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今日の話題はこれでいきます。当ブログでは、これまで、
あんまり仙道にはふれてこなかったんですよね。特に理由はないんですが、
やっぱりとっつきにくい感じはあります。ところで、日本は中国経由で
仏教、中国のものである儒教を受容しているのに、
どうして道教はさかんにならなかったんでしょう。

かわりになるものとして、陰陽五行思想、天文、暦学などをベースとした
陰陽道があったからでしょうか。一説には、唐の時代に、
中国から道教の受容を求められた際、天照大神を中心とする日本神話、
天皇中心の政治体制とは相容れないものであるからという理由で、

道教の神々 中央が関羽のようです
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拒否したという話があります。この真偽はわかりませんが、
自分はけっこうこれを支持しています。道教の神々はたいへんに数が多く
日本の神と競合してしまいます。道観(道教寺院)が日本にできなかったのは、
意図的にそれを防ぐ体制が、やはりあったのではないでしょうか。

仙道(神仙思想)と道教の違い。これもかなり難しいですが、自分的には、
完全な個人救済(自分だけが修業によって仙人になる)が仙道。
2世紀に興った、五斗米道や太平道などの教団化したものが
道教というふうにとらえていますが、これには異論もあると思われます。
ただ、道教教団が行うような集団生活や、謝礼を得ての病気治療、

八仙図 有名な8人の仙人を描いたもの
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魔を払うといった行為(キョンシーに出てくる道士のような感じ)は、
本来の神仙思想にはないものです。仙人になれば不老不死になりますが、
そのかわり我欲が消え失せ、世俗のこと一切に関心を持たなくなる
ことになってますから。ただ雲に乗って高天を浮遊してるだけで、
それが楽しいのかどうかもわかりません。

神仙思想は、前述したように個人が仙人になるためのものですが、
その中には選民思想も含まれています。どういうことかというと、
素質のないものは、いくら努力しても仙人にはなれない、
なれたとしても高位には登れないということです。

人間的な感情を捨てられなかった杜子春は仙人になれなかった


その素質のことを仙骨と言います。「お前は仙骨が短いから仙人には
なれない」みたいな感じですね。中国の殷周伝説で出てくる「太公望」
呂尚は、一度仙界で修行したものの、素質が足りないので人界に戻され、
周の軍師になって、易姓革命で活躍することになります。

芥川龍之介の『杜子春』、これは中国の古典を童話化したものですが、
原作では、牛馬と化した両親が鞭打たれる場面で、
杜子春は思わず声を出してしまい、仙人になれなかったことで、
後で師に叱られてしまうんですが、

芥川作品では、「あのとき声を出さなかったら私がお前を殺していた」
と改作されています。原作は、杜子春が仙人になるための冷厳さを
持ちあわせていなかった、というだけの話だったのが、
人間としての情を主題に、日本的に変えられているわけですね。

実在の人物かどうか、大きな議論がある老子
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さて、仙人の種別としては、一番位が高いのが「天仙」です。
飛行能力を持ち、つねに雲上を飛び回っていて下界のことには
関心がありません。「羽化登仙」という語は、この天仙を指しているようです。
修行の末に、地上に沓だけを残して、忽然と姿が消え去ってしまうんです。
次が「地仙」。これは龍などに乗って飛ぶことはできますが、

つねには高山の洞などに住んで修行をしています。一番地位が低いのが
「尸解仙 (しかいせん)」です。いったん死んで棺に葬り去られたのち、
棺桶の中に剣を残して死体が消え失せ、仙人になるというものです。
尸解仙の中にもまたレベル差があり、宝剣を用いて尸解したものが
上位で、普通の剣や木剣は低レベルといった話もありますね。

また、『封神演義』は仙界を舞台にした空想小説ですが、その中では、
仙道が「闡教(せんきょう)」と「截教(せっきょう)」に二分されていました。
「闡教」は元人間だったものが修行により仙人になったもの。
「截教」は人間以外のもの、大亀とか孔雀、植物、妖怪、
自然現象などが仙人化したものとして描かれています。

陰陽思想がベースになっている太極拳
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お話では「截教」が戦いに負けて、多くの人間以外をルーツとする
仙人が殺され、神として封印されます。また、
仙人は男性が多いですが、女性もいますし、風貌も老人だけではなく、
「◯◯童子」という子どものような姿形のものもいます。
自分が好む姿に自在になることができるみたいですね。

道教と老荘思想。これも難しいところですが、いつかの時代に、
「老荘思想」が神仙思想に取り入れられ、道教へと変遷していった
のだと思われます。そもそも、老子自体が実在性を疑われている
人物ですので、はっきりしたことは言いにくいんです。

ただし、道教の方法論、神々の像に祈りを捧げ、病気になれば
護符を書いて飲むといったことを、胡散臭い、馬鹿げている
と思う知識人は古代でも当然いたことでしょう。
ですから、教義に深みを与える必要があったんですね。

太極図
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それには、老荘思想の「無為自然」 「徳」などの概念は
恰好のものでしたので、それらを取り入れて権威をつけ、
現在の道教は、「道(タオ)」(宇宙自然の普遍的法則や根元的実在)を、
最高概念として置くようになったと言えるんじゃないでしょうか。

あとまあ、孔子の儒教に対して、老子の道教とすればおさまりがいい
とかもあるのかもしれません。ちなみに、道教では、
老子は太上老君という神仙になっています。晋代の『抱朴子』の
記述によれば、口がカラスのようで、耳の長さは7寸、
額に3本の縦筋 で牛に乗る異形の姿に説明されています。

長くなってきましたので、最後に神仙になるための修行法。
これは内丹法と言われるものです。「仙人はカスミを食べる」
という話がありますが、天地自然の気を体内に取り込み、
練ることを指します。自分が自然と一体化すると言ってもいいでしょうか。
じゃあ具体的にどうすればいいんだ、となるでしょうが、

秦の始皇帝に仕えた方士(道士)徐福
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これは難しくてなかなかできないところに妙味があります。
簡単にできてしまったら、富裕層に取り入った道士はイカサマが
続けられなくなりますから。内丹がうまくできないので、
外丹法が勧められることになります。食事や仙薬によって仙人化する
ための方法で、秦の始皇帝の道士、徐福は、

「東方の三神山から神仙になる薬を取ってくる」と財宝をもらって
逃げてしまいました。外丹には、水銀化合物やヒ素化合物なども多くあり、
秦の始皇帝をはじめ、長命になるどころか、これで命を落とした人も
多かったと言われます。

さてさて、ここまでの話で、「道教」 「仙道(神仙思想)」 「老荘思想」の
違いがおわかりになったでしょうか。これらは長い歴史の中で
ごちゃごちゃと混ざり合っているので、中国人でも説明は難しいんですね。
では、今回はこのへんで。

太上老君 牛に乗って描かれることが多い。