バブルが終わって何年かたったころの話ですね。ほら、ちょうど貸し渋り
なんて言葉が出てきた。うちの主人は、ある銀行の支店長をしてて、
毎日帰りが遅かったんです。土日の休日出勤も多かったですね。
それで、ある日曜の午後のことです。夕方に電話がかかってきまして、
私が取ったんですが、出ると、「ご主人はいますか」って暗い声がしました。
「どちら様でしょうか?」と聞くと、「・・・山科ケンネルって者ですが、
あなた奥さんですか?」 「はい、そうですが」
「・・・いいですねえ、生きていられて。うちの妻はついさっき死にました。
つきましてはね、お宅に死んだ犬をおくりたいと思いまして・・・」
こんなことを言われたんです。それで気味が悪くなって、ソファで

ビデオを見てた主人に、「あなた気持ち悪い電話、山科ケンネルだって」

そう言うと、主人はちょっと顔をしかめ、「ああ、今出る」って。
それから、最初は声をひそめて話してたんですが、
だんだんにそれが大きくなって、やがて主人が怒鳴り声になり、
「やってみなさいよ!!」って言って、叩きつけるように電話を切ったんです。
「どうしたの?」 「いや、仕事上の取引先なんだが、なんなんだよ。
家にまで電話かけてきて」 「さっき、死んだ犬をおくるって言ってたけど」
「けっこう前からつき合いのあるペットブローカー会社なんだ。
ただ、この間、新規融資を断ったのをうらみに思って、
嫌がらせをしてくるんだよ。困ったもんだ」
そのときは、そんな会話になって終わりました。それから、2日たって、
私は主婦なので、のんびり午後のワイドショーをTVで見てたら、

「山科ケンネル経営者が自殺遺体で発見、ブリード施設には多数の犬の死体」
こんなニュースが出たんです。「山科ケンネル? この前電話かけてきた人だ」すぐ

そう思いました。それで、ニュースでは自殺の方法などは報道しなかったんですが、
死んでた犬は数十頭におよぶそうで、ほとんどが首がなくなっていたと
いうことでした。「ああ、怖い」それと、ニュースの最後のほうで、
経営者の奥さんが行方不明で、警察で捜査中って話も出たんです。
「あ、こないだの電話、妻がさっき死んだって言ってなかったっけ」
ますます怖くなって、その日遅くに主人が帰ってきたとき、
その話をしたんです。少しお酒が入っていた主人は、チョッと舌打ちをして、
「ああ、当てつけみたいに自殺しやがって。おかげでこっちにも警察が来た。
もう何もかもバブルのころとは違うのに、

放漫経営やってたツケだろうに。逆恨みもいいとこだよ」
こんなことを言いました。私が「TVで奥さんが行方不明って言ってたけど、
こないだの電話では、さっき死んだみたいな話をしてた。
これ、警察に言ったほうがいいのかしら」そしたら主人は、
「いいからほっとけ、かかわりあいになるな。どうせ死んでるんだろ」
そう言い捨てて風呂に入りにいったんです。
それから、数日は特に何事も起こりませんでしたが、ある日、
小学校から帰ってきた息子が、「隣のペスね、変なんだよ。いつもは頭を
なでさせてくれるのに、今日はチェーンがちぎれるくらい暴れてて怖かった」
こんなことを言いました。ペスというのは、お隣が飼ってる中型犬で、
息子はよく門から入っていって、かまったりしてたんです。

「たまたま機嫌悪かったんじゃない」そう答えましたが、そのとき、

何か気味が悪いものをちょっと感じたんです。その夜中、1時前くらい、

そろそろ寝ようかというときに、表で「ギャン、ギャン、ギャオーン」
って鳴き声が聞こえて。お隣のペスだと思いました。
翌日、主人を送り出した後くらいに、隣にパトカーが来たんです。
外に出てみましたら、隣のご主人が警官と話していて、奥さんの姿も

見えましたので、近寄って「どうされたんですか?」って聞いたんです。
そしたら、「ペスが殺されちゃって。首を切られて」こう言われたんです。
「どうして?」 「わからないですけど、警察は野犬じゃないかって

言ってます・・・」奥さんは憔悴されてました。お隣は子どもがおらず、
奥さん、朝方に、よくペスを散歩させてたんです。「野犬・・・・」

それからまた数日して、家にはせまい庭があるんですが、天気が良かったので
草取りをしてました。すると・・・不意に生臭い臭いがしたんです。
動物臭に肉の腐った臭いが混じったというか・・・吐きそうになり、
「なにこれ」と言って立ち上がったんです。そしたら、「グルルル」という
唸り声が聞こえたんです。お隣との境の塀のほうからです。
「犬?」そう思って見ましたが、何もいませんでした。
気のせいだろうか、でもこの臭いはどこから・・・そのときに、「ワオン」

という犬の鳴き声が聞こえたんですが、それが、うまく言えないんですが、
一つの声じゃなくて、何匹もの犬の声が重なったっていうか・・・
ぞーっと背筋が寒くなって、移植ベラを投げ捨てて、逃げるように家に入りました。
夜、比較的早く主人が帰ってきましたので、このことを話すと、

「気のせいだろう」と言われるかと思いましたが、主人は真顔で、
「それな、銀行に山科ケンネルからの手紙が来たんだ。俺のことを恨んでて、
復讐してやるって内容の。上のほうと相談して警察に届けたが、
すごく嫌な、気が滅入るような言葉が並んでた。もちろん経営者は死んでるから、
何かするってことはないだろうが、奥さんはまだ行方が知れないし、
気をつけたほうがいい」こんなことを言ったんです。
その夜、9時ころです。2階でガシャーンとガラスが割れる音がしました。
2階には息子しかいません。階段をかけ上がっていくと、
息子が廊下で頭を抱えていました。「どうしたの?!」
「お母さん、犬、犬、犬!」 そう言って自分の部屋を指さしたんです。
息子を落ち着かせながら、部屋のドアを開けると、

部屋の中にガラスが散乱してました。外から割れたのだと思いました。
息子から話を聞くと、要領を得ないものでしたが、部屋のカーテンを
閉めようとしたとき、屋根の上に怪物がいたということでした。「どんな怪物?」
「犬、体は一匹なのに、たくさんの頭がついた犬・・・お母さん、怖いよう」
なんとか息子をなだめて下の寝室に寝かせていると、主人が帰ってきたので、
起きたことを話すと、「銀行のほうでもおいろいろ起きてるんだ。
だから、本店の上のほうが、そういうことに詳しい人に連絡して、
明日、うちに来てくれることになった」こう言ったんです。翌日、土曜日でしたが、
来られたのは和服の、背の高い威厳のある老人の方でした。老人は
私たちの話を聞き、天秤ばかりのようなものを持って家の内外を歩き回りました。
そして、庭の一角を指差し「ここに祭壇を設けます」って言ったんです。

それからは早かったです。車で来ていた老人の弟子のような人たちが、白木で、

その場所に祭壇を組みあげ、その前に穴を掘って、大量の肉を埋めたんです。
「明日の朝方ですかな。そのころに来るでしょうから、あなたたちはこれを持って、
ベランダのガラス越しに見ていなさい」そう言って、私たちに青く透明な丸い玉を

渡しました。息子は、親戚の家にあずかってもらうことにし、老人とお弟子さん

たちはその後、ずっと祭壇の前で呪文のようなものを唱えていました。ええ、徹夜で

です。私と主人は朝、4時に起き、廊下に正座してガラス越しに見ていました。
30分ほどして、きつい臭いが漂ってきました。あの獣臭と腐敗臭が混ざった

臭いです。うちのサッシは厚いのに、それごしでもひどい臭いでした。老人は

立ち上がり、いっそう声が高くなり・・・それにかぶさって、「ウワオオオ

オオオウ」という叫び声。老人は香炉から灰をつかんでそのほうに投げつけて・・・

朝の光の中で、そのものの姿がはっきりと見えました。大型犬の体に、たくさんの

犬の首がついたもの。首は10以上あり、その中にはお隣のペスの頭も

あったように思います。そして、たくさんの犬の首の中からぬっと突き出し、
大きく口を開けて歯をむき出しにした中年の女の人の頭。私が立って逃げ出そうと

するのを、主人が手をつかんで止めました。庭で老人が「そら、やれ!」と声を

かけると、お弟子さん2人が白鞘の短刀を抜いて、犬の化物に体当りしたんです。
「オオオオ~~~~~~~~~ン」それは崩れ去るように消え、老人が手を

パンパンとはらう仕草をしました。あっけなかったですが、これで終わったんです。
それから1ヶ月ほどして、山科ケンネルの奥さんの遺体が山中から見つかりました。
頭がなかったんですが、体の特徴や着衣、DNAなどでわかったんです。
あれ以来20年以上たちますが、私の家におかしなことは起きていません。