主婦をしております。よろしくお願いします。私がお話するのは、
今年の6月にフリマで買った絵のことなんです。
あまり怖い内容ではないんですが、そこはご容赦ください。そのフリマは、

うちの近くの児童公園で1ヶ月に1度ほどのペースで開催されてまして、
自治体の主催なので、出店される方も見知った地域の人が多いんです。
ですから、気軽にのぞくことができまして、私もこれまで、
いろんなものを買ってるんです。ええ、日用品などの安いものがほとんどです。
それと、人形や古着などは買ったことはありません。だって、

なんとなく怖いじゃないですか。顔のあるものは命を持つっていうし、
古着も、前に着ていた人の思いがこもっているような気がして。
ああ、すみません、絵の話でしたね。

その絵は、顔見知りになっていた古書店のご主人が出品していたんです。
自分のお店でふだんは売っている本を持ってきているんだと思います。
美容の本などの新古書を何度か買ったことがありました。
そのスペースをのぞいてましたら、ダンボールに詰められた本の後ろのほうに、
額入りの油絵が置かれていたんです。描かれていたのは、
前のほうに、満開の桜の木々が両脇に並んだ道。そして桜の花の中から

顔を出すように、寺院らしき建物の上部が見えている、そんな構図でした。
じつは私、大学で美術を専攻しているんです。
ですから、ひと目でその絵がいいものだ、ってわかりました、
かなり力のある画家の先生のお作なのだろうと思ったんです。
でも、絵の中に署名などはなかったんです。

あと、絵の入ってる額縁、これもかなり高価なもののように見えたんです。
それで、ためしに値段を聞いてみたら、4000円ということでした。それを

聞いて考え込んでしまったんです。この金額はフリマで使うにしては

高いんですが、でも、おそらく額縁だけでもそれ以上の値がつくんじゃないか

と思いました。で、玄関に飾るのにいいかなと考えて、思い切って

買っちゃったんです。大きさは12号くらい、だいたい60cm四方ですね。
ですから、家まで持って帰るのが大変でした。え、その絵の元の持ち主ですか?
それが、そのときはそこまで思いがまわらなくて聞いてないんですよ・・・
その日の夜、主人が帰ってきたときに絵を見せ、買ったことを話して、
玄関の靴だなの上の壁に飾ったんです。そしたら、
殺風景だった玄関が、桜のピンク色でぱっと華やいだように思えました。

でも、翌日からおかしなことが続くようになったんです。
はい、朝ですね。私たち夫婦には小学校の子どもが2人おりまして、
バタバタと朝食を食べさせて学校へ送り出したんですが、玄関で上の娘が

「キャーッ」と大きな悲鳴をあげたんです。何事かと思って見にいくと、
その絵のほうを指差しておびえていました。「お母さん、蛾、蛾がいる!」
ひと目ではわからなかったんです、桜の花の色に溶け込んでましたから。
ええ、10cm以上もある大きな蛾が、絵の中央にべったり張りついていたんです。
それに気づいて私も青ざめました。蛾はもちろん、虫が大っ嫌いなんです。
そしたら、下の小3の息子が、「僕、平気だよ」と、古新聞を持ってきて、

両手で蛾の上にかぶせて絵からとったんです。それから息子は

新聞紙の中をのぞき込み、「動かないや、これ死んでる」って言ったんです。

これ、今から考えると不思議ですよね。まだ蛾が出てくるには早い季節なんです。
それに、ピンク色の蛾なんて見たことがないし、とまったまま死んでるのも

変ですよね。まあ、そのときはそれで終わりました。子どもたちが家を出てから、
額縁のガラスをウエットテイッシュでふくと、赤黒い鱗粉がついてきました。
それから、ちょくちょく虫の死骸を玄関で見かけるようになりました。
蛾もそうでしたが、コガネムシや大きな蜂なんかも。
どれも絵の真ん前の靴だなの上に転がって死んでいました。
でも、これまでそんなに家の中で虫を見ることはなかったんです。
玄関から入ってくるとしか考えられなかったんで、特に息子には、
扉を開けっ放しにしないように言いました。それとです、私がお昼過ぎ、

居間でテレビを見てましたら、何か玄関のほうで音が聞こえたんです。

最初は、外で音楽を流してるんだろうと思ったんですよ。
ええ、長く続く、音楽的な響きの音だったんです。聞いていると

変に眠くなってくような・・・そのうち、あ、これもしかしてお経?
って気がつきました。それで、玄関まで出ると音はしてなかったんです。
ええ、外も見てみましたが、何事もなかったんです。それから、

その音はたびたび聞きました。私が家事を終えてぼんやりしているときに
よく聞こえたんです。でも、見にいくとぱたっと音はやんでて。
で、耳が慣れてくると、たんなるお経とは違うように思えてきました。
うーん、私はあんまり詳しくはないんですが、御詠歌?
そういった感じで節がついてるんです。物悲しいようなメロディです。
そのときには、まだ、それが絵と関係があるとは考えませんでした。

はい、ですからどうにもしようがなかったんです。そのうち毎日聞こえる

ようになって、私はいつしか、その歌に心が惹かれるようになっていきました。
ええ、無意識にその歌をいっしょに口ずさんでしまってたんですね。
歌詞はわかりませんので、メロデイだけハミングをするみたいにです。
すると、すごく心が軽くなる気がしたんです。いえ、日々の暮らしで

悩みなどはなかったつもりです。主人の仕事は順調ですし、
子どもたちも、成績はともかく素直に育っていて・・・そのうち、歌の聞こえる

時間は長くなり、私もそれに合わせてずっと歌うようになって、
ええ、家事のほうがおろそかになってしまいました。
家のあちこちにホコリが目立ち始め、お気に入りの服がまだ洗濯してないって
子どもたちに文句を言われるようになって・・・

それと、主人は気が弱いくらいの穏やかな人柄なんですが、夜帰ってきてから、
ささいなことで口論するようになりまして。ええ、ぜんぶ私に原因がありました。
そのたびに、ああ、ちゃんとしなきゃって思うんですが、
歌が聞こえてくるともうダメなんです。何をやっていても途中で投げだして、
いっしょに声を合わせていると、心の中に光が満ち満ちてくるようで・・・
私は麻薬などやったことはないんですが、今にして考えれば、
薬物中毒みたいになっていたんだと思います。あ、絵のほうですか。
その歌が聞こえるようになってからあまり見てなかったんですが、あるとき

額縁のガラスをふこうとしましたら、前と印象が違うように見えたんです。
前方にある桜の花のボリュームが減って、後ろに上部だけ出てた建物が、
より見えるようになったっていうか。

屋根の合わさるところに、金色に光る紋章のようなものが見えたんです。
前に見たときはたしかこんなものはなかったはず。
でもまさか、絵の中の桜が散ってるなんてことがあるわけはないですし。
それでです、絵を買って2ヶ月たったくらいのときのことなんです。
そのときもやはり、聞こえてくる歌に陶然となって、
テレビの前に座り込んだままいっしょに口ずさんでいたんです。そのときです。
玄関で、強く手を叩いたような、「パン、パン」という音が聞こえました。
それに後ろから平手で頭を叩かれたような衝撃を感じて我に返りました。
玄関に出て見ると、いつの間にか扉が開いてて、男の人が立っていたんです。
そうですね、60歳代に見えました。黒のスラックスに白い開襟シャツ。
白髪を後ろになでつけて銀縁のメガネをかけた上品で小柄な人だったんです。

その人は、私を見るなり軽く頭を下げ「唐突ですけど、この絵を

譲っていただけませんか?」絵のほうをあごで指してそう言ったんです。

「ええ、あ、はい」私は頭がぼんやりして、うまく受け答えできなかった

んですが、その人は続けて、「いくらで買われました。よろしければ、

買った値段に1万円プラスして引き取らせてもらいます」それが、静かでした

けども有無を言わせない調子がこもっていて、私は「いいです」って

言っちゃったんです。。その人は「ああ、これでまた一枚回収きた」そう言って、

大型のスーツケースに絵を外して入れ、お金を支払って帰っていきました。
それ以来、あの不思議な歌が聞こえることはなくなり、

また平凡な日常が戻ってきました。これでだいたい話は終わりなんですが、

気になって、あの絵に見えた紋章をインターネットで調べてみました。

そしたらそれ、ある新興宗教のマークだったんです。

あの建物は、富士山の麓にある、その宗教の総本部の神殿だったんですよ。