今回はこういうお題でいきますが、はたしてどんなことが書けますでしょうか。
さて、夏目漱石をご存知でない方はいないでしょう。
文豪と冠される日本の小説家の一人で、『坊っちゃん』『こゝろ』『三四郎』
などが代表作。その作風は理知的で「余裕派」などとも言われました。



自分は、けっして漱石について詳しいわけではありませんが、
オカルト研究の観点からすると、夏目漱石に対しては、
「オカルトに強い興味を持ちながら、その中に本気で足を踏み入れる
ことがなかった人」というイメージを持っています。

まず、漱石の子ども時代は、たいへん怖がりだったという話が残って
いますね。ただこれは、そう珍しいことでもないでしょう。
漱石が本格的にオカルトと出会ったのは、1900年からの
官費での英国留学時だと考えられます。

この頃、イギリスは心霊主義ブームの真っ最中でした。
漱石の留学は、学費が少なく、苦しいものであったようです。
大学での講義を価値のないものとして、本を読みながら、
下宿を転々と変えているうちに、神経衰弱気味になって帰国しました。

漱石は、留学中にロンドン塔を訪問しています。ロンドン塔は、
テムズ川の岸辺、イースト・エンドに築かれた中世の城塞で、身分の高い者を
収容する監獄としても使用され、現在でも幽霊の噂が絶えない場所です。
霊能者を自称する宜保愛子氏が、TV番組の企画で訪れたことも有名ですね。

ロンドン塔


漱石は帰国後、そこでの体験を『倫敦塔』という短編作品として
発表していますが、作中で、ロンドン塔に幽閉され、おそらく殺されたと
考えられるエドワード4世の2人の男児や、17歳で処刑された
イングランドの「9日間女王」ジェーン・グレイの姿を幻視します。

しかし、これはあくまでも幻視であって、実際に幽霊を見たというわけでは
ありません。漱石は、上で書いたように、そちらの側には踏み込まない人でした。
ちなみに、宜保愛子氏のロンドン塔での霊視は、漱石の書いた『倫敦塔』の
内容とほぼ一致していることが指摘されています。



さて、漱石は催眠術に強い興味を持っていました。これは、大学在学中に、
イギリスの医療ジャーナリストである、アーネスト・ハートの
『催眠術』を翻訳していることからもわかります。
ただし、催眠術への関心は漱石だけの話ではなく、
明治中期に、日本で催眠術の大ブームがあったんですね。

で、催眠術を日本に広めた立役者の一人が、オカルト界ではたいへん有名な、
東京帝国大学助教授の心理学者、福来友吉博士です。
福来博士が文学博士号を取ったのは、「催眠術の心理学的研究」でした。
ただ、福来博士は催眠術にあきたらず、超心理学の領域にまで手を伸ばします。
漱石とは違って、オカルトの闇に踏み込んでいきました。

福来友吉


御船千鶴子や長尾郁子などの透視・念写の研究に没頭し、
いわゆる「千里眼事件」を起こして、大学を追放されてしまうんですね。
漱石と福来博士の間に接点があったかどうかはわかりませんが、
漱石がこの事件に興味を持っていたのは、間違いないと思われます。

漱石の催眠術に対する知識は、『吾輩は猫である』に出てきていて、
胃の不調に悩む苦沙弥先生が、知り合いの医師に催眠術をかけてもらいますが、
かかるふりをして、じつはかかっていないという笑い話として描かれています。
このあたりからも、催眠術の原理や弱点を漱石が熟知していたことがわかります。

さて、漱石は怪談も書いています。『琴のそら音』という短編ですが、
これなんか、漱石のオカルトに対するスタンスがはっきり出ている作品です。
筋は、主人公の書生が、幽霊を研究している心理学者の友人のところで、
出征している夫が持っていった鏡に妻の姿が映り、後になって、その瞬間に、

日本にいた妻が死んでいたことが判明したという話を聞かされます。

そういえば、自分の婚約者がインフルエンザにかかっていたことを思い出し、
主人公は心配になります。友人の部屋をでて夜道を帰る途中、雨がしとしと

降り出し、さらに葬式の一行に出会って、主人公は不吉な気持ちがいよいよ増し、
婚約者のことが気になってしかたがない。まあ、固定電話すらない時代の話です。

っっfhtrt

このあたりの漱石の描写はじつに巧みで、
読者も、婚約者はすでに死んでいるのではないか、という気になってきます。
主人公が家に戻ると、まかないの婆さんが迎えに出て、
今夜は犬の遠吠えが普段とは違っていると言いはります。

しかし、主人公が翌朝早朝、息せき切って婚約者の家を訪ねると、
婚約者のインフルエンザはとっくに治っていて、
なぜこんな時間に来たのか不審がられる・・・という内容でした。
最後の場面は、そこまでとはうって変わった明るい調子でしめくくられています。

さてさて、漱石はオカルトにのめり込むには、あまりに聡明すぎたのだと思います。
興味は持ちつつも、あくまで客観的・懐疑的なスタンスを崩してはいません。
漱石は、理知的であったがゆえに神経衰弱となり、それからくる胃弱に悩まされ、
最後は胃潰瘍の大吐血で命を落としてしまうんですね。
ということで、今回はこのへんで。