大仙古墳(仁徳天皇陵)

政府は14日未明、国連教育科学文化機関(ユネスコ)諮問機関のイコモスが、
世界文化遺産に「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府)を登録するよう
勧告したと明らかにした。アゼルバイジャンの首都、バクーで開かれる
ユネスコ世界遺産委員会の審査で、登録可否が決定される。

登録勧告は尊重されるのが通例で、登録はほぼ確実となった。陵墓が
世界遺産になるのは初めて。登録が正式に決まれば、国内の世界文化遺産は
19件、自然遺産を含めた世界遺産は計23件となる。大阪府では初めて。

百舌鳥・古市古墳群は、百舌鳥エリア(堺市)と古市エリア
(羽曳野市、藤井寺市)の計49基で構成。古墳時代最盛期の
4世紀後半から5世紀後半、大陸と行き来する航路の発着点だった
大阪湾を望む場所に築造され、航路からの眺望を意識したとみられる。
(産経新聞)


今回はこのお題でいきます。科学ニュースに入ってたんですが、
科学ニュースとはちょっと違う気がしますね。
これはユネスコの機関に日本側から諮問していたもので、世界文化遺産に
なるのは確実と見られますが、いろんな問題をはらんでいます。
それにしても、大阪府で初というのは意外です。

百舌鳥・古市(もず ふるいち)古墳群は、5世紀を中心に約230基の
古墳が築かれたとされていますが、戦後復興や高度経済成長に伴う開発で
多くの古墳が破壊され、今は89基に減少しています。
世界文化遺産になれば、しっかりとした保全が求められますが、
これほど都市のどまん中にある世界遺産は類例がありません。

前方後円墳を中心とする古墳群は、それまでは奈良にありましたが、
そこから築造の中心が大阪に移ってきたんですね。
これは引用記事にあるとおり、船がつく大阪湾に巨大な古墳を築いて、
来航者に見せつけようとする意図があったためと推測されています。

民のかまどの煙が立たないのを憂えたとされる、仁徳天皇


さて、まず最も大きな問題ですが、世界遺産として世界に公開していく
ためには、きちんとした調査が求められます。その遺産にどういう歴史的、
文化的意義があるのか、押さえておく必要があるのは当然ですが、
巨大古墳のほとんどは、宮内庁によって調査が禁じられています。

基本的に立ち入りは禁止で、一般公開はされていません。発掘は、
墳丘保護を目的にした範囲にとどまり、被葬者を納めた石室などの
調査は行われてはいません。これは宮内庁の、「陵墓は皇室の祖先の
お墓として祀るべきものである」という見解によります。

井沢元彦氏


このことについて、作家の井沢元彦氏は著書において、
「宮内庁は、古墳の調査は墓を荒らすことになって不敬だと言うが、
そもそもその陵墓に、どの天皇が葬られているのかは宮内庁が
勝手に決めたもので、実際はそうでない可能性が高いものが多い。
墓をとり違えて祀っている宮内庁自体が、最も不敬なのではないか」

こういった過激な意見を述べておられて、それには自分も
賛同する部分もあります。陵墓の被葬者について、
宮内庁と研究者の見立てが異なっているものは多数あるんです。
多数というか、ほとんどがそうだと言っても過言ではありません。
ですが、宮内庁では名称等を変更する気はないようです。

ですから、以前は「仁徳陵古墳」と呼ばれていた日本最大の陵墓は、
現在、学術的には地名をとって「大山(だいせん)古墳」とされます。
卑弥呼の墓の説がある「箸墓古墳」も、研究書では
「箸中山古墳」と書かれることが多いんですね。

さらに、近年の歴史学の流れとして、『日本書紀』に記されている
王統譜も疑われているんです。どういうことかというと、
かつて、「倭の五王問題」というのがありました。宋の歴史をまとめた
『宋書』に、中国に朝貢してきた倭人の王「讃・珍・済・興・武」の
5人の名前が出てきて、それが記紀の誰にあたるかという研究です。

「倭の五王問題」 『日本書紀』の系譜はどこまで正しいのか?


以前は、「讃が仁徳天皇」 「武が雄略天皇」などと活発に議論が
かわされていたんですが、現在は下火になってしまいました。
なぜかというと、そもそも『日本書紀』の王統譜は信じられるものか、
もっと言えば、本当に仁徳天皇なんて人物はいたのか?
という疑問が出てきてるからです。

自分はこの考えにおおむね賛成です。『宋書』の記述は信憑性が高い
と思いますが、記紀の王統譜は、第26代の継体天皇以前は
そのまま信じるのが難しく、記紀に伝えられる干支や系譜をもとに
倭の五王を推定するという試みは意味がない、
という考えが主流になってきてるんです。

さて、応神天皇や仁徳天皇については、その治世の時代が、
大陸から騎馬文化を受容する時期と重なっていることから、もとから
日本に住んでいた人物ではなく、大陸から来た征服王朝の王ではないか、
とする意見があります。たしかに、このあたりの『日本書紀』の記述は
不自然で、年代を操作するなど、疑われてしかたない部分があると思います。

誉田御廟山古墳(応神天皇陵)の陪塚(丸山古墳)から出土した遺物


ですから、「応神天皇の古墳を発掘すると、日本の皇室にとって不都合な
ものが出てくる可能性が高い、それで発掘が行われないのだ」とする
うがった見方もあるんです。自分はその可能性は少ないと思いますが、
もしそうだとしても、事実を明らかにすることは大切です。

ただ、もし宮内庁の許可が出て、これらの巨大古墳が発掘されるとしたら、
莫大な費用が必要になります。その費用はいったいどこから出るのか?
また、発掘工事にともない、市民生活にも影響が出るでしょう。
遺跡を発掘する基本は、現在の生活にできるだけ影響を与えないことなので、
そのあたりのからみも難しいんです。

このまま世界文化遺産として認められれば、これまで以上に景観保護も重要に
なります。現在、堺、羽曳野、藤井寺の3市は、古墳周辺にバッファゾーン
(緩衝地帯)を設定し、建築物の高さ規制や景観規制などを行っていますが、
それがますます強化されることになるんでしょう。

さてさて、ということで、百舌鳥・古市古墳群がかかえる諸問題を
見てきましたが、景観を保ち、陵墓としての尊厳を守りながら、
どこまで情報公開が可能なのか、大変難しい話だと思います。
では、今回はこのへんで。