今回はこういうお題でいきます。日本史のカテゴリです。
孝明天皇はご存知の方が多いでしょう。江戸時代の最後の天皇であり、
明治天皇の父君です。幕末の動乱の最中に在位し、1866年(慶応2年)に、
36歳で崩御されています。朝廷が公的に発表した死因は痘瘡による
病死ですが、これまで、根強く暗殺説が唱えられてきています。

孝明天皇
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次に、日韓併合ですが、1910年(明治43年)に、大日本帝国が大韓帝国を
併合。統治は昭和20年まで続いています。孝明天皇の死から韓国併合まで、
50年近いへだたりがあるわけですが、この2つの出来事には、
深い関係性があるんですね。それについてはいろんな人が書いてるんですが、
当ブログで強調したいのは、巷間に流れる「噂の恐ろしさ」ということです。

朝鮮総督府
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さて、孝明天皇が崩御されてすぐ、世間には、暗殺されたのではないかという
噂が流れ始めました。中には、天皇は厠に入っているところを刺殺されたとか、
天皇に新しい筆が献上され、その筆先をなめたとたんに具合が
悪くなって床につき、そのまま急死したなどというものまでありました。

もちろんこの2つは事実ではありませんが、噂はそうとうに広まっていたようで、
イギリスの外交官、アーネスト・サトウの滞在記録に、
「最初、死因は疱瘡と言われていたが、信用できる日本人から、
天皇は暗殺されたと聞いた」と書かれています。

なぜ、こんな噂が流れたのか。それは世間の目に、孝明天皇は暗殺されて
しかるべきと見える理由があったからですね。孝明天皇の主義主張は
はっきりしており、諸外国に対しては「開国反対、徹底的な攘夷」でしたが、
当時の識者はみな、それが無理なことがわかっていました。むしろ、西洋文明を
積極的に受け入れ、日本の国力を高めていく必要があると考えられていたんです。

もう一つ、孝明天皇は徳川幕府に対し「公武合体、佐幕」政策をとっていました。
第十四代将軍の家茂を信頼しており、妹の和宮を降嫁させています。
この2つは、どちらも薩長の志士、開明派の公家にはじゃまでしかたが
ないものだったんですね。孝明天皇がいなくなれば、
徳川幕府を滅ぼして、改革が一気に進むと考えられていたわけです。

岩倉具視
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ということで、動機は十分です。では、もし暗殺だとしたら誰がやったのか。
これは、名前があがっているのは、薩摩藩士の大久保利通、公家の岩倉具視です。
特に岩倉のほうは、「天皇の存在が世を混乱させている。天皇は世間に対して
謝るべきだ」という過激な発言をした記録が残っています。

じゃあ、ほんとうに暗殺だったのか。これはわかりませんねえ。天皇が発熱した後、
天皇を診る資格を持つ医師団による24時間体制の看護が始まり、
痘瘡の診断が出たものの、その後、一度は回復期に入ったときの「御順症」
という状態になってるんです。それが、あるときを境に容態が急変し、
最期は体中から血を出して亡くなったとされます。

暗殺かどうかについては、昭和、平成にも歴史学者による論争が起きていますが、
結論は出ていません。もし暗殺だとしたら、砒素による毒殺。
やはり最も疑われるのは、公家として天皇の近くにいた岩倉具視なんでしょう。
ちなみにこのとき、長州藩士の伊藤博文は鉄砲の買いつけなどをしており、
暗殺の機会はなかったと考えられています。

あと、孝明天皇とともに、皇太子であった睦仁親王も暗殺され、後の明治天皇は、
すり替えられた、かつての南朝の血を引く大室寅之祐という人物だとする
説があります。これ、自分も興味を持ってあれこれ調べてみましたが、
かなりの無理があり、陰謀論というしかないものです。

明治天皇と大室寅之祐(とされる画像)
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さて、ここまででだいぶ話が長くなってしまいました。先を進めます。
伊藤博文はロシアのハルビン駅で、大韓帝国の民族運動家、安重根に
よって射殺されました。その最期の言葉は「俺を撃ったりして、馬鹿なやつだ」
と伝えられています。この真意はわかりませんが、伊藤はどちらかといえば、
韓国併合には反対の立場だったはずです。

日本はまだまだ国力を充実させる時期で、韓国併合でよぶんな金をかける
ゆとりはないということです。ロシア官憲はすぐに安重根らの身柄を拘束して
日本に引き渡し、安は死刑になりますが、裁判において、伊藤暗殺の15の
理由を列挙し、これは、当時の新聞で広く日本や世界に公表されています。

伊藤博文と安重根
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で、その14番めのものが、「今ヲ去ル四十二年前、現日本皇帝ノ御父君ニ
当ラセラル御方ヲ伊藤サンガ失イマシタ。ソノ事ハミナ韓国民ガ知ッテオリマス。」
つまり、明治天皇の父親(孝明天皇)を伊藤が暗殺したこととなってるんですね。
これも謎な部分で、もし孝明天皇の死が暗殺だったとしても、
どうして安が、犯人が伊藤だと考えたのかがわかりません。

不思議ですよね。ちなみに、安重根は韓国国内では反日の義士とされて
いますが、日本の天皇の崇拝者でもあったんです。ただしそのことは、
現在の韓国内では広まっていません。こう書くと問題があるでしょうが、
韓国は、都合のよいことだけが周知され、悪いことは隠され、

歴史的な捏造が横行する、たいへんに幼稚な社会です。
伊藤暗殺の翌年、日本政府は韓国併合を促進し、大韓帝国は消滅します。
ですから、安の行動は、韓国併合を加速させてしまったことになります。
皮肉な話というしかありませんし、
歴史のめぐり合わせの不思議さを実感します。

さてさて、ということで、孝明天皇の暗殺の噂、これが50年近い時を経て、
伊藤博文の暗殺から韓国併合につながっていくわけで、
最初に書いたとおり、噂って怖いなあと思います。ある噂が立てば、
それを利用しようとする人が必ず現れるんですよね。
では、今回はこのへんで。

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