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鏡の怪談というのが1つのジャンルとしてあると思うんですが、
自分はこれ、あんまり書いてないんですよね。「龍の鏡」というのが

ありますが、これは鏡の恐怖というより予知の話ですし。
どうしてなんでしょうね、けして嫌いというわけではないんですが。

日本では、古来から鏡は呪具・葬具として使用されてきたようです。
あの、邪馬台国の卑弥呼が魏に使いを送ったときに、
その答礼品として魏帝から銅鏡100枚を下賜されています。通称

『魏志倭人伝』の魏帝の詔書に「故鄭重賜汝好物也(特に好物を与える)」
とあるのは、この鏡のことを指しているという説もあるくらいです。

もしこの鏡が見つかれば、そこが邪馬台国かもしれないということで、
いろいろな候補があげられている現状です。この当時、

中国では鏡は日用品で、片手でつるすことのできる小さなものが
一般的でしたが、日本の遺跡から発見される鏡は、
それよりふたまわりほど大きいものが多いんですね。

三角縁神獣鏡


僻邪(へきじゃ)という言葉がありまして、これは魔除けといった意味です。
邪悪なものを避けるということで、よく怖い話に登場する神社の御札も、
一種の僻邪ですね。墳墓で、棺のまわりに鏡がたてかけられていて、
鏡面が外側を向いていた場合、これは遺骸を襲ってくるであろう
魔物をはね返す、僻邪のためのものです。

逆に内側、棺のほうに鏡面が向いていた場合は、僻聖などといって、

棺の中の人物の復活を阻止する意味があるとされたりします。
それから破鏡という語もあり、文字どおり鏡を割ることですが、
当時貴重品であった鏡を小片にして多人数に配るということの他に、

古代の神事として、日の出の太陽が鏡に映って輝いた瞬間に打ち割る、
などということも行われていたかもしれないんです。
この僻邪という語は中国由来ですが、
西洋のほうでも似たような考え方はありました。

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邪悪なもの、人間ではないものは鏡に映らないとかですね。
吸血鬼は俗説として、十字架、聖水、ニンニク、流水、鏡などを怖れると

いわれます。あと、家人が招き入れなければ初めての家には入れないとか。
ただし十字架のように、鏡をつきつけられると苦しむというわけでもなく、
姿が映らないので、吸血鬼の正体を見破られるのを怖れる

という設定が多いようです。

さて、鏡の奇談ということで思い浮かぶのは、江戸川乱歩の『鏡地獄』ですが、
オカルトではなく、球体の内側を鏡張りにして、その中に入った研究者が

発狂してしまうという科学的な話でした。もちろん光源がなければ

球体の中は真っ暗でしょうから、中には明かりを入れます。
うーんこれ、でも自分はそんなに怖いのかなあという気がします。

キャプチャ

もしも人間の視界が360°あったとしたら怖いかもしれません。
あらゆる反射が見えてしまうわけですから。ところが

人間の目は前方しか見えませんので、大きな凹面鏡を見たときと、
たいして変わらないんじゃないかという気がします。

前方に映った像の後方からの反射もあるでしようが、
それは自分の体がじゃまになって、全部は見えないでしょう。
どうしても人間の体という条件に影響されてしまうんですね。
おそらく、立つ位置によって見えるものが変化してくると思います。

あと、西洋の怪談で「合わせ鏡」というのがありますね。
合わせ鏡を立てておくと悪魔がその中を通って、午前0時ちょうどに
2枚の鏡の間にくるので、それをつかまえると願い事をすることができるとか。
合わせ鏡というのもなかなか面白いもので、見ていて飽きないですね。

合わせ鏡
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ただし無限の鏡の道を生み出すのは、さまざまな理由から不可能です。
まず、2枚の鏡の間に入れる光のエネルギーには限界があるので、
ある時点で反射して映す力を失ってしまいます。
それ以前の問題として、合わせ鏡を人間がのぞくためには、

2枚の鏡を角度をつけて立てなくてはなりませんが、そうすると、鏡の道は

どんどん曲がっていって、どっかで鏡面からはみ出してしまうでしょう。
興味を持たれた方は、何枚まで数えられるか実際に試してみてください。
あと、鏡が怖い理由の一つとして、「もし物理法則どおり映らなかったら」

 



という恐怖があるんじゃないかと思います。ある廃墟の

階段の踊り場に鏡がかかっているが、それを午前0時にのぞくと、
自分の10年後が見える、自分が死んだときの顔が見える、
なんてのは定番ですし、自分は笑ってないのに鏡の中の顔は笑っていた、
これだけで、もう怖いですよね。

異世界ということとも関係しているかもしれません。
鏡は壁にかけられたりしていますが、それはのぞき窓のようなもので、
鏡の中にはずっと広い世界が広がっている。そう想像してしまいたくなります。
しかも、鏡の中では自分の右手が左手になっているわけですから、
この世とは物理法則が異なっているかもしれない。

浄玻璃の鏡


そういう想像が広がる余地がありますよね。そういえば、
『ジョジョの奇妙な冒険』のPart3 に登場したJ・ガイルという敵役は、
鏡の中を瞬間移動できるというスタンドを使いましたが、
手がどちらも右手という設定になっていましたね。

さてさて、まとまらない内容をあれこれ書いてきましたが、
自分が一番怖いと思うのは、地獄の閻魔庁にあるとされる
「浄玻璃(じょうはり)の鏡」です。死者がその前に引き出されたときに、
生前のすべてを写し出すといわれます。

自分の一生を撮ったビデオ映画みたいなものですが、もしこれで

嘘をついたことがバレると、ヤットコで舌を抜かれてしまいます。
怖いなあと思うのは、外面だけではなく心の内部も映し出されることで、
それも自分だけではなく、自分にかかわった他人についてもです。

 



ですから、自分があるとき取った行動に対して、
関係者がどう思ったか、その心情までがはっきりわかってしまうのです。
人間というのは、都合の悪いことは忘れてしまいがちなものです。
他者の心を大きく傷つけていたのに、記憶に残っていないことというのは、
一生の中では、誰でもたくさんあるだろうと思われますが、

それをすべて見せられたんではたまりませんよねえ。
「わかりました、行き先は地獄でいいです」と、
おそれ入って自分から言ってしまうかもしれません。
地獄も浄玻璃鏡も、現世での行いを慎ませるために考えられたという
側面があるのでしょうが、よくできていますよね。