今回はこのお題でいきます。けっこうオカルトに関係がある内容です。
カテゴリは「怖い世界史」に入るでしょうか。
さて、まず、聖アントニウスとは何者かについてお話します。
「聖」とあるとおり、アントニウスはキリスト教初期のころの聖人です。
3世紀のエジプトに生まれ、修道士生活の創始者とされています。

聖アントニウス


ただ、その生涯は伝説に彩られていて、どこまでが実際のところなのか
よくわかってないんですね。裕福な両親のもとに、
キリスト教徒として生まれたものの、20歳になったころに両親が次々に亡くなり、
アントニウスは全財産を貧しい者に分け与え、砂漠に入って苦行生活を始めます。

そして、ときおり町に戻っては、辻で説教をする。その言葉に共感した者たちが
弟子となり、砂漠に生活する家を建てて共同生活を始める。
これが、最初の修道院であるとされます。
そして、このアントニウスの行動を悪魔が眼にとめます。

悪魔は、アントニウスの覚悟をためそうと、美しい女に姿を変えて誘惑しますが、
アントニウスは禁欲の誓いをもって、これをはねつけます。
次に、悪魔の一団がアントニウスを襲い、病気などのあらゆる苦しみを与えて、
神を捨てるように迫ります。しかし、アントニウスはこれも退けます。

このときの様子が、宗教画のテーマとして画家たちの興味をひき、
「聖アントニウスの誘惑」の題で、ヒエロニムス・ボス、グリューネヴァルト、
デューラー、ブリューゲル、サルバドール・ダリなどの画家が描いています。
下は、ヨースト・ファン・カースベーク のものです。

「聖アントニウスの誘惑」


さて、ここまでが基礎知識なんですが、では「聖アントニウスの火(業火)」
とは何かというと、中世ヨーロッパに存在した病気のことです。
これは伝染病ではなく、小麦に寄生した麦角(ばっかく)菌を
食べてしまうことによって起こります。
麦角菌は毒性のあるアルカロイドをつくり出すんですね。

症状はかなりきつく、痙攣性の発作に襲われたり、呼吸困難や、
手足の末端に焼けつくような痛みがあります。この段階で、
幻覚を見るとも言われます。やがて症状が進むと、
手足の先端から壊死が始まり、四肢がくずれ落ちていきます。

この病人の様子が、悪魔に苦しめられている聖アントニウスと重なり、
「聖アントニウスの火」がこの病気の名前となったわけです。
医学知識の乏しかった当時は、この病気は伝染病と誤解されました。
原因が麦角アルカロイド中毒にあると判明したのは17世紀のことです。

麦角菌(黒変部分)


で、この病気にかかった者は、聖アントニウスを信仰し、
その遺物にふれると治ると言い伝えられました。
フランス北部のストラスブールにある、聖アントニウスゆかりの修道院には、
この病気にかかった者たちが、たくさん巡礼に訪れました。

そして、その旅の途中で治ってしまうことが多かったんです。これは、
当時は奇跡とも考えられていましたが、現代の目から見れば、
なんのことはない、故郷を離れることによって、
麦角菌におかされた食物(主に粉に挽かれた小麦)を
口に入れることがなくなり、中毒が治まるからです。

「聖アントニウスの火」にかかった人物
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ちなみに、日本では麦角菌を原因とした病気はほとんど見つかっていません。
これは、麦角菌が稲には寄生しないからですが、太平洋戦争中の食糧難時代、
岩手県で、笹の実を食べた妊婦が次々に流産するという事件が起こり、
麦角菌によるものではないかと疑われています。

さてさて、「聖アントニウスの火」は、魔女と深い関係があります。
こっからオカルトの内容になりますので、ご注意ください。
まず、麦角菌アルカロイドは、魔女によって堕胎の薬として使われた
という話があります。ご存知のように、キリスト教では堕胎を禁じています。

そこで、子どもを生むことができない妊婦は、森のなかに住む魔女のところを
訪ね、麦角菌を処方してもらって、子どもを堕ろすわけです。
さらに、麦角菌アルカロイドの幻覚作用は、魔女の宴であるサバトのときに
利用されていたのではないか、という話もあります。

アメリカの開拓時代である1692年、マサチューセッツ州セイラム村において、
200名近い村人が魔女として告発され、19名が処刑、
1名が拷問中に死亡、2人の乳児を含む5名が獄死しています。
この事件を「セイラム魔女裁判」と言います。

「セイラム魔女裁判」


きっかけは、牧師の娘が、友人らとともに親に隠れて降霊会に参加している最中、
急に暴れだしたことからです。この状態は、降霊会に出席した少女たちに、
次々に伝染。そして悪魔憑きと診断されて、騒ぎがどんどん拡大していきました。
この原因が、麦角アルカロイド中毒によるのではないか、という説があるんですね。

ただし、現代の日本でも、コックリさんを行った少女らが、
次々に錯乱して倒れたという話もあり、集団ヒステリーによるものと見ることが
できます。根拠はありませんが、どっちかと言えば、
このほうが正しいんじゃないかと自分は考えます。では、今回はこのへんで。

「聖アントニウスの誘惑」 サルバドール・ダリ