今回はこういうお題でいきます。『葉隠 はがくれ』はご存知だと思います。
江戸時代中期(1716年)に、肥前国、佐賀鍋島藩士、山本常朝
が口述した言葉を、同藩士、田代陣基が筆録してまとめたものです。
「聞書」全12章で、かなりの分量があります。

山本常朝


口述筆記というところにご注意ください。主君への殉死が許されずに
出家した常朝が、あれこれ思うままを述べているので、
内容はひじょうに雑多なものになってるんですが、
ひとことで言えば、武士として生きるための生活の知恵集でしょうか。

『葉隠』といえば、「聞書一」の冒頭に出てくる、
「武士道といふは、死ぬことと見つけたり」の部分が有名ですが、
ここだけ見て、「武士は主君のために忠義を尽くして死ななければならない」
こういう内容をえんえんと書いていると思われている方も
いるかもしれません。でも、それはかなり違うんです。

『葉隠』の一節には、「丁子(ちょうじ)袋を身につけると寒気風気に
あたらない。落馬したときの血止めには、芦毛馬の糞を煎じて飲めばよい。」
こういった内容も、さも秘伝めかして書いてあるんですね。
丁子は、クローブという香木の花蕾のことですが、うーん、馬糞ねえ・・・
あと、衆道(男色)の心得の話なんかも出てきます。

丁子袋


さて、本題に入ります。この『葉隠』には、幽霊の話、
それからUMA(未確認生物)の話が書かれていて、
なかなか興味深い内容なので、ご紹介したいと思いまして。まず、幽霊の話は、
肥前佐賀藩の藩祖で、戦国武将の鍋島直茂のエピソードとして出てきます。

鍋島直茂


「直茂公の頃、城内三の丸で密通したものがおり、
直茂公は厳しく詮議を行って、男女ともに死罪にした。すると、
その2人は幽霊になり、毎夜出てくるようになった。お女中たちは怖がって、
夜になると部屋から出なくなった。この話を御前様がお聞きになり、
ご祈祷や施餓鬼をさせたが、幽霊は出るのをやめない。

ついに話は直茂公の耳に入り、直茂公は「さてさて、なんと嬉しいことか。
やつらは首を斬っただけでは飽き足らない憎むべき輩なのだが、
死んだ後に成仏することもなく、苦しんでさまよっているのだから、
これは気分のいいことだ。ずっとそのまま幽霊でいろ」とおっしゃられた。
その夜から、幽霊はどちらも出ることがなくなったという。」(聞書三)


わりとありがちな話ではあります。鍋島直茂は、山本常朝が生まれる
50年ほど前に亡くなっていますが、常朝はたいへん尊敬していて、
藩祖の幽霊を怖れない豪胆さをここで書いているんですね。
ただ、これについての常朝自身の感想は述べられていないので、
常朝が幽霊を信じていたのかどうかまではわかりません。

次にUMAの話。これは2つ続けて書いてあって、一つ目が、
「仲間の原田という者が15歳のとき、手に(狩りに用いる)鷹を
すえながら野原を歩いていると、その鷹をねらって大蛇が出てきて、
尾のほうから原田の体を3巻きして締めつけた。原田は怖れず、
鷹を手に乗せたまま、大蛇の頭が近寄ってくるのを待ちうけ、
脇差を抜いて頭を切り落とした。

すると体を巻いていた部分ははらりと落ち、見ると蛇の長さは6m近く

あった。その後、締められた肋骨が痛むのでしばらく養生していたが、
寒中になると今でも痛むと原田は言っている。」
こんな内容です。
6mは日本の蛇としてはかなりの長さですが、それでも、
いてもおかしくはないかもしれません。しかし、次の話は完全にUMAですね。

「ある者が猟に出たところ、何とも言えない生き物が前から
口を開けて襲いかかってきたので、猟刀を突き出して、
その口に自分の肘のあたりまで刺し入れた。その生き物はたちまち死んだ。
長さは3mほどの蛇だが、頭は獅子のような形をしており、
胴の部分の1m20cmほどは猫のようだった。

銭のような鱗があり、アゴから腹にかけて白い毛が生えていた。
そして驚いたことに、ネズミのような足が8本生えていた。
また、尾は先にいくほど細くなっていた。
これを塩漬けにして持ち帰ったら、その後、山中が大いに振動し、
山道もなくなってしまった。」(聞書七)


これは、何でしょうね。こういう記述を見ると、UMAフアンの血が騒ぎます。
最初はツチノコかもと思ったんですが、足8本のところが不思議です。
古代の蛇には足がありましたが、トカゲと同じ4本ですし、
巨大なムカデ類? それとも何かの突然変異でしょうか。あるいは、
肥前には南蛮船も来ていたので、外来生物?? と夢が広がります。

足のある蛇


で、この話に続いて、常朝は大蛇に襲われたときの対処法を、
大真面目に話しています。後ろから襲われた場合は体を開くと、
蛇はそのまま突っ込んでいくだろうとか、
蛇が体を立ち上げたところを打てば倒れるだろうとか・・・
まあでも、このあたりの部分を面白がるのは自分くらいかもしれません。

さてさて、ということで、一般的な研究書にはあまり出てこない、
『葉隠』の奇妙なエピソードをご紹介しました。
『葉隠』は、武士道を説いた本というだけのものではないんですね。
あと、『葉隠』はネットのサイトで全文が読めます。現代語訳ではありませんが、
難しくはないです。ということで、今回はこのへんで。