翼を下さい
これは、あるパーティに出席するため東京に出たとき、
その場で親しくなった照明アーティストの方からお聞きしたものです。
「怖い話ですか? そうだね、あるといえばあるけど・・・」 
「あ、ぜひお聞かせください」 「僕の友人でRという男がいて、
本業はガラス工芸家なんだけど、趣味で凧を作ってたんだよ」
「タコ?ですか」 「うん、あの空に揚げて糸で操る」
「ああ」 「Rの作る凧は、それは見事なもので、全長3mもあるのに、
わずかな風でスルスルと揚がってね」 「楽しそうですね」
「でもね、もしかしたら、空にはなんか怖いものがいるのかもしれない」
「どういうことですか?」 「Rはね、まとまった休みがあると、
よく海岸に行って凧を揚げてたんだよ。今はほら、電線がどこにでもあるから」

「そうですね」 「でね、ある会で会ったときに、こんな話をされたんだ」
「どんな?」 「自分が揚げてた凧に、天使がとまってたって」 「天使?」
「そう。たぶんキリスト教でいう天使だよ。空高く揚がって豆粒
ほどになった凧に何かがとまってた。鳥だろうと思ったけど、
それにしては色が変だった。七色にキラキラ光ってたって言うんだな」
「そういう鳥はいないですよね」 「でね、糸を繰って下ろしてきても、
相変わらずそれは凧の上部にとどまってて、だんだん形がはっきり見えてきた」
「はい」 「そしたらね、それ、輝く薄い布をまとった人だったって」
「まさか」 「まあね、僕もまさかと思った。これは冗談を言ってるんだろうって」
「で?」 「その人は、少年か少女かもわからない中性的な体つきで、
顔も美しかったけど、やはり男女の区別ができない」

「ああ、キリスト教の天使ってそうですね」 「でね、その人は、
Rに微笑みかけると、腰かけてた凧の上からすっと飛び立って消えた」 
「うーん、幻覚の可能性もあるんじゃないですか」
「そうだね。これはさすがに、薬物中毒を疑われてもしょうがない。
ちょうどマジックマッシュルームなんかが流行ってる頃だったし」  「で?」 

「でね、Rは、ぜったいに見間違いじゃない、もう一度会いたいって言って、
それから、時間があれば同じ海岸に凧を揚げに行くようになって」
「で?」 「でも、何度行っても天使には会えなかったみたいだ」
「で?」 「それから、2週間くらいたって、Rから携帯に連絡が来たんだよ」
「なんと?」 「天使にまた会えたし、話もした。
でも、天使は地上には下りられないって言ってるって」 「うーん」 

「これはいよいよ変だって思うだろ。だから直接会って、
本気で言ってるようなら、心療内科を受診するよう勧めようと思ってたんだ」
「それで?」 「その矢先、2日後にまた連絡が来て、
すごい嬉しそうな声で、翼をもらったって言うんだ」 「で?」 
「これからその天使といっしょに飛ぶんだって」
「で?」 「さすがにこれはマズイと思って場所を聞いたんだよ。
そしたら、いつもRが凧揚げをしている海岸でね。
僕はそのときちょうど仕事がなかったんで、ちょっと待て、
今そっちに行くからって言ったんだけど、電話は切れちゃって」
「どうなりました?」 「車を飛ばして行ったよ。堤防に車を停めて、 
そっから海岸をずっと歩いてったら、さびれた浜なのに人だかりがしてて、

Rがずっと救命措置をされてたんだよ。でも、僕が着いたときは皆あきらめてて」
「で?」 「全身ずぶ濡れで、顔は真っ白で、これは助からないだろうって

思った。実際、そのときには呼吸も心臓も止まってたんだな」
「で?」 「そこに救急車が到着して、車は砂浜に入れないから、
救命士たちが担架を持って駆けつけてきて」 「で?」
「Rを担架に担ぎ上げたんだけど、Rの体の下に大量の羽根があって、
背中にもくっついてた。でね、搬送された先の病院でRの死亡が確認された」
「うーん・・・ でもそれ、たまたまそこに水鳥の死骸があったとかじゃない

ですかね」 「かもしれない。まあ、普通はそう考えるだろう。けど、
そのときに羽根を一枚拾って、今も財布に入れてあるんだ。・・・ほら、これ」
「あ、きれいですね。虹みたいに光ってる」 「だろう」



名前を落とす
このお話は、大阪でレンタル会社を経営している、Dさんという60代の男性から
うかがったものです。「あ、bigbossmanといいます。お話を聞かせて

いただけるそうで、よろしくお願いします」 「ああ、こちらこそよろしく。

これは、私が高校卒業まで住んでた郷里の話なんです」 「どちらのほうですか?」
「山陰の○○県です」 「ああ、神話の里として有名な」
「田舎なんですけど、私が生まれたのは、その中でも特に山深いところで」
「はい」 「でも、田舎には田舎のいいところもあって、
キノコや山菜の宝庫でした。だから、シーズンになれば一家総出で、
 山に採りに出かけたものです」 「それはうらやましい」
「でもね、山は危険もありますから。ほら、よく年寄りが山菜採りで
行方不明になったなんてニュースでやってるでしょ」 「ああ、はい」

「それにね、入っちゃいけない場所というのがありまして」
「よく聞きますよね。いわゆる、禁域というか神域というか」
「そうです。私の郷里にあったのは、○○の神がそこにへその緒を埋めたって

いう言い伝えがあるところで。そんなに高い山じゃないんです。
800mくらいじゃなかったかな。登山道はありましたけど、
注連縄を張って封印されてました」 「はい」
「もちろん、田舎は迷信深い人ばかりだから、皆、そういう言い伝えは
厳格に守るんです。だから、長い間その山には誰も入ってない」
「うーん、その山、持ち主っていたんですか」 「戦前はいたみたいですけど、
私が子どもの頃には国有林になってました。でもね、当時の営林署の連中も、
村役に気を使って誰も入りませんでした」 

「ははあ、もし入ってしまったら、どうなるんですか?」
「それが、名前を落とすって言われてたんです」 「名前を落とす・・・
それ、自分が誰かわからなくなるってことですか? 記憶喪失みたいな」
「いや、そうじゃないんです。その人の意識はちゃんとしっかりしてるんだけど、
村の者のほうが、誰もその人のことを覚えちゃいないという」
「?! それは変な話ですねえ。だって、その人の家があるし、
家族だっているはずでしょう」 「そうなんですけども・・・
具体的な話をしたほうがわかりやすいでしょうか」 「お願いします」
「ずいぶん昔の話ですよ。私が子どもの頃にはもう言い伝えみたいなものでした」
「はい」 「村の男が山菜採りに行って、慣れてるはずなのに、
どうしたことか土地勘を失って、谷を越えてその山に入ってしまった」

「はい」 「男は、これはまずいとすぐに気かついて引き返したんだけど、
入っちゃったのは確かです」 「で?」 「そっからなんとか道を見つけて、
日があるうちに山を下りてきまして、自分の家に向かった。
で、玄関で、今帰ったぞって山菜のたくさん入ったかごを背から下ろしたら、
男の奥さんが出てきて、どなた様ですか?って聞いてきた」 「で?」
「お前、何ふざけてるんだ、俺は俺だろ、お前の亭主だって言っても、
奥さんはきょとんとした顔で、亭主は奥にいますって」 「で?」
「気の短い男だったようで、奥さんを一つ張りとばしてから、居間に入っていくと、
囲炉裏にどっかと座って鍋をつついているものがいる」 「で?」
「それが、木の根っこがぐるぐると何重にもからみついて人の形になってるように
男には見えた。そこに、奥さんが玄関から顔を押さえてやってきて、

木の根っこに向かって、知らない人がいきなり私を叩いたって訴えたんです」
「で?」 「そしたら、おもむろに木の根っこが立ち上がり、
灰ならしを持って、ずんずん男のほうに向かってきた」 「で?」 
「そこで男は、怖くなって家を飛び出し、外に出て頭が冷えると、
ああこれは、あの山に入ったせいだって思いあたった」 「で?」
「男は思案のあげく、村の氏神神社に行ったんです」 「ははあ、で?」
「そしたら禰宜さんが境内を掃除してたんで、助けてくれって泣きつきました」 
「禰宜さんはその男のことがわかったんですか?」 「いえ、わからなかった

んです。だけど、男が必死になって事情を話したら、少し考え込んでから、
男に水垢離をさせ、祝詞を唱えてお祓いをしまして」 「で?」
「その最中に、山のほうがピカッと光って、ドーンと大きな音がした」 「で?」

「そのとき、禰宜さんは男が誰かわかったんです」 「不思議な話ですねえ」
「禰宜さんは、男を連れて男の家まで行きました。そしたら、
男の奥さんが出てきて、男に向かって、遅かったですね、心配してましたって」
「木の根っこはいなくなってたんですか?」 「ええ」
「うーん、それが名前を落とすってことですか・・・ いや、でも、もし神社に
行こうと思わなかったらどうなってたんでしょう?」 「それはわかりません」
「いや、でもですね、男は奥さんを張りとばしたんでしょう。それは?」
「奥さんの顔の片側が大きく腫れてて、奥さんはついさっき庭で転んだって
言ったそうです」 「うーん、本当だとしたらすごい話ですねえ」 「まあ、

昔話みたいなものかもしれませんよ」 「その山って、今もあるんですか?」
「ええ、もちろん。あのあたりは昔から何も変わっちゃいないです」