちゃん、俺。それから町長や町議、郵便局長とか。中は変哲もない畑なんだよ。
よく手入れがしてあって、雑草一本生えてなかった。畝の土は乾いてたが、
かすかに肥の臭いがしてたよ。でな、神主と親父が柵の隅にある掘っ建て小屋から、
鋤と鍬を一丁ずつ持ちだして、「今年の芽はどれだろう」とか言いながら、畝の間を
歩き始めた。やがて中央やや東側で神主が「これが芽ですろう」と言い、サクリと
鍬を入れて整った畝を崩し始めたんだ。その途端、ギャーッという悲鳴が
響き渡ったんだよ。崩した土の中から、大きな半円形のものが出てきたんだ。

全体としては亀の甲羅に似てたけど、表面がぼこぼこ盛り上がっていて・・・
人の顔がいくつも立体的に浮きだしていたんだ。それらの顔は口を開け、目をむいて
悲鳴を上げてた。「まずは、ひと鍬」神主がそう言って鍬を振り下ろした。
続いて親父が。そのときには、町長が先導して他の人を一列に並ばせてた。
母親、俺、町長自身、あとは町の役職で偉い順に。俺は母親について親父の
とこまで行き、母親が親父から鍬を手渡されて、地面のものに振り下ろした。
亀の甲羅のようなものは土から半分出た状態でグルングルン動くんだよ。
母親の鍬は女の人と思える顔に突き立って、ザッと血がほとばしった。甲羅は

その衝撃で大きく動いて、幼い女の子じゃないかと思える顔が上に出てきた。俺は

母親から鍬を渡され、ためらっていると「これは人じゃないから」とささやかれた。
怯えた目でこっちを見ているその顔に・・・振り下ろすしかなかったんだ。

鍬は順々に手渡されていき、断末魔の悲鳴の中で、その場の全員がひと鍬

入れたときには、畑の土は血でぐっしょりと濡れ、亀の甲羅は原型を

とどめないほどぐちゃぐちゃになっていた。動かなくなったそれを前にして、

神主が「今年も芽を摘みました」と儀式めいた口調で言い、

親父が「はい、摘みました」って答えた。それから全員が、
他の部分の畝が壊れるのもかまわず、丸くなってその場所を取り囲み、神主が
1時間近くも祝詞を唱えたんだよ。まあこんな話だ。その後はどうなったかは
聞かないでくれ。まだもちろん町はあるし、畑番も行われているから。
親父の言ってたとおり、過疎のせいで畑番の家は20数件まで減っているようだが。
俺は東京の大学に入ることになって、そんときに弟に家督を譲る念書を書かされた。
だから家は弟が継いで、俺は盆正月にときたま帰る程度なんだ。
もうすぐ弟に畑番がくるようだが、そのときは帰らないつもりでいる。