今回はこういうお題できます。比較的地味な内容なので、
スルー推奨かもしれません。『平家物語』はご存知だと思います。
たしか中学校の国語で出てきてましたよね。
鎌倉時代の軍記物語で、作者は不詳ですが、吉田兼好の『徒然草』には、
「信濃の前司 行長」という人が書き、生仏(しょうぶつ)という
盲目の僧に教えて語り手にしたと、かなり詳細に出てきています。

吉田兼好


リズムのよい七五調の「和漢混淆文」で書かれていて、
平曲(へいきょく)として琵琶に乗せて語るのにぴったりです。
平氏が興って、清盛を中心に栄華を極め、最後に壇ノ浦で
滅亡するまでを描いて、まさに題名そのものの内容です。

さて、この『平家物語』ですが、滅亡し、怨霊化した平氏の無念を鎮める
目的で書かれたのではないか、という説があります。
作家で、『逆説の日本史』で歴史論も展開されている井沢元彦氏などが
唱えておられますが、これについて、自分は半分くらいは賛成です。

まず、なぜ平氏が怨霊化したとされるかというと、巨大な天変地異が
起きているからです。壇ノ浦の合戦は1185年4月のことでしたが、
そのわずか4ヶ月後、巨大な地震が、京の都を中心とした関西地方を
襲いました(文治地震)。鴨長明の随筆『方丈記』に詳述されています。

鴨長明


マグニチュード7レベルで、震源域は不明。
地が割れて地下水が吹き出し、京都近辺の建物はすべて倒壊し、橋が落ち、
余震が2ヶ月以上も続いたとなっています。
ただ、鴨長明は、これが平氏の怨念によるとは書いていませんね。

さらに、平氏追討に暗躍した後白河法皇が1191年に病を得ます。
腹に水がたまってたいへんな苦しみだったようです。
ただちに平癒祈願の祈祷が行われ、壇ノ浦で入水した安徳天皇の御堂も
建立されますが、平氏一門への怨霊鎮めは、公的にはありませんでした。

これは、基本的に、平氏は貴族ではなく武士だったためと思います。
武士は戦いをするのがその存在意義ですし、また、勝敗は時の運。
ですから、敗れたからといって、怨念を持つべきものではなかったはずです。
それまで、怨霊として考えられたのは、早良皇太子や崇徳上皇、
菅原道真などの皇族や貴族でした。

 



とはいえ、超自然的なことがふつうに信じられていた当時にあって、
平氏の滅亡と、大地震は関係があると、おそらく誰しもが思いますよね。
そこで、公的には罪人になっている平氏を、鎮魂の書を編むことで、
密かにとり鎮めようとしたというわけです。

ここまでは、十分ありそうに思います。ただ、武士である平氏に対しては、
神道で神に祀り上げるのではなく、仏教の「無常観」を用いて、
説得しようと試みたんでしょう。「無常観」は、「この世のものはすべて
うつろい、常に同じくとどまるものはない」という考え方です。

鎮魂の書説では、『平家物語』編纂の黒幕は、当時の仏教界の頂点であった、
天台座主の慈円(じえん)ではないかと考える人が多いようです。
『徒然草』には、最初に出てきた「信濃の前司 行長」が、
慈円のもとに身を寄せていたと記されています。

慈円


また、慈円の兄、九条兼実の日記『玉葉』には、「下野守 藤原行長」という
人物のことが出てきます。下野と信濃の違いはありますが、
この藤原行長が、『平家物語』の作者である可能性は高いように思います。
慈円は当時の後鳥羽天皇と、深いつながりがありました。
慈円が、天皇の意をくんで、藤原行長に命じて『平家物語』を書かせた。

さて、平家物語の内容は、かならずしも源氏が善で、
平氏が悪となっているわけではありません。平氏に中にも

好人物がいれば、源氏の中にも悪人がいるという具合で、
勧善懲悪的に描かれているということではないんですね。
ただ、一つ一つのエピソードが、じつに美しく語られます。

その中で、平氏一門に対して、お前たちが戦いで死んだのは
武門のならいなのだ、怨むなどと馬鹿なことは考えず、成仏しなさい、
という説得がなされているというわけです。まあ、ここまでのところは
自分にはあまり異論はありません。そうなのだろうなと思います。

安徳天皇


ただ、『平家物語』が、霊的に怨霊を鎮めるためだけのものだとも

思いません。ご存知のように、源氏の勢力基盤は関東であり、
平氏は西国に根をはっていました。ですから、平氏の残党は

壇ノ浦の後も、日本の各地に残っていたと考えられます。

そこで、『平家物語』を習い覚えた琵琶法師たちが、全国に散らばり、
平曲を語ることによって、霊だけでなく、現実的な反乱をも

抑えようとする意図があったんじゃないかと考えるんですね。
実際、平氏の残党が蜂起するなどの事態は起こりませんでした。

さてさて、では、平氏の怨霊は鎮められたんでしょうか。
これはなんとも言い難いですね。平氏の落武者伝説はあちこちにありますし、
江戸時代でも、小泉八雲が説話をもとにして、怪談『耳なし芳一』を書いています。
ですから、平氏の無念という感覚は、民衆の間にはずっと残っていたと
言えるんじゃないでしょうか。ということで、今回はこのへんで。