今回はこの話題でいきます。これまで当ブログでは、
天皇シリーズと呼べる記事を書いてきてて、
「武烈天皇」「天武天皇」「斉明天皇」などを取り上げてるんですが、
どちらかといえば学術的な内容になっています。それに対し、
本項はかなりオカルト色の濃いものですので、その点をご承知おきください。

安徳天皇の入水


さて、安徳天皇はみなさんご存知でしょう。12世紀後半の第81代天皇。
先代、高倉天皇の第一皇子で、母は平清盛の娘の徳子(後の建礼門院)ですので、
清盛の孫にあたるわけですね。御年8歳にして、三種の神器とともに
壇ノ浦に沈んだと『平家物語』には記されています。

ではまず、安徳帝の最期の様子を、『平家物語』の名文で見てみましょう。
「小さくうつくしき御手をあはせ、まづ東を伏し拝み、
伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、その後西に向かはせ給ひて、
御念仏ありしかば、二位殿やがていだきたてまつり、
波の下にも都のさぶらふぞ となぐさめたてまつつて、千尋の底へぞ入り給ふ。」





訳すまでもないでしょう。ここで出てくる「二位の尼」は、平時子、
清盛の正室で、安徳天皇の祖母にあたります。このとき、幼帝といっしょに、
宮中に伝わる三種の神器も、波の中に投げ沈められたとされます。
ただし、八咫鏡と八尺瓊勾玉は入っていた箱が浮いたために回収され、
天叢雲剣(=草薙剣)だけが失われたことになっています。

で、同じ『平家物語』の「剣巻」という部分に、じつに面白い記述があるんです。
「草薙剣は風水龍王、八岐大蛇と変じて、素盞鳴尊に害せられ、持つ所の剣を

奪はる。(中略)八歳の帝と現れて、本の剣は叶はねども、後の宝剣を取り持ちて
西海の波の底にぞ沈み給ひける。終に龍宮に納まりぬれば、
見るべからずとぞ見えたりける。」


天叢雲剣はもともと本体が龍王で、八岐大蛇に姿を変えていたときに、
スサノオによって殺され、尾の中にあった剣を奪われてしまったが、
時を経て、8歳の天皇に姿を変えて現れ、宝剣を取り戻して海の中に沈んだ。
天叢雲剣が失われてしまったのは、龍宮の中に収まっているからだ・・・

天叢雲剣イメージ


ここで、「本の剣は叶はねども」とあるのは、本来の天叢雲剣は
名古屋市の熱田神宮にあり、宮中にあったのは、
いわゆるレプリカだったという意味でしょう。ただしレプリカと言っても、
本体から分霊を受けているものです。

つまり、安徳天皇は龍王の化身で、天叢雲剣を取り戻すためだけに転生して
平家が奉じる天皇となり、宝剣を竜宮に戻すために海に沈んだということで、
平家が壇ノ浦で滅亡するのは、天が定めた運命だということになるんでしょう。
それだけ、この当時、三種の神器は重要視されていたわけです。

さて、平家を滅ぼした源氏の頭領、源頼朝は、この戦いで安徳天皇と天叢雲剣を
失ったことをずっと悔やんでいたと言われます。頼朝は、落馬した傷がもとで
死んだとされますが、『北條九代記』という資料には、幼くして壇ノ浦の藻くずと
消えた安徳天皇の亡霊が現れ、頼朝は心神を喪失して馬から落ちたと出てきます。

源頼朝


この 「安徳天皇=八岐大蛇=龍王」という話をおそらく知っていて描かれたのが、
諸星大二郎氏の漫画『妖怪ハンター』中の「海竜祭の夜」ですね。
作中、平家の落人の島に「あんとく様」という、巨大な海蛇の体に
幼児の顔がついた怪物が現れます。

「海竜祭の夜」


さて、話変わって、非業の死を遂げた歴史上の人物には「生存説」
がついて回りますが、安徳天皇にもあります。瀬戸内海を秘密裏に脱出し、
鹿児島県の南方海上にある「硫黄島 いおうじま」に逃れたとするものです。
ちなみに、ここは太平洋戦争の激戦地であった「硫黄島 いおうとう」とは別です。

硫黄島は鬼界ヶ島とも言われ、鹿ケ谷の陰謀により、俊寛、平康頼、藤原成経が
流罪にされた島です。このうち、平康頼、藤原成経の2人だけが罪を許され、
一人島に取り残された俊寛が絶望のあまり足摺をした場面も

『平家物語』では有名で、これをもとに、芥川龍之介が

「俊寛」という作品を書いていますね。

硫黄島の俊寛像


で、平資盛や時房らとともに南に逃れた安徳天皇は、やがて鬼界ヶ島の
長浜の浦に着き、現地で成人して資盛の娘と結婚し、
68歳まで生きたと言われています。硫黄島には、安徳天皇陵とされる
小さな墓をはじめ、その周囲に一族のものと言われる墓がたっています。

また、終戦直後には、安徳天皇の子孫を自称する人物が島に現れ、
マスコミから「長浜天皇」と呼ばれて話題を集めています。長浜家の家宝には、
「開けずの箱」があり、神器だから見ると目がつぶれてしまうと
言い伝えられていたという話もあります。

さてさて、最初に書いたとおり、本項の内容はオカルトですので、
本気にされても困ります。ただ、『平家物語』は仏教的な無常観を基調にした
脚色が強く、どこまでが史実なのかよくわからない部分が多いんですよね。
では、今回はこのへんで。

安徳天皇陵?