今回はこういうお題でいきます。みなさん「四谷怪談」はご存知だと思います。
「皿屋敷」「牡丹燈籠」と並んで日本三大怪談の一つとなっていますね。
(三大怪談には「真景累ヶ淵」が入る場合もあります)
では、歌舞伎の『東海道四谷怪談』についてはどうでしょうか?

まず、作者ですが、歌舞伎作者の四代目 鶴屋南北です。
彼の作風はケレン味にあふれ、舞台装置を工夫して観客をあっと驚かせる
のが得意中の得意でした。それは『東海道四谷怪談』においても十分に発揮され、
後に述べる「戸板返し」のシーンなどにうかがうことができます。

鶴屋南北 なかなかの色男


次に、外題の『東海道四谷怪談』について、なんで「東海道四谷」と
ついているんでしょうか? これ、いろんな説があってはっきりと

しないんですが、東京の、つまり江戸の四谷ではない、ということを

強調したいために、「東海道」がつけられてるみたいなんですね。

今の神奈川県藤沢市あたりに、当時、四谷という地名があって、
そこで起きた話ということのようです。じゃあ、なんで江戸を舞台にできない
のかというと、『東海道四谷怪談』は独立した話ではなく、『仮名手本忠臣蔵』

の外伝、サブストーリーという形で作られたものだからです。
(『仮名手本忠臣蔵』は、浄瑠璃作者の二代目 竹田出雲ら数名の合作)

『東海道四谷怪談』の初演は、文政8年(1825年)に江戸中村座で

行われました。このとき、『仮名手本忠臣蔵』と『東海道四谷怪談』が交互に、
2日間にわたって上演されているんです。で、『仮名手本忠臣蔵』は
赤穂浪人が主君の敵である吉良上野介を討ち取った史実が元になってるんですが、
江戸幕府の手前、そのままの形では上演することができない。

 



そこで、時代は南北朝時代、場所は鎌倉ということにして話が作られたんです。
劇中では、浅野内匠頭が塩冶判官、吉良上野介が高師直になっています。
これ、どちらも実在の人物で、高師直は『太平記』などでは、
悪逆非道の人物として描かれる、まあ歴史的な大悪役なんです。

さて、では『仮名手本忠臣蔵』と『東海道四谷怪談』がどう関係してるかというと、
お岩さんは塩谷判官の家臣の娘で、伊右衛門はその婿で塩谷浪人です。
本来は討ち入りに加わるべきであったのに、なんと、お岩を捨て、
仇討ちをあきらめて、高師直の重臣の娘と再婚してしまいます。
もうこれだけで、観客に憎まれる要素が十分です。

で、お岩さんにはお袖という妹がいまして、その夫が、『仮名手本忠臣蔵』の
四十七士の一人、佐藤与茂七なんです。最後の場面では、伊右衛門はお岩さんの
亡霊にさんざんに悩まされたあげく、与茂七に討ち取られます。
典型的な勧善懲悪の物語になっているわけです。

円山応挙の幽霊画


さて、ここまででだいぶ長くなってしまいました。
歌舞伎のシーンに話をうつしたいと思います。日本の幽霊は江戸時代に、
足がないというイメージが定着しました。
一説には円山応挙が描いた幽霊画が元になっていると言われます。

たしかに、足がなければ足音がしませんし、宙に浮いたり、滑るように

動いたり、怖さが引き立つ感じがしますね。で、歌舞伎でもこれを踏襲して、
お岩さんの衣装には、「漏斗 じょうご」と呼ばれる特殊なものが用いられ、
腰から足にかけて先がすぼまっています。

「提灯抜け」シーンの漏斗


『東海道四谷怪談』では、「提灯抜け」のしかけでお岩の幽霊が提灯の中から
出てきた後、体が吊り上げられて、漏斗の下まで全部見えるように

演出されています。こうして足のない幽霊の姿が観客に強く印象づけられて、
現代までそのイメージが続いていたんです。

さて、『東海道四谷怪談』の最大の見せ場は、「戸板返し」の場面と

言われます。隠亡掘で、伊右衛門が流れてきた戸板をひっくり返すんですが、
戸板の片側にはお岩の死体、裏面には小仏小平がくくりつけられていて、
どちらも伊右衛門のせいで死んだ被害者です。

「戸板返し」


このシーンは、一人の役者の早変わりで行われ、戸板の両面にそれぞれの
衣装がつけられていて、板にあいた穴から顔と手を出すわけです。
こう書くと簡単そうですが、役者は瞬時にかつらをつけ替えたりしなくてはならず、
かなり大変なんです。さらに小仏小平の着物がはがれ落ち、下から白骨が現れる。

これが大変な評判を呼んで、多くの浮世絵にその場面が描き残されています。
このあたりは、舞台装置にこっていた鶴屋南北の面目躍如なんですが、
当時、不義密通を働いた男女の死体が戸板にくくりつけられて流されているのが
見つかって大騒ぎとなっていて、それを南北が芝居に取り入れたみたいです。

さてさて、ということで、今回は歌舞伎の四谷怪談のお話でした。
鶴屋南北はほんとうに才人で、現代でいえばジョージ・ルーカスみたいな
感じですか。これでもかとばかりに、観客を怖がらせるための
ギミックを積み上げています。こういう姿勢は、自分が怪談を書くときに
見習いたいと思いますね。では、今回はこのへんで。