ベリーなど実を結ぶ樹木の生存戦略は、その実を動物に食べてもらって
種子を拡散し、生育圏を拡大することだ。この生存戦略に基づき、
樹木の実は特定の動物種に向けて、「ここにいるよ! 私を食べて!」と
メッセージを発信していることが、徐々に明らかになっている。

草木と生物の絶妙な協力関係で成り立っているのが森の生態系だ。
豊かな森には実を結ぶ果物もよりどりみどりだが、
どうしてこれほどの種類があるのか。(tocana)


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今回は科学ニュースからこういうお題でいきます。トカナからの引用ですが、
けっこう真面目な研究ですね。さて、なぜ植物の一部が果実をつけるのか。
なんで、果実はおいしいのか。どうしていろんな種類があるのか。これ、
普段はあまり考えないようなことですが、その理由はおわかりですよね。

ただ たんに種をつくるだけだと、種はその場に落ちてしまい、
そこは親の木がある場所なので、過密になって成長できませんよね。
ですから、多くの植物は、できるだけ離れた場所に種をばらまきたいわけです。
これにはさまざまな戦略があって、例えばタンポポは綿毛をつくって、
パラグライダーのように種子を遠くまで飛ばします。

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果実も同じで、食べておいしいことで、とりにくる生物がいて、
その生物が種子を遠くまで運んでくれるわけです。このとき、
種子まで食べられては困りますので、固かったり苦かったりして、
みなさんがスイカを食べるときでも、種をペッペと吐き出しますよね。

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さて、研究を行ったのは、米デューク大学の進化生態学者である
キム・バレンタ氏をはじめとする国際的な研究チームで、ウガンダと
マダガスカルの自然公園において、果樹と果実食動物の関係を、
その実の色の観点から調べてみたんですね。

植物の果実は、それを食べるお得意様の動物がいます。
木の幹はつるつるしてたり、ごつごつと枝が多く登りやすかったりしますが、
その形態は、「お得意様」の動物が果実を採りやすいようになってるんです。
これはどうやら、果物の色にもあてはまるようです。

研究では、ウガンダの公園にすむサルたちは、人間同様、光の三原色を感知できる。
それに対し、マダガスカルのサルは、赤と緑の色の区別が困難な「赤緑色盲」
の遺伝子を受け継いでるんだそうです。で、それぞれの地域の果実の色を、
光学スペクトル分析で調べたところ、果物の色は、お得意様動物に
発見されやすいよう、最適化されていることが判明したんですね。



これは、なかなかすごいことですよね。植物に、果実を食べに来る動物が、
赤緑色盲だなんてことがわかるはずがないんですが、長い間の進化の結果、
その動物が発見しやすい色と形に変化して、
自らの遺伝子を広範囲にばらまくことが可能になっている。

この手のことは、他にもさまざまにあり、そういうのを見るにつけ、
自然のしくみってすごいなと感心することになります。
この研究では、植物の果実は、熟す前と熟した後の匂いの差が大きいことも
明らかになりました。匂いに変化つけることで、「完熟したよ! おいしいよ!」
とサルや鳥たちにメッセージを送っているわけです。

さて、話を変えて、哲学の大きなテーマの一つに、
「われわれはなぜ生きるのか? なぜ死ぬのか?」というものがあります。
この答えは多面的で難しいでしょうが、生物学からの解答として、
「遺伝子を運ぶため」というのが出されています。

リチャード・ドーキンス
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つまり、自分の遺伝子を子孫に残すために、われわれは生きているということです。
「私たちは遺伝子を運ぶ舟である」という言葉がありますが、
この考え方を強く主張しているのが、イギリスの進化生物学者・動物行動学者で、
現代の世界最高の知性の一人とも言われる、リチャード・ドーキンス博士です。
博士は、「ミーム」という新概念も生み出しています。

「自然選択の実質的な単位が遺伝子である」とする遺伝子中心視点を提唱し、
「生物は遺伝子によって利用される"乗り物"に過ぎない」という比喩を
著書に書きました。この考え方は、生物学界だけではなく、自然科学界全体に
大きな衝撃を与えましたが、と同時に、強い反発もあったんですね。

「われわれは、たんに生殖して子孫を残すために生きているのではない。
人生にはもっと崇高な目的があるはずだ」みたいな反論です。
たしかにねえ、そう言いたくなる気持ちはわかります。ドーキンス博士の考え方は、
種の保存と遺伝子の伝達を重要視するあまり、個人を進化の鎖の輪のように
見ているという批判が出てくるのは当然のように思います。

アイザック・ニュートン
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例えば、プラトン、アインシュタイン、ガリレオ、ダ・ビンチとか、
人類に偉大な貢献をした人物はたくさんいます。その中で、
アイザック・ニュートンなんかは一生独身で、子孫はいなかったはずです。
だからといって、ニュートンの生涯や業績が否定されることはありませんよね。
ドーキンス博士が言っているのは、あくまでも一つの答えでしかないんです。

さて、進化ということを考えると、もし自然界の目的が種の保存であるなら、
なぜわれわれは不死にならず、生殖して子孫を残すなどという回りくどい
方法をとっているのか。これは、環境の変化にすばやく対応するため

なんでしょうね。地球は長い歴史の中で、全凍結、地軸逆転、自転速度の変化、
小惑星衝突による環境の激変など、さまざまな試練を経てきています。



そこで生き残るには、生物の世代単位の短い期間での適応が必要だった。
また、同種間で異性をめぐって競争することで、強い遺伝子、優れた遺伝子が
生き残っていくという面は否定できません。「優生学」という言葉は
差別的だとしてなくなりましたが、その考え方は大きく間違ってはいないんですね。

さてさて、ここまでお読みになられて、どんなことを感じられたでしょうか。
「人は何のために生きるのですか?」という疑問に対し、
「親よりも優れた子孫を残すため」という答えで、
みなさんは満足できますでしょうか? では、今回はこのへんで。

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