去年の9月の連休のことです。友だちと女2人で温泉に行ったんです。
・・・じつは、その1ヶ月ほど前に彼と別れてしまいまして。
それで、高校のときの友だちをさそって愚痴でも聞いてもらおうと思ってました。
友だちは、奈美って名前にしておきますね。高校のときは同じバスケ部で、
すごく明るい子だったんです。だから、いっしょにいたら少しは気が晴れるかと

思って。それで、旅行を決めたのが3週間ほど前だったので、
近場の有名な温泉地は、どこも予約でいっぱいだったんです。
そしたら奈美が、「県内でもまったく有名じゃないし、宿もボロいんだけど、
お湯だけはいい温泉があるのを知ってる」って言い出しまして。
そこは田舎で、ネットなどにも載ってないようなところでした。
奈美に電話をかけてもらうと、宿泊できるということだったんです。

それで、土日を一泊二日の予定で予約を入れたんです。
当日は私の車で行きましたが、3時間半ほどかかりました。
国道から県道に入って、さらに山の中の道をずっと走りました。
温泉の住所はカーナビに入れてたんですが、途中でナビが効かなくなって、
あとは奈美の記憶を頼りにして宿を探したんです。
「奈美、よくこんな場所知ってたわね」そう言ったら、
「小学校4年生まで、そこの村に住んでた」ということでした。
車は山を一つ越えて、下りたところに小さな盆地のような集落がありました。
「ああ、ここ、この場所。覚えてる、懐かしいなあ」奈美がはしゃいで

言いましたが、そこは店一つないような田舎の町だったんです。ええ、

それから30分ばかり走って、山の下にある温泉宿に行き着きました。

建物は古いけど造りはかなり立派でした。「ああ、ここね、昔の名主の家

だったみたいだよ」60代くらいの女将さんが出てきて部屋に通されました。
畳も障子も日に焼けていましたが、12畳の立派な部屋でした。そのとき

女将さんに聞いた話では、連休中なのに泊まってるのは私たちだけということで、
旅館として生計を立てているわけではなく、たくさんある部屋が傷まないよう、
口コミの紹介を通じて、わずかなお客さんに来てもらっているということでした。
さっそく温泉に入りました。露天風呂はなかったんですが、
かなりの広さの石組みの浴槽で、ふだんは混浴らしかったのですが、
お客さんは私たちしかいなかったので、なんの気兼ねもありませんでした。
乳白色のお湯はかすかに硫黄のにおいがして、完全な掛け流しでした。
お湯はややぬるめだったものの、すごくいいお湯でした。

ああ、すみません。旅行の話ばっかりになってしまって。その夜一泊し、
翌朝また温泉に入って、すごくのんびりした気持ちになりました。奈美があれこれと

励ましてくれたので、失恋した痛手もかなり癒えたような気がしたんです。
朝食をとった後、奈美が女将さんに、「裏の山、たしか登れましたよね」

って聞きました。「あ、はい。国有林ですが、登山路はついております。

低い山ですから、1時間もかからず頂上に出ますし、たしか休み屋の

ようなものがあったはずです。ですが、高い木ばっかり生えてて、

見晴らしなどはよくないですよ」女将さんにはこう言われましたが、

女2人の気軽な旅行で、普段着にスニーカーを履いてましたので、

お昼までには戻る予定で山に登ってみたんです。
登山路はせまかったですが、ところどころに木の段があり、
傾斜も急ではなく、登山というより軽いハイキング程度のものでした。

頂上には無人のあずま屋があり、そこに座って持ってきた飲み物を飲みました。
登山路は頂上で終わりではなく、下る道がまだずっと続いていました。
「ねえ、ここ下りてくと、どこに出るの?」奈美に聞きましたら、「うーん、

たぶん別の集落があると思うんだけど、そこって廃村だったような気もする」
「ここまで30分しかかかってないよね。少し下まで行ってみない」
その道を5分ほど下りたところで、ふっと日差しが暗くなりました。
急に天気が変わって、雨がぽつぽつと落ちてきたんです。
2人とも雨具などは持ってきてませんでした。小走りで引き返そうとしましたが、
雨は止む気配はなく、2人ともあきらめて濡れながら歩いていました。
そのとき、横手の林から「おーい、あんたら」と叫びながら人が出てきたんです。
50代くらいにみえる背の低い男の人でした。「はい?」私が答えると、

「あんたらカメラは持ってるか?」私も奈美もスマホを持ってましたし、
私はその他にデジカメも持ってましたので、「ええ、持ってますけど」そう言うと、
「お願いがあるんだ。写真撮ってほしいものがある。金は払うから」
私と奈美は顔を見合わせましたが、雨がますます激しくなってきて、
傘を貸してくれるということだったので、とりあえず行ってみることにしました。
林の中の細い道を下に少し下りた斜面に、ボロボロの家がありました。
「ああ、ここだよ、さあ」私と奈美がその家に入ると、ぷうんとお線香の

においがしました。男の人は「じつはなあ、ついさっきうちの子どもが死んだんだ。
医者にはもう連絡してるから、そろそろ来てくれるはずだ。でなあ、頼みなんだが、
その子はほとんど写真とかないんだよ。うちには写真機もないし・・・」
だから今、なんとかあんたらで撮ってくれんかと思って」

私と奈美はまた顔を見合わせました。そんな気味の悪いことはできないと

思ったんですが、もう家の中に入ってましたし、外はザーザー振りの雨に

なっていました。それだけじゃなく、稲光がして遠くで雷が鳴り出したんです。
「・・・・」私たちが黙っていると、男の人は財布から1万円札を出し、
「こんけあればいいだろ、後で住所書くから、写真はそこに送ってけれ」
それで私は、もうすぐ医者さんも来るんだしと思って覚悟を決め、

お札は受け取らず、「わかりました。じゃあ」バッグからデジカメを取り出し、
男の人に奈美といっしょについていきました。廊下を通ってフスマを開けると、
大きな仏壇があり、その前に小ぶりの布団が敷いてあって、
小学校低学年くらいの子どもが寝かされていたんです。顔に白布がかかってました。
「さ、頼んますよ」男の人が布をめくり、はっと奈美が息を飲む音が聞こえました。

女の子でした。固く目をつぶり、真っ白な顔で生気がありませんでした。
私は枕元に立ち、上から見下ろすようにして何枚か、さらに横から何枚か、
その子に向けてデジカメのシャッターを切りました。
ファインダーごしに見る女の子の顔はすごく整っていて、ああ、こんな年で

死ぬなんてと思うと、かわいそうで涙が出そうになってきました。合計10枚ほど

撮ると、男の人は「じゃあ、今、住所書いて持ってくるから」そう言って部屋から

出ていきました。そのとき奈美を見ると、フスマのほうを向いて小刻みに震えて

たんです。私が「かわいそうだけど、怖くないよ」そう言うと、奈美は

「・・・それ、人間じゃない」って絞り出すような声で叫んだんです。
「え?」もう一度女の子のほうを向くと、さっきまで固く閉じられていた目が、
ぱっちりと開いてたんです。「死んだよー」女の子がか細い声で言いました。

「きゃーっ!!」私は悲鳴を上げ、奈美といっしょに転がるようにして

部屋の外に出ました。そのまま廊下を突っ切ってスニーカーをつっかけ、

家の外に出ました。そのとき、まばゆい光で目の前が真っ白になり、少し遅れて

ドーンという轟音が響いたんです。「あー!!!」私と奈美は叫びました。

・・・そして、気がついたら、私たちはまばらな林の中に立ってたんです。ええ、

雷どころか雨も降ってませんでした。体もまったく濡れてなかったんです。

とにかく、少しでもその場を離れようと、登山路に出て息を切らして

走りました。頂上のあずま屋を過ぎたあたりで2人とも走れなくなり、
立ち止まって膝に手をあててあえぎました。「・・・何だったの、あれ?」
私がとぎれとぎれに言うと、奈美が「キツネじゃないかな。写真を撮ったの、
金色の毛をした動物だったよ」奈美がそう答えたんです。
「キツネ???」 「化かされたんだよ私たち、・・・たぶん」

奈美が言うには、あの家の中に入ったときからずっと獣臭いにおいがしてた、
布団に寝かされていたのは小さな金色の毛の動物で、それを見てから、私が写真を

撮っているあいだ中、怖くてずっと目を閉じていたってことでした。ええ、

デジカメは手に持ったままでしたので、おそるおそるモニターを見ました。

・・・写っているのは草の上に横たわった動物だったんです。宿について、

女将さんに山の家のことを聞いてみましたが、そんなものはないと思うと

言われただけでした。ただ・・・化かされたというのとはちょっと

違うかもしれないです。というのは、私のジーンズのポケットから

くしゃくしゃの1万円札が出てきて、それ本物だったんです。

後になって木の葉に変わるなんてこともありませんでした。ですから、

今、困ってるんです。はい、プリントした写真をどうすればいいのか。
もう一度あの山に行って置いてくればいいんでしょうか。でも、それも怖いし・・・