中学校3年生の秋本さんの話
今晩は、よろしくお願いします。私が住んでいる町は、場所は言えませんけど、
現在、人口1500人ほどの過疎地なんです。前は高校があったんだけど、
なくなってしまって、私も、卒業したら他の市の高校に通うことになります。
それで、中学校の総合の時間に、個人テーマを決めて調べ学習するって活動が

あるんですが、私は、郷土学習を選んだんです。はい、この町の歴史を

調べるってことです。ただ、歴史といっても幅が広いので、何かテーマを

一つにしぼりたいと思って町史を見ましたら、昭和の初期に大火があったんです。

その頃はまだ、町は鉱業で栄えていて、人口は今の倍以上でした。町史には、

その町の半分以上が焼け、78名の死者が出たと書かれていました。えー、

こんな大事件があったんだと思い、インタビューを中心に研究をまとめました。

町役場の建設課に勤める武藤さんの話
大火のときの話ねえ。さすがにもう90年以上前の出来事だから、
当時のことを知ってる人は生きちゃいないよ。だいたいのことは、
町史に書いてあるとおりだと思う。ただねえ・・・ ここからはちょっと
非科学的な話になるから、秋本さんの研究には役立たないかもしれないけど・・・
ほら、ここは建設課で、道路工事なんかも担当してるんだが、
アスファルトをはがして、地面を50cmくらい掘ると、真っ黒い
焼けた土が出てくる場所が町にはあちこちにあるんだよ。
そういう場合、工事してる連中はいったん作業をとめて、黙祷をし、
それからコップ一杯の水をお供えすることにしてるんだ。
これ、昔からずっと続いてるし、もちろん今もやってる。

そのとき亡くなった人の霊を慰めるんだ。そのことは、この地域の

建設会社ならみな知ってる。え、やらないとどうなるかって?
うーん、それはねえ、前に1回だけ、
東京の会社が入札で工事を受注したことがあってね。
その工事には、自分が立ち会ったんだよ。でね、焼け土が出てきたとき、
自分が、この地域では、お水をお供えしてるんですって事情を話したら、
そのときの若い現場監督は鼻で笑って、迷信ですよ、ってやらなかったんだ。
そしたら、工事で事故が続いてねえ。それも、常識じゃあるりえないようなこと
ばっかりで、まったく作業が運ばなくなった。で、直接その会社の社長に

かけあって、簡単な慰霊祭をやってもらったんだよ。そしたら、それからは

トントン拍子に進んでね。まあ、そんなことがあったのを覚えてるよ。

町の氏神神社の宮司をしている武田さんの話
ああ、大火のときの話ね。うちの神社は、200年以上前からあるんだけど、
幸い、あの火事には巻き込まれないで済んだんだよ。いや、やっぱり神様が
守ってくれたんじゃないかな。この神社の杜の中に、大火の慰霊碑がある。
行ってみようか。ほらこれだ。こっち来てみて。
大火のときに亡くなった人の名前が全部、裏に刻んであるんだよ。
全部で78名ね。うん、毎日 碑にはその朝に汲んだお水をお供えしている。
熱かったででしょう、苦しかったでしょう。安らかにお眠りくださいって。
え、なんでこんなに厳重に柵で囲ってあるかって?
うん・・・それはね、火傷をする人が出ないためなんだ。
これ、信じられないかもしれないけど、大火があったのは5月3日の未明で、

その日は1日中、慰霊碑が熱くなったんだ。触ると火傷してしまうほどに。
これは、先々代の宮司さんから聞いた話だけどね。
慰霊碑が建った次の年、5月3日に慰霊祭をやることになって、
朝から準備をしてたんだが、そのときの手伝いの人が、
碑を水でお清めしてたら、手のひらに火傷をしてしまった。
それでね、急遽 柵で囲むことになった。当時はまだ、
亡くなった人たちの無念が残ってたんだろうね。
今? 今もそうだよ。大火があった5月3日には、火傷するほどじゃないけど、
じんわりと熱くはなる。・・・そうだ、当時、火元が近かった上野さんって家が
あるから、そこの家のご主人に話を聞いてみるといい。
うん、こっちから電話をかけて、あなたが行くことを連絡しておくから。

農業をしている上野さんの話
ああ、こんな年寄りのところによく来てくださった。
うちの井戸の話を聞きたいんだって? 裏庭にあるから、いっしょに行ってみるかい。
この井戸だよ。いや、私のじいさんの代から使ってはいない。
使ってはないけど・・・つぶしもせずにこうやって残しているのは、
いまだに水を求めに来る人がいるんじゃないかと思ってだね。
うん、これもじいさんから聞いた話なんだが、あの大火のとき、
うちは火元に近かったのに、家は焼けずに済んだんだよ。
風向きが幸いしたんだろうね。で、煙に巻かれて火から逃げてきた人が4人、
この井戸の前で折り重なって亡くなってたのが、後になって見つかって。
それ以来、うちでは井戸は使わなくなったんだ。

それで、あんたみたいなお嬢さんは怖がるかもしれないけど、
大火のあった5月3日の明けがたに、その4人が井戸のところにやってくる、
という話を子どもの頃から聞かされてきたんだな。
私だけじゃなく、私の親父もじいさんからそれを聞かされて育ったって言ってた。
いや、実際に見たことはないよ。5月3日の前日に、
井戸の前にたくさんお供えをして、あとは誰も家の外に出ないようにしてるから。
うーん、でもねえ、あれから100年近い年月がたって、もう亡くなった人たちの
無念は消えてるとも思うんだけどねえ。え、大火が起きた原因?
それが、正式には不明なんだ。いろいろ取り沙汰されてることはあるけど。
そのあたりのことは、町史を編纂した西川さんって人が詳しいから。
なんだったら話を聞きに行けばいい。私から連絡しておくよ。

町役場を退職した西川さんの話
大火の原因ね。・・・それねえ、火元は鉱山に機械を納入してた工場じゃ

ないかって話は当時からあったけど、はっきり特定はされてないんだよ。
うん、そこの工場の経営者は町の有力者だったからね。その一家の当主が、
うちではそんな朝早くに工場は可動してないし、火の不始末もなかったって
言い張ってね。大陸での戦争がますます激しくなる時期だったし、あいまいな

ままに警察の捜査は終わってしまった。でもね、その一家、町の人に

恨まれてねえ。工場は焼けて、機械を売るあてもなくなり、居づらくなって、
とうとう引っ越していったんだ。で、引っ越した先の市で火事を起こして、
一家全員が死んでるんだよ・・・ え、その工場の跡地? パチンコ屋に

なってたけど、もうつぶれて、取り壊されもせず廃墟になって残ってるな。

中古車販売店に勤める中西さんの話
俺ね、高3のとき、心霊現象とかに凝ってて、
仲間とあちこちの心霊スポット巡りに行ったんだよ。何カ所も回ったけど、
おかしなことはなかった。ただ、あのパチンコ屋の廃墟をのぞいてね。
ああ、あれ、たしか5月2日の夜だったはず。ほら、次の日が休日だろ。
で、仲間2人と行ったんだけど、パチンコ屋の建物には簡単に入れた。
ガラスが割れてたからね。中を懐中電灯で照らしながら一まわりして、
写真を撮るつもりだったんだけど、中が異常な熱さだったんだ。
あの町は雪国だし、5月の初めなんてまだ寒いくらいなのに。
それでも、みな汗をだらだら流しながら、中を回って歩いて。
でね、入ってきた場所から店内を最後に写真撮って・・・

もちろんフラッシュたいて撮影したんだけど、いったん店内が白く明るくなって、
それから赤く変わったんだ。フラッシュなんて一瞬だろ。それがまるで

火事のど真ん中にいるみたいに、ゆらゆら揺れる赤い光につつまれて、
体中がますます熱くなってきてね。みな、こりゃヤバイと思って逃げた。
でね、パチンコ屋から離れて見てたんだけど、中の赤い光はしばらく

消えなかったな。で、仲間の一人の家に行って、デジカメの写真を見てみた。
そしたら、撮ったときには何もなかったはずなのに、たくさんの黒い影が、
助けを求めるように両腕を伸ばして、俺らに近づいてきてたんだよ。
それ見て怖くなって、その写真はカメラごと町の氏神神社に持っていった。
そしたら宮司さんに、罰当たりなことをするなって怒られて、
カメラは没収されてしまったんだよ。どう? 役に立ったかい。