丑の刻参りは、ご存知のように、「丑の刻(午前1時から午前3時ごろ)に、
神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を釘で打ち込むという、
日本に古来伝わる呪い」のことですが、男の浮気、女の嫉妬、
それから妻問い婚、これが三題噺になっている例が多いですよね。

最も古い出典はやっぱり「宇治の橋姫」なのかな。
これは『平家物語』の異本の一つに出てくるんですが、こんな話です。
「嵯峨天皇の時代(平安初期)ある貴族の娘は、
貴船大明神に七日間こもって願をかけた。

私を鬼にしてください。ねたましく思っている女を殺したいのです。
すると、お告げがあった。鬼になりたければ姿を変え、
宇治の河瀬に行って三十七日間浸るとよい。
娘は喜んで都に帰ると、長い髪を松脂で整えて五つの角を作った。

顔には朱をさし、体には丹を塗り、頭には五徳を被った。
そして、三把の松明に火を灯して口にくわえた。
静まった深夜、頭から五つの炎が燃え上がっている娘は、
大和大路を走り出て南に向かった。そうして、

鬼に生まれ変わった娘は、ねたましいと思っていた女と縁者、
自分を嫌って遠ざけた男の親類と配下を、
貴賤や男女を問わずにことごとく殺してしまった。」

これが基本パターンとなって、後代の話に影響を与えているんでしょう。



ただしここではまだ、藁人形と五寸釘は出てきていません。
話のポイントは自分が鬼になり、身を捨てて復讐するという部分だと思います。
元々の丑の刻参りは、深夜に異形となって参ることで、五寸釘と藁人形が
出てくるのはもっと後の時代のようです。江戸初期頃まで下るかもしれません。

前の項で平安時代の人形(ひとがた)を紹介しましたが、あれも
現在知られているのとは別のやり方で呪法に使われたものと思われます。
あとこの時代から、貴船神社がこのような呪詛の舞台として
出てくるのが興味深いところです。

貴船神社


貴船神社は本来は水神であり、また縁結びの神でもあるのですが、
どうしてこうなったのでしょう。これは、「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」
に貴船明神が貴船山に降臨したとの由緒から、丑の刻に参拝して
願いを掛けることは心願成就の方法であるとして、深夜のお詣りが
古くから行われ、それがいつしか、呪詛に変わっていったのだと考えられます。

謡曲の『鉄輪』は、上の橋姫の話とよく似ています。
有名な陰陽師、安倍晴明も登場する話ですが、テーマとなっているのは
やはり女の嫉妬です。「なまなり」という能面があります。
角を少し生やし、髪を乱した女面で、般若となる前の段階、

宇治の橋姫
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女性の中の魔性がまだ十分に熟さない状態を表しています。夢枕獏氏が
『陰陽師 生成り姫』で書いていますので知っている方も多いでしょう。
自分は能はあまり詳しくないんで、見当はずれのことを書いている
かもしれませんが、「なまなり」面は見た感じ、

まだ人としての素性をかなり残しています。それが般若となって
完全に人外の者と化すところで、観客は女の哀れさを読み取るんでしょうね。
古典作品には、女の嫉妬がテーマとなっている話はたいへん多いです。
この理由として、一つに古代の妻問い婚の制度があるのではないでしょうか。

鉄輪(かなわ)
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男が女の家に通い、名を呼ぶ「ヨバヒ」を行います。
女がこれを許せば婚姻が成立します。平安時代頃だと、男は朝になると
帰っていき、歌を贈ります。子供が生まれれば女の家が育てます。
離婚も簡単で、夫が妻方に通わなくなったら「床去り」「夜離れ」
といって離婚となりました。このような立場で、

女の心が醒めていないのに男が来なくなった場合、その恨みは深いでしょう。
まして、男に新しく女ができたために問いがとだえたとなると、

なおさらです。丑の刻参りは現代でもあり、藁人形の代わりに、
相手の写真やかつて贈られた品などが使われることもあるそうです。
怖いですね。