あ、どうも。私、種木といって骨董屋をやっています。これは、この間、
出張で買い取りにいったときのことなんです。電話で連絡を受けた先は
栃木県で、80歳を過ぎた当主が亡くなって、奥様がその当主の遺した
骨董品を売りたいってことだったんです。言葉のはしばしに上品さが
にじみ出た奥様でね。こりゃきっと旧家なんだろう。きっと掘り出し物
があるだろう、そう思ったんです。で、行った先は栃木の田舎で、
予想通りの古い大きな木造家屋でした。昭和の初期に建てられたもの
なんだそうですが、池のある庭に面して母屋と蔵がありました。
こりゃ期待できるぞと思ったら案の定、江戸時代の名のしれた画家の
掛け軸や屏風がいくつもあったんです。でね、事前に連絡を受けて
たんです。骨董品の他に、明治か大正時代の金庫があるが、ダイヤル式の

番号がわからなくなっているので、できるなら開けてほしいってことでした。
今、テレビでそういう番組がありますよね。古い金庫を開けるやつ。
このことを聞いてたんで、栃木の家におじゃましたとき、解錠の専門家を
いっしょに連れていってたんです。でね、金庫の場所に案内してもらうと、
高さが1m20cmほど、幅と奥行きが40cmほどの鉄製の耐火金庫。
金庫屋の話では明治の終わりから大正時代のものだろうということ
だったんです。「開けられるか?」と聞いたら、金庫屋は「わけないよ」
と言い、金庫に聴診器をあてながらダイヤルを回して、見事、20分くらいで
開けてみせたんです。やはり専門家は違うもんだと思いましたね。
でね、肝心の中身ですが、現金や証券類はいっさいなし。入っていたのは
一枚の額と、黒い木彫りの箱だったんです。

額のほうは、ガラスこそはまってませんでしたが、黄色く日焼けした、
年季の入った写真が飾られていたんです。20歳前と思われる若い女性が
振り袖姿で一人で撮られたものです。当時のお見合い写真か何か
なんだろうかと思ったんですが、写真を取り出して裏書きを見ると、
どうもそうでもないようでした。裏には筆字で、「大正11年、11月12日、
失踪スル前ニ写ス」と書かれてたんですよ。そのあとに「巻子愛用ノ手鏡ト
共ニココニ封印スル」って。失踪とか封印とか穏やかじゃないですよね。
それで奥様に「これは何か、心当たりがありますでしょうか」と尋ねて
みたんです。奥様はしばし考え込むような表情をしておられましたが、
やっと何かに思いあたったように「そういえば、私の大叔母にあたる方で、
結婚前に行方知れずになった方がいたということを聞いたことがあります」

と答えられたんです。「巻子という名前だったかどうかは覚えていませんが」
「で、その方はどうなったんですか?」 「確か、大々的に賞金までかけて
捜索したけれども、見つからなかったということだったような。結婚式の
直前だったそうです」これを聞いて、ああ、もしかしたら結婚するということで
ナーバスになっていたのかもしれないと思ったんです。自分の家のことで恐縮

ですが、じつは私の一人娘ももうすぐ結婚で、当時とは違って恋愛結婚ですが、
やはり精神的に不安定になってると感じてたんですよ。それから、写真の
裏書きには手鏡と共に封印するとありましたが、いっしょに金庫に入ってた
木箱、おそらく黒松・・・の形が丸に長い柄のついた手鏡型だったんです。
ですから、当然中は手鏡だと思い、開けてみるとそのとおりでした。
ただね、意外なことにその手鏡、ガラス製ではなく金属・・・銅製のもの

だったんです。これは、と思いました。日本に板ガラスが入ってきたのが
明治時代です。それまでは鏡といえば金属鏡でした。ただね、金属製の
鏡というのは、いつも水銀で磨いてないと、たちまち曇ってしまい、用を

なさなくなるやっかいなものだったんです。それに、今は、水銀は毒性がある
ということで避けられていますからね。でも、江戸時代の品なら貴重なもの
かもしれないと考えたんですが、裏面の文様は平凡な鋳造で、旧家には
似つかわしくない安物だったんです。つまり値はつかない。さすがに
庶民は持てなかったでしょうが、ちょっと裕福な武家ならばどこにでもある

ような汎用品だったんです。ほら、歌舞伎のお岩さんの芝居で、お岩さんが
髪を梳きながら、自分の容色が衰えていくことを嘆く場面で出てくるような鏡。
「これはどうしますか?」と聞きましたら、奥様は「写真は手元に置いて

おきますが、鏡のほうは持っていってください」こういう話で、まあ、
お金にはならないだろうと思ったんですが、他のもので稼がせてもらったんで、
いちおうこちらで引き取ったんです。その鏡、店のほうでよく調べてみると
鏡面のほうになにか固いもので引っ掻いた傷ができてました。☓の形に。
そのときは偶然だろうと思って、こちらも商売用に用意してある磨き粉で
ひと磨きしたんです。そしたら曇りが取れてよく映るようになりました。
ただ、その鏡で自分の顔を見たとき、ゆがんだりはしていなかったんですが、
なんだかとても嫌な気持ちになったんです。どうしてそう感じたかは
わかりませんが。それと鏡の端、目の端と言えばいのかな。何かが見えた
気がしたんです。でもまあ気のせいだろうと思って、仕事机の上に
置いといたんですよ。そしたらね、夜、娘が仕事から帰ってきたときに

その鏡を見つけて、手にとってしげしげと見ていたんですが、「これ、
気に入ったから、もらってもいい?」って聞いてきたんです。私は
「ああ、べつにかまわんよ。値段のつけようもないもんだから。
ただ、金属の鏡だから頻繁に磨かないと曇って何も見えなくなっちゃうぞ」
こういう会話になったんです。その鏡のどこがそんなに気に入ったか
聞いたら「なんとなく。きれいに映る気がするから」という答えでした。
この娘は23歳ですが、最初に話したように今は婚約中で、2ヶ月後に
式を挙げる予定でした。ただ、そこまで神経質になってるような様子は

なかったんですが。次の日の朝から異変が起きたんです。朝食を食べる

までは普通だと思ってたんですけど、出勤前の化粧が・・・いつもと違って
ものすごく毒々しい感じだったんです。目のまわりなんかもう真っ青。
  
それを見てさすがに「お前、それで会社に行く気か?ダメだダメだ。
顔を洗いなさい」と言ってしまいました。「どうして?」と不思議そうに
聞くので、「洗面所で自分の顔を見てみなさい」そう言ったら、さすがに

自分でもこれはダメだと思ったらしく、すぐに化粧を落としてました。
「おかしいなあ。自分ではいいと思ったんだけど、どうしてこうなったのかなあ」
などと言ってましたね。「化粧は自分の部屋でしたんだろう?」 
「そうだけど。いつもの鏡の他にあの手鏡も使った。そのせいかなあ」
「部屋の照明が暗かったんじゃないか」そのときはそれで済んだんですが、
その週末にもっと大変なことがあったんです。金曜の夜でした。その日は
仕事帰りに婚約者とデートする予定になっていて、いつもは11時過ぎに帰って
くるんですが、その夜は帰宅したのが9時過ぎだったんです。

私はまだ店で帳簿つけをしていたので、帰ってきた娘に「いやに早かった
じゃないか。〇〇君とケンカでもしたのか?」と聞きいたんです。
そしたら娘はぷりぷり怒っていて「もう婚約解消する。あんな人とは結婚なんて
できない」って言ったんです。私は婚約者ともすでに会っていて、おだやかな
人柄を認めていただけにこれには驚きました。「なに言ってるんだ。お前、
本気じゃないよな」 「本気も本気、もう二度とあいつに会うことはないから!」
取りつくシマもなかったんです。何があったんだろうと思いました。で、その
1時間後、その婚約者が店のほうに来まして、娘に会いたいということだった
んです。私が何があったのかを聞いたら「それがまったく心当たりがないんです。
レストランで食事をしている最中に突然すごく怒り出して・・・」

娘は婚約者には会おうとせず、メールなどにも出ていないようでした。

今まではすごい熱愛中だと思ってたのに、何があったんだろう。ともかく娘の
部屋に行って話をしよう。そう思って2階に上がると、娘の部屋のドアが
開いてました。それで、娘はイスに座ってあの手鏡をじっと見入ってたんです。
「お前・・・」と後ろから声をかけましたが、気がついた様子はありません。
肩越しに鏡を覗き込むと・・・見てしまったんですよ。鏡の中に青々とした
坊主頭があるのを。人間とは思えないほど美しい若い僧侶の顔でした。
それがまっすぐに娘の顔を見ていたんです。・・・私もね、骨董屋をやってもう
長いですから、何かに取り憑かれた古物はいくつも見てきています。これも
その一つだろう。このままでは不味い。そう思って娘の手を強くはたいたんです。
金属鏡ですから割れませんでしたが、鏡は床に落ち裏返って鏡面は見えなくなった

んです。ええ、その鏡は処分しました。娘と婚約者との仲は元に戻りましたよ。