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今回はこういうお題でいきます。江戸学です。死者の霊を表す
「幽霊」という言葉は、『曽我物語』などにも出てきますので、
古くからあったのは間違いないでしょうが、
江戸時代以前には同じような意味を表す言葉としては、

「亡魂  ぼうこん」のほうをよく見る気がしますね。
幽霊の言葉が広く使われるようになったのは江戸時代からで、
芝居や読本などの影響が大きいんでしょう。
そのころにつくられた古川柳をいくつか紹介します。

最も有名なのは「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」でしょうか。
ことわざとされることもありますが、元は俳句のようです。
江戸中期の武士、国学者である横井也有(やゆう)の『鶉衣』という俳文集に、
(これは有名ではありませんが、飄逸味縦横のひじょうに優れたものです)
「化物の 正体見たり 枯尾花」という句があり、これの「化物」の

部分が「幽霊」に転じて広く知られるようになったようです。

枯尾花
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意味は解説するまでもないでしょうが、
「幽霊かと思って驚いたが、正体は枯れススキだった」ということで、
完全な幽霊否定派の内容です。まあ、人間の心の内にある
「怖い怖い」という思いが、幽霊を自らつくってしまう。
「幽霊=人間の持つ闇、孤立などに対する根源的な恐怖」説
と言っていいかもしれません。

これ式の説話も昔からあります。夜遅く怖い怖いと思いながら道を歩いていると、
白いものが足元に走り寄ってきたので提灯を放り出して逃げたが、
あとで自分の飼い犬だとわかって臆病者と馬鹿にされたなど。
一方では猿神(ヒヒ)退治などの話があり、他方では
そうした話も併録されているのが、古典作品の奥深いところです。

「幽霊は 皆俗名で あらわれる」(『誹風柳多留』)
この意味はわかるような、わからないような。
表面的な意味はわかりますよね。
幽霊は普通、俗名である「お岩」などと呼ばれ、自分でも名乗ったりもする。
しかし死者であるなら○○居士、信女という戒名に変わってるはずだろう、
という皮肉なのだと思います。

妖怪 柳婆


まあ、もし成仏してるのなら幽霊になることはないわけで、
したがって戒名で名乗ることはない、というのは当然のように思えます。
お岩さんの場合は戸板にくくりつけられて川に流された(『東海道四谷怪談』)
ので、葬式はしておらず、引導を渡されてないわけですが。
もしかしたら当時の仏教に対する苦言も含まれているのかもしれません。

「幽霊の 留守は冥土に 足ばかり」
これはややわかりにくいかもしれません。幽霊は冥土が本拠地であって、
この世には外出して現れるわけですが、
なぜかこの世での幽霊は足がないことになっている。


そのため、冥土には外出中の幽霊の足だけが残っているという意味ですね。
知的なギャグなのでしょうが、幽霊画で広まった足のない幽霊像が、
よく考えれば理屈に合わないものである、とも言いたいのかも。
余談になりますが、古川柳というのは当時の風俗や流行りものと、
密接に関連していて、その風俗が失われた今となっては、
何が言いたいのか意味がつかめなくなってしまったものも多いんです。


例えばこれはどうでしょう。 「引導に 退屈をする 古着買い」
まだ、少し考えればわかるレベルのものです。
意味は、「葬式に、故人の衣服を買いに来ていた古着屋も参席し、
引導を渡すためのお経に退屈をしている」ということで、
現代でも遺品整理、廃棄などの職業もありますし、理解はできます。

「幽霊に なれば平家も 白いなり」
これはわかりやすい。源氏の白旗、平家の赤旗ということです。
江戸時代は死に装束(経帷子)で現れる幽霊が多かったわけです。
最近この幽霊観は変化してきて、死の瞬間に着ていたものや、

故人が好んでいた衣服などに目撃例は変わってきています。
また、平家の幽霊の話は『船弁慶』 『耳成芳一』などいろいろありますね。
幽霊になっても不思議でないだろうと、
平家の恨みの念の深さに共感していた民衆が多かったのでしょう。

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「幽霊の 手持ち無沙汰や 枯れ柳」
これも皮肉っぽいですね。幽霊は枯れ柳の下に出ることが多いとされていて、
枯れ柳は垂れ下がって不気味な上に、幽霊が出るという評判になれば、
ますます通る人が少なくなる。
で、幽霊はやることがなくて手持ち無沙汰である。
何で人が大勢いるところに出ないのか。

「梅の木の 化け損なひと 時平いひ」
これはわかりますでしょうか。
ここまで見てきたのは一般化された幽霊の川柳でしたが、
これは特定個人の幽霊・・・と言ってはいけないのでしょう、御霊です。
時平は藤原時平で、梅の木の逸話で知られる菅原道真を左遷させた
張本人ですね。こういう有名人の霊をあつかったものは
いろいろとあります。では、ここらへんで。

『柳下幽霊図』 呉春