これはうちの祖父が子どもの頃に体験したことで、それを数十年前、
私に話してくれたものです。だから、時代も100年近い昔になります。
なので、あんまり怖くないでしょうし、本当にあったことかもわかりません。
それをまずご承知おきください。それと、祖父が子どもの頃に住んでた村、
父が生まれた頃には町になってましたが、そこはもう過疎化が進んで、
ほとんど人が住んでないらしいです。隣村も同じです。
そうですね、私がまだ小学校前に、父に連れられて1度だけ行ったことが
あります。その当時は、父の生まれた家はなくなっていたものの、
親戚が二軒ほどありました。今は、その人たちも別の場所に越してますけども。
ええ、草深い田舎です。山がどんどん麓まで下りてきて、
さまざまな植物に覆いつくされていくみたいな。

これからは日本全体で、そういう場所が増えていくんでしょうね。
なかなか都市部に住んでいればわからないことです。
ああ、すみません、話を始めます。祖父が子どもの頃は、
学校は田植え休みがあったくらいで、上の学校に進学する余裕もなく、
勉強なんて一切したことがなかったそうです。
じゃあ、毎日遊び暮らしていたかというと、そうでもなく、
田植え、稲刈り・・・何かあれば農作業にかり出されたと言ってました。
あとは毎日の薪割りや水くみ。水は井戸水で、夏でも冷たいことだけは
よかったって。あとは持ち山の手入れ。ええ、山って放っておくと、
すぐダメになるんだそうですね。まず入る道がなくなってしまう。
それと、下草刈りや枝打ち。ただそれは、田んぼ仕事に比べれば面白く、

手伝うのはそう嫌ではなかったってことです。ああ、あと、
祖父は長男で、ひとつ下に妹がいて、その子がもっと下の弟や妹の面倒を
いっさんに見ていたので、それだけは助かったとも言ってました。
たしか、7人兄弟だったはずです。で、秋の日、祖父は父親、
つまり私から見れば曽祖父に連れられて、山仕事に出かけました。
といっても、これから冬枯れに向かう時期ですから、
肉体的につらい仕事はなく、キノコ採りが中心の楽しいものだったそうです。
で、午前中、ヒラタケやマイタケをカゴいっぱいに採って、
昼の休みになりました。祖父は握り飯をすぐに食ってしまい、
単独行動に出かけました。サルノコシカケを探すつもりだったそうです。
ええ、あれは薬になるってことで、当時は高く売れたんです。

祖父の父親が町で売るんですが、その後には、祖父も多少の小遣い銭が
もらえたそうで、前に見つけたところを覚えていて、どんどん山の斜面を

下りていった。けど、その場所にはもう生えてなかったそうで、
しかたなく周囲をぶらぶらしてると、谷に下りていく小道を見つけました。
「あれ、こんなところに道があったか」そう思って、躊躇せず下りていきました。
前に来たのは春だったから見つけられなかったのか。どんどん下りていくと、
道は細くなり、杭を立て回して鉄条網を張った箇所に出ました。
それ見てね、祖父の心にむらむらとわきおどるようなものが・・・
あの、爆弾三勇士ってご存知でしょうか。日中戦争のときに爆弾を抱え、
自爆して鉄条網を突破した3人の兵士・・・祖父の子供の頃はそういう
勇ましい話ばっかりで、「これ、乗り越えてやろう」そう考えたそうです。

でも、まさか爆弾を持ってるわけはなく、くぐり抜けも飛び越えも無理。少し

考えた祖父は、長い倒木を何本も拾い集め、立てかけて斜めの橋をこさえたん

ですね。その上を器用に上って、ケガをすることもなく向こうに降り立った。
で、人ひとりが通れるほどの道をしばらく進むと、急に目の前が開けて、
崖に出たそうです。ええ、かなりの高さで、下はずっとクマザサの茂みが

広がってて、その中に、建物の屋根みたいなものが半分ほど見えました。
それはなかり朽ちていて、大きなものではなく、ちょっとしたお堂ほどで。
下には下りようがないので戻ろうとしたとき、「チッチカ、チッチカ」と、
瀬戸物を打ち鳴らすような音が聞こてきました。「ん?」
チッチカ、チッチカ、チッチカ、チッチカ・・・それを聞いていると、
祖父は自分が何をしてるのかわからなくなり、下の茂みに飛び込んでいきたい、

その思いで心の中がいっぱいになって、崖を飛び降りかけたとき、
首根っこをつかんで引き戻されたそうです。「こんガキ、何をやっちょる」

見ると、鉄砲を持ったヒゲだらけの男で、われに返った祖父は、
「ああ、隣村のマタギだ」そう思いました。マタギというのは里に住んで集団で

狩りをする猟師で、祖父は前に何度か見かけたことがあり、山住みの者とは違って、
怖いもんだと思ったことはなかったそうです。「お前、もうすぐ落ちる

とこだったぞ」そう言われて祖父は下を見ました。たしかに高さはありましたが、
地面はササが生い茂り、そう大きなケガをするとも思えませんでした。そのとき

また、例の「チッチカ、チッチカ」という音がして、それを聞くとマタギは顔を

しかめ、「おお、蟹どもがさわいじょる」と言い、

「カニって何ぞ?」祖父が聞くと、マタギは祖父をしげしげと眺め、

 

「お前、齢なんぼになる?」と聞いてきたそうです。
祖父は「十(とお)だあ」と答えました。これ、満にすると9歳です。
マタギはにやりと笑い、「十かあ、なら聞かしてもええだろ、まあ座れや」
草を踏み固めて祖父をそこに座らせ、こんな話を始めました。

「あの屋根な、蟹の神を祀る神社だ」 「カニの神?」 

「んだ。流行り病って知っちょるか?」 「ああ、熱出るやつか」
「んだ。熱出たり腹下したりする」 「それがなした?」 「おらが村ではな、
流行り病が出ると、蟹の神に蟹子をたてまつる」 「カニコ?」  「ああ、両親

(りょうおや)とも疫病で死んだ子どもだ。親類縁者がいなければ村で育てる。
でなあ、流行り病の兆候(しるし)が見えるとな、その子の出番だ」
「カニコは何をする?」 「良い着物を着せられてな、良い物を食わせられる」


「ええな、で?」 「病が広まるまであまり時間がないからな。

もてなしをするのは2晩だけだ」 「んで?」 

「下の神社な、こっちは後ろ側なんだ。木の枝が重なって見えねえが、
向こう側はもう少しゆるい坂になっちょる」 「・・・・」
「でなあ、蟹子はよい着物のまま、裸馬に乗せられる」 「んで?」
「その姿で、村の隅から隅、辻から辻、街道へ出るとこまで
村長から神主から、村の主だった者が総出でついて練り歩く」
「ほう」 「でな、蟹子は齢にもよるが、わけもわからずニコニコしててな。
それから村の氏神神社で祝詞を受ける。で、この場所に来て、
裸馬から下ろされ、蟹の神社の前に落ちるよう、坂を投げ落とされるわけよ」
「ひでえな。そしたら どうなる?」 そこでマタギはちょっと考え、


「話しても信じねえだろうからなあ」そう言って、傍らに置いてあった袋から、

毛が白くなりかけの野兎をつかみだしたそうです。
「まあ、これだけ離れとれば障りもあるまい。よく見ちょれ」
マタギは耳を握った兎をぶんぶんと振ると、最後はふうわりと、

下の屋根めがけて投げ下ろしました。わら屋根の上で兎は軽く弾み、
そのまま、しなりと寝そべるようにうち伏せました。「さあ、来るぞ」
マタギが言い、またしても「チッチカ、チッチカ」という音。
神社のわら屋根から青いハサミがいくつも出てきたんだそうです。

カニのハサミに見えました。でも、カニの本体は姿を見せず、神社の

屋根の上に、兎を取り囲むように百本以上のカニのハサミが生え、

互いにぶつかり合いながら、兎の毛皮を切り刻み始めたということでした。

 

「チッチカ、チッチカ、チッチカ、チッチカ」赤い色が見えたとき、

祖父は「うええ!」と言って立ち上がり、そしてそのまま、後ろを見ずに

逃げ出しまして。背中で、マタギが高笑いしているのが聞こえたそうです。
祖父は走りに走り、鉄条網のところまで戻ると、それを無理やり乗り越えたため、

あっちこっちに傷をつくって父親らのいる場所に戻りました。
父親が「なした?」と聞いても答えられず、ずっと息を切らせてましたが、
やっと「マタギに会った」とだけ言ったそうです。
「・・・ほうか、マタギか。お前をからかってきたんじゃろ?」
「ああ」 「向こうの村の山へは二度と入るんじゃないぞ」 「わかった」
それで会話は終わり、もう何かを聞かれることはなかったそうです。
祖父はこんなことを言ってましたね。「たしかになあ、

 

当時は流行り病は誰もが怖れとった。でもなあ、村ではカニの神社とか、

カニコとか、そういう話は聞いたことがない。隣村の秘事だったんだろうか。

それとも、あのマタギが俺をからかったのか。それにしてもなあ、

あの青いハサミを見たのはたしかなことだよ」ま、こんな話だったんです。
いや、私にはわかりません。判断はこちらのみなさんにおまかせしますよ。