っぉ

ということで、今回も怖い話ではありません。
日本の近代以前の霊能者を集めてみようという内容です。
近代以降は、いろいろとさしさわりがあるのでやりません。
この方たちと御船千鶴子などを比較してもしょうがないですし。

また、菅原道真、崇徳院、将門のように死後に霊力(ありていに言えば祟り)を
発揮した人物は含みません。順位をつけようかとも思いましたが、
異論続出でしょうから、これもやめておきます。
みなさんがホラー系の小説などを書くときの参考になるでしょうか。

役小角(役の行者)


天武天皇(てんむてんのう ?~686?)
 壬申の乱に勝利し、天智天皇の後を継いだことでご存じでしょう。 

 日本書紀には遁甲を能くし、乱の際に式盤を用いて戦いの吉凶を

 占ったとあります。国風諡号は

 天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)で、

 これは極めて道教的な意味合いを含んでいます。
 仏教、神道をともに厚く保護し、霊的な支配を目指したとも言われます。
 また、天皇が再興した伊勢神宮には、
 道教的な仕掛けがほどこされていると説く人もいます。

役小角(えんのおづぬ 伝634~701)
 修験道の開祖とされます。元興寺で孔雀明王の呪法を学んだとあるので、
 仏教系ですが、正式な僧ではないとされることが多いようです。
 金峰山、熊野山などで修行して、山岳修験の道を開いたと言われます。
 讒言により伊豆大島に流されたが、毎晩富士山に飛んで修行をしたそうです。

安倍晴明と芦屋道満


空海(くうかい 弘法大師 774~835)
 幼少時から天才の名高く、遣唐使として入唐後わずか2年で、
 長安青龍寺より密教の奥義伝授を受けます。
 帰国後、高野山で真言密教を伝えました。能書家としても知られます。
 各地で数々の伝説を残しています。
 今でも高野山では、奥の院の霊廟で大師が禅定を続けていると信じられ、
 日に2度の食事が供されています。

守敏(しゅびん 大徳? 生没年不詳)
 空海のライバルとしては、むしろ天台宗の最澄より知られているかもしれません。
 史実はよくわかっていないのですが、嵯峨天皇から空海に東寺が、
 守敏に西寺が与えられ何事にも対立したと言われます。
 空海とのさまざまな術比べの逸話が残っていますが、すべて負けているようです。
 後述する安倍晴明と道満法師のライバル関係のモデルかもしれません。



小野篁(おののたかむら 802~853)
 官位は従三位・参議、文人であるとともに反骨の人であったようで、
 遣唐使を拒否し、朝廷を風刺する詩を作ったため、隠岐に流罪となりますが、
 後に許されます。京都東山の六道珍皇寺の井戸から地獄へ降り、
 閻魔大王の裁判の手伝い(地獄の官吏)をしていたという逸話があります。

賀茂忠行(かものただゆき ?~960)
 従五位下・丹波権介、一般には安倍晴明の師として知られますが、
 自身、子の賀茂保憲とともに優れた陰陽師であったようです。
 箱の中に隠された品物を当てる射覆が得意であったと言われます。

源頼光


安倍晴明(あべのせいめい 921~1005)
 従四位下・播磨守、出自がはっきりせず、
 狐の子であるとの葛の葉伝説が流布しています。
 傑出した陰陽師として高く評価され、各種の作品に登場します。
 花山天皇、藤原道長らの信頼を受け、官位は低くとも尊崇されていたようです。
 数々の不可思議な逸話がありますね。

芦屋道満(あしやどうまん 生没年不詳)
 播磨の国の仏教系、民間陰陽師とでも言うべき存在でしょうか。
 もしかしたら、官制陰陽師と民間陰陽師の対立のようなことが

 あったかもしれません。また、上記したように安倍晴明との術比べの

 逸話は、空海と守敏の話の影響を受けているのかもしれないです。
 ただ、道満が呪術合戦で晴明を殺害し、師である唐人の

 伯道上人が来日して晴明を蘇生させたという話も有名です。

小野篁
っっきう

源頼光(みなもとのよりみつ 948~1021)
 正四位下、まあ武士なのですが、武によって怪異を祓う、例えば、
 刀が魔物除けになるなどのことは、このあたりが元祖かもしれません。
 酒呑童子退治の話が有名ですが、大江山で賊を追討したのは史実で、
 頼光が自らしたためた追討祈願文書が現存します。
 家来の四天王、渡辺綱、坂田金時(金太郎)らが、
 茨木童子などの鬼と戦った話も有名です。

果心居士(かしんこじ 生没年不詳)室町時代末期の人。
 大和の興福寺に僧籍を置きながら、外法に長じたために破門された、
 という話がありますが、よくわかりません。
 幻術で有名です。信長、秀吉、光秀らの前で幻術を披露したとされます。

 松永久秀の前に死んだ妻を出現させ、心底怯えさせた話は有名です。
 昔の幻術の話では、馬を呑む術や、
 瓜の種から、またたくまに天空まで瓜のつるを生やす術などが知られており、
 催眠術のような技術の伝統があったのかもしれません。

祐天上人


天海僧正(てんかいそうじょう 南光坊天海 1536?~1643)
 徳川家康の近習、相談役。100歳以上の長寿であったと言われますが、
 出自ははっきりしません。明智光秀と同一人物説があります。
 古代中国の風水を元に江戸の街を設計し、
 日光東照宮に様々な霊的な仕掛けをほどこしたとされます。

祐天上人(ゆうてんしょうにん 1637~1718)
 浄土宗大本山増上寺36世法主、怨霊封じの呪術僧として知られています。
 最も有名な説話は、「累ヶ淵」の怨霊封じの物語で、
 この話は怪談落語で有名になりましたが、
 実際に江戸時代に民衆に流布していたようです。
まあこのへんで。

修験者