箱の中の猫が生きているのか死んでいるのかは

「観測」によって決定されるという、ある意味で衝撃的な

認識を我々に突きつけているのがご存じ、量子論の知見である。

そしてこの広大な宇宙もまた、我々の観測に基づく意識によって
形作られているのだと主張する声が、日増しに強まってきているようだ。

そもそも近代に入るまで人類は正確な世界地図を持っていなかったが、
今日ではGPS技術を活用した測定で地球上のどの地点も正確に特定することが
できるまでになっている。地球上の地理情報をここまで把握できるように

なったのは、人類がそう望んで深く関与してきたからにほかならない。

そして現在、我々がその実態を詳細に知ろうと望み積極的に関与し
「参加」しているのが宇宙開発である。宇宙の謎にチャレンジ真っ最中の

人類だが、そもそもこの宇宙は未踏の「開拓地」などではなく、
我々の「想像の産物」なのだと主張する声が根強いことはご存じだろうか。


これは「参加型宇宙論」や「参加型人間原理」と呼ばれている考え方で、
アメリカの物理学者、ジョン・ホイーラー博士が最初に提唱した。

(Rakuten news)



これ、だいぶ前のニュースなんですが、ずっと取り上げようかどうしようか

迷ってました。というのは、自分にはよく意味がつかめないからです。
「何だ、ちゃんと理解してないことをブログに書くなよ」と言われそうですが、
まあ、オカルトブログでもあることですし、みなさんにも
ごいっしょに考えていただきたいと思いまして。

さて、「人間原理 anthropic principle」という考え方はけっこう古くからあって、
1961年に、アメリカの天文学者、ロバート・H・ディッケによって

唱えられました。ディッケは、宇宙の年齢は100億年以上でならなければ

ならないと推測し、その根拠として人間の存在をあげています。

人間のような生命が生存可能な宇宙であるためには、
宇宙の始まりであるビッグバンから、
100億年以上たっていないと素粒子などの環境が整わない、

ということです。まあ、この論法は理解できないことはないですね。
デイッケの考えは、現在では「弱い人間理論」と言われています。

 

ロバート・H・ディッケ



で、「弱い」があるんだから「強い人間理論」もあるんだろうと

思われるでしょうが、もちろんあります。物理学者のブランドン・カーターが

1968年に提唱したもので、「知的生命体が存在しえないような宇宙は

観測されえない。よって、宇宙は知的生命体が存在するような構造を

していなければならない。」という考え方です。

みなさん、これ、どう思われますでしょうか。

たしかに、ビッグバンのときの初期速度が、
ほんの少しでも早かったり遅かったりすれば、
光速度やプランク定数などの物理定数が現在とは違っていて、銀河の星々が

つくられることはなく、人間やその他の生命は存在できなかったでしょう。
人間が存在できるような宇宙になる確率は、ものすごく低いんですね。

ただ、自分は、これが自然科学の理論かといえば、違うんじゃないかと思います。
哲学の分野に入るんじゃないでしょうか。この人間原理を支持する

天文・物理学者はそれなりにいまして、当ブログでよく登場する

ホーキング博士も、弱い人間原理の支持者の一人と言えるでしょう。

 



さて、人間原理の宇宙論には、2つの特徴があると考えます。
一つは「結果から始まりを考える」というものです。
現在、われわれ人間がいるのだから、この宇宙は、人間が生まれるべき

過程をたどってできてきたのだ、という究極の結果論です。

もう一つは、「観測の重要性」ですね。上記引用にはシュレディンガーの猫の話が
出てきますが、われわれが観測をするから、宇宙はわれわれが観測した形に
決まってくるというような考え方。逆に言えば、観測するものがいなければ
宇宙は存在しないと同じことだ、というわけです。
うーん、頭のいい人たちが考えることは難しいですね。

さて、今回ご紹介している「参加型宇宙論 participatory universe」は、
アメリカの物理学者、ジョン・ホイーラーが提唱したものです。
ホイーラーはアインシュタインと共同研究もしており、ブラックホールの概念形成を
するなど、多くの業績をあげた人で、けっしてトンデモ博士ではありません。

 

ジョン・ホイーラー



参加型宇宙論では、「この宇宙は、人間が観測することによってできていくものだ。
宇宙が人間に影響を与えるのと同様に、人間が宇宙に対して影響を与えている」
と言われます。われわれが宇宙の膨張を観測したことにより、
宇宙はビッグバンから生まれたことになった、というわけですね。

ホイーラーによれば、宇宙も人間も、この世のあらゆるものは「情報」であり、
情報は、観測され、情報処理されてこそ意味があるものだとされます。
そして、情報同士はたがいに影響を与え合う。このホイーラーの考えは、

「ビットからイット It from bit」とも呼ばれます。例えば最近、

宇宙の膨張が加速していることが発見されましたが、これも、

われわれが観測したから宇宙膨張が加速した、と言えるのかもしれません。

さてさて、ということで、慎重に言葉を選んで、
できるかぎりわかりやすいように説明したつもりですが、
ご理解いただけたでしょうか。ここまで読み返しても、あんまり自信はないです。
自分のあいまいな理解では、全体(宇宙)は一部(人間)であり、逆に、
一部が全体でもあり、相互に影響を及ぼしている、
というようなことなんだろうと思います。

ただ、最近はマルチバース宇宙論などもあって、宇宙は、われわれが現在いる

ものだけではないとする仮説が出てきています。その中には、

宇宙を観測できる知的生命がまったく存在しないものもあるかもしれません。
では、それらの宇宙は、意味のない、存在しないと同様のものなんでしょうか・・・
なんだかどうどう巡りになってきたので、ここらで終わりにしますね。