変な題名ですが、「怖い世界史」のカテゴリに入る内容です。
比較的 地味な内容なので、スルー推奨かもしれません。
さて、近代(日本の明治維新から第2次世界大戦まで)で、最も波乱に富む
生涯を送った人を一人あげろと言われたら、自分は迷わず、
ロマノフ朝第14代にして最後のロシア皇帝、ニコライ2世と答えます。

ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ


この人は、すごいトラブル・メーカーなんですよね。
ただし、自分から好んでトラブルを起こすわけではなく、
トラブルのほうから、この人物に向かって寄ってくるという感じです。
しかも、オカルトめいた話題にも事欠きません。

まず、最初にあげられるのは、皇太子時代に日本で起きた「大津事件」
でしょうか。1891年、ニコライ2世の世界旅行の最後の訪問地として、
日本に寄港。長崎から京都に向かう途中の大津で、警察官 津田三蔵が
サーベルで斬りかかり、頭蓋骨にヒビが入る重傷を負わせました。

これが大津事件です。津田は、2人の車夫によって取り押さえられます。
大国ロシアに配慮した明治政府は、津田を、日本の皇族に対する

罪である大逆罪で死刑にしようとしましたが、
大審院院長、児島惟謙は、一般人に対する謀殺未遂罪を主張します。

津田三蔵
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結局、議論の末、それが認められ、最高刑である無期懲役に処されました。
これにより、日本政府による圧力から司法権の独立が守られたと
評価する人もいます。で、津田三蔵がなぜニコライを襲ったのか。
これは、日本に干渉するロシアに対する反感が、最も大きな動機でしょう。

ただ、一説には、西南戦争で自決したはずの西郷隆盛が、
じつはロシアに逃れており、ニコライとともに帰国するというデマが
日本中に流れていて、西南戦争で勲章を授与されていた津田は、
もし西郷が帰還すれば、自分の勲章も剥奪されるのではないかと
おそれていたため、という話があります。

この事件のため、ニコライは終生、傷の後遺症と頭痛に苦しむようになり、
日本人に嫌悪感を持ち、ことあるごとに「猿」
と呼ぶようになります。そして、この蔑視が後の日露戦争に

つながっていったのは間違いのないところです。

さて、その後、ニコライはアレクサンドラと結婚し、1896年、
皇帝の戴冠式を行うわけですが、そこで「ホディンカの惨事」と呼ばれる
事件が起きます。モスクワ郊外のホディンカの平原に設けられた即位記念会場を
訪れた50万の大群衆の中で、順番待ちの混乱から将棋倒し事故が発生し、
1400人を超す死者が出たんですね。

ホディンカの惨事


しかし、新皇帝と皇后は何ごともなかったかのように祝賀行事に出席するなど、
事件への対応は、国民からは「冷淡」「無関心」とも取れるもので、
ロシア国民、特に貧困層の反感を買うこととなり、
後のロシア革命の遠因になったとも言われています。

トラブルはまだまだあります。兵士が武器を持たない10万の群衆に発砲し、
2000~3000人の死者を出した「血の日曜日事件」、
映画になった「戦艦ポチョムキンの反乱」事件などです。もちろん、
東洋の島国に、バルチック艦隊が壊滅させられて敗戦した日露戦争もそうです。

さて、ニコライの末子、皇太子アレクセイは血友病患者であり、当時は
有効な治療法がありませんでしたが、その祈祷にあたったのが、
帝政ロシア最大の怪物とも言われる、グリゴリー・ラスプーチンです。
皇帝一家が、ラスプーチンを「我らの友」と呼び、絶対の信頼を寄せたことから、
ラスプーチンは政治に口をはさむようになり、陰で大きな権力をふるいました。

グリゴリー・ラスプーチン
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もちろん、周囲がそれをそのままにしておくはずがなく、
ラスプーチンは暗殺されるんですが、毒を飲ませ、ピストルで撃ち、
首を絞め、さらに氷の張った川に投げ込んでも、
まだ生きていたというオカルト話が残っていますね。

さてさて、そうこうしてるうちにロシア革命が起き、ボルシェビキによって,
皇帝一家は捕らえられ、幽閉されます。ウラジーミル・レーニンは、
皇帝一家の殺害命令を出し、皇帝、皇后、5人の子女は殺されて
しまうんですが、ここで、最後のオカルト話になります。

皇女アナスタシア


皇女アナスタシアの生存説です。何人もの女性が、自分が

アナスタシアであると主張し、その証拠の品を示しているんですね。

これは、ソ連が「ニコライ2世は処刑されたが、他の家族は

安全な場所に護送された」という噂を流し続けたせいが大きいようです。
しかし近年、皇帝一家全員の遺骨が確認され、
生存説には終止符が打たれることになりました。

かなり端折って書いたつもりですが、だいぶ長くなってしまいました。
ここで書いたのはほんの一部分で、ニコライ2世のいくところ、
トラブル、トラブルの連続で、たくさんの血が流れています。
いくら共産主義革命のさなかと言っても、こんな人は珍しいですよ。
では、今回はこのへんで。