っっきう

今回はこういうお題でいきます。
さて、日本のSFには昔から「神もの」と言っていいような作品群が
ありました。小松左京氏や光瀬龍氏なども書いていますが、
やはり有名なのは山田正紀氏の『神狩り』シリーズでしょう。情報工学の
天才が、古代文字解読のために訪れた弥生遺跡で落盤事故があり、

神のような惑星ソラリスの海
っきおうy

彼がそこで意識を失う前に見たものは、
関係代名詞が13重にも入り組んだ複雑な文章であり、
それは絶対に人間に理解できるものではなかった・・・
この作品で登場するのは、この世を自由自在に操ることができる神、

しかも面白半分に人間にもて遊ぶ「邪悪な」神だったのです。
これに気づき、神と戦うためのメンバーが集うものの、
神の力はあまりに強力であり・・・この古代文字もそうなんですが、
神はわざと自分の存在を暗示させる証拠を、
あちこちに埋もれさせておき、

不幸にもそれに気がついたものは、
悲惨な人生の最期を迎えることになります。
欧米でも「神もの」的な作品はないわけではないですが、ここまで
邪悪な神というものをストレートに描いた作品は珍しいと思います。

ははは

昨夜の話でも書きましたが、神は基本的に善であり、神に反抗する
悪の軍団という二元論的な作品が多いのは、キリスト教圏の
文化的な背景を考えればしかたがないのだろうという気がします。
それに物語的にもなかなか成り立たせるのが難しいものがあります。

神が全知全能であるのならば、これと戦うというのは不可能に
近いですよね。神に抗ったものが次々と悲惨な末路を迎えてしまう、
といった話になりかねません。
物語の悪役に据えるには、あまりに強大すぎるのです。

そこで、神のかわりに宇宙人が使われることが多かったのでは
ないかと思います。人間の進化の歴史は、
実は宇宙の知的生命体によって操作されていた、
というような内容で、三島由紀夫が褒めた、
アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』。



(これには、地球にかかわり続けたオーバーロードたちの姿が、二本の
角と翼ととげの尾を持つ悪魔の姿であった、というきつい冗談が出てきます)
同じ作者の、映画化された『2001年宇宙の旅』もそうですし、
かなりブラックな内容ですが、カート・ヴォネガットの『タイタンの妖女』
など、ざっと考えただけでもいくつも例をあげることができます。

次に登場したのが、サイバーネッワークものです。
世界をつなぐコンピュータ・ネットワークが独自の意思を持ち、
人類に対抗してくるといった話。これも、もし電脳部分を持つ
機械類がすべてネットワークの傘下に入って、
自在に操られるのならかなり強力です。

『ターミネーター』
っっkじう

核ミサイルを積んだ原潜なども支配下に入ってしまうわけですから。
この設定で描かれているのが、映画の『ターミネーター』シリーズです。
さらに時間テーマもからんでいましたね。未来から過去に
遡ってきたターミネーターの右腕のチップが、人類を絶滅させようと
造反した、人工知能スカイネットの誕生につながっていきます。

それと仮想空間ものです。好例が『マトリックス』でしょう。
これもコンピュータの反乱により、人類の大部分は培養器に入れられて、
コンピュータの動力源となりながら、普通に
日常生活を送っている現実としか思えない夢を見させられています。

『マトリックス』


なぜわざわざ生かしておくかというと、
人間の生体電気を機械のエネルギー源にしてるんですね。
その夢の中がいわゆる仮想空間なのですが、
そこで起きることは、すべてコンピュータの意のままに・・・

さてさて、どうでしょうか、これは実際の世界の神と人間の関係に
似ていますよね。ただし、全知全能の神ならミスはしないでしょうが、
コンピュータのプログラムには、エージェント・スミスのような

グが現れます。0/デバッグはなかなか難しいようでした。

『キューブ2』