皇太子さまが新天皇に即位されるのに伴う大嘗祭(だいじょうさい)について、
宮内庁が平成31年11月に行う方針を決め、具体的な準備に着手することが
分かった。山本信一郎長官は同日の定例会見で、ご即位が政府案の一つである
31年5月1日になった場合でも、同年11月に大嘗祭を行うことに
支障はないとの考えを示した。(産経ニュース)


大嘗祭の様子
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古いニュースですが、今回はこの話題を取り上げたいと思います。
この「大嘗祭(だいじょうさい)」って何なんでしょう。
これは、「天皇即位の後、初めて行う新嘗祭(にいなめさい)」のことです。
新嘗祭は、毎年11月の中旬に行われ、その年の新穀を天皇が神に捧げ、
天皇自らも食す祭儀です。皇室による収穫祭と言っていいかと思います。

水稲耕作する上皇陛下
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古代においては、この毎年の新嘗祭のことを大嘗祭と言っていました。
それが、天皇が即位した最初の新嘗祭を大がかりに行って、
践祚大嘗祭と呼ぶように変化したのは、『日本書紀』によれば、
7世紀の天武天皇のころからのようです。

さて、大嘗祭ではどんな儀式が行われていたのでしょうか。
これは宮中の秘事なので、はっきりしたことはわかりませんが、
大きく2つの儀式があると考えられています。「神人共食」と「神人同衾」です。
神人共食のほうはわかりやすいですね。その年に穫れた五穀を、
神に捧げ、天皇がともに食べること。

神人同衾はわかりにくいですが、神と天皇が一つの衾(ふすま 夜具)で
一緒に寝るんですね。ただし、これは古代の話で、
現在の大嘗祭では、衾は用意されるものの、
それは神のためのもので、天皇はその中には入らないとされています。

天孫の降臨
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この衾のことを、「真床覆(追)衾 まどこおぶすま」とする説があります。
民俗学者、折口信夫が唱えたもので、先帝の霊と同衾することで、
首長霊を受け継ぐという内容ですが、この説には批判もあります。
また、衾は、天皇家の先祖である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)
が地上に降臨するときにくるまっていたものである、と言う人もいます。

折口信夫
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さて、少し話を変えて、日本の歴史で天皇が暗殺された例は2回あります。
一つは、飛鳥時代の崇峻天皇、もう一つが、古墳時代の安康天皇です。
ただし、安康天皇は皇族である眉輪王に暗殺されているため、
臣下によって弑逆されたのは崇峻天皇だけになります。

崇峻天皇は欽明天皇の皇子で、587年に即位しています。
当時は、蘇我氏一族が権勢を誇っており、崇峻天皇も、数ある皇子の中から、
蘇我馬子の推薦によって即位したんですが、傀儡として操られるのを嫌って、
だんだんと馬子に反抗するようになります。

592年、崇峻天皇40歳頃のとき、10月に朝廷に大猪を献上する者が
ありました。天皇は、笄刀(かんざしのこと)を抜いてその目に突き立て、
「いつかこの猪の首を斬るように、自分が憎いと思っている者を斬りたいものだ」
と言い、その噂を聞きつけた馬子は、

「天皇が自分を嫌っているのだ」と考え、先手を打って部下に暗殺命令を下します。
天皇を偽って儀式に臨席させ、その席で東漢駒という人物に弑させたんですね。
余談ですが、崇峻という諡は後世につけられたもので、
「崇」の字がついている天皇は、崇道天皇、崇徳天皇など、非業の死を遂げて
怨霊化した天皇におくられるという話があります。

崇峻天皇
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自分は、これは正しいだろうと考えています。 
さて、この崇峻天皇の暗殺ですが、行われたのが大嘗祭(新嘗祭)のときである、
とする説があるんですね。『古事記』では、暗殺は11月中卯
(この場合は11月13日)であり、まさに大嘗祭の当日になります。

では、なぜ大嘗祭に暗殺が行われたのか? 上記した神人同衾です。
衾に入った天皇の体から、数刻、祖先霊が抜け出すと考えることができます。
天皇を弑することは大逆で、天皇と日本の国は一心同体。
日本の国にも大きな災が降りかかることになるわけですが、
このときだけは、それを免れることができる・・・

最初にこの説を聞いたときには、うーんと考え込んでしまいました。
なるほどなあ、そういうこともあるのかもしれないと思ったわけですが、
ただ、日本の正史である『日本書紀』では、天皇暗殺の日は、
自分の干支計算だと11月3日になるんですよね。
ですから、真偽のほどはよくわからないんです。

さてさて、天皇の「即位の礼」は国事行為ですが、大嘗祭は皇室行事であり、
そこに国費を支出するのは、政教分離の原則を定めた憲法違反である
とする意見がありますね。これまでにも裁判になっていますが、自分は、
そう考える人は訴訟を起こせばいいと思います。そして判決が出たら従う。
それが法治国家というものです。では、今回はこのへんで。