10歳の娘がいる38歳の女性患者。明るい性格で、下町で夫と営む
文房具店を切り盛りしていた。2年前に大腸がんと診断され
切除手術を行い、その後、抗がん剤治療を続けてきた。
手術後1年たった頃から、腸閉塞に何度か見舞われ、
がんの再発も見つかり、入退院を繰り返すようになった。

夫は夕方の数時間、店をアルバイトに任せ、子どもと共に面会に
訪れることが多かった。子どもには「お母さんのお腹の中にある悪いものを
取った」と説明していた。主治医は、がんが再発したこと自体は
患者に伝えていたが、夫から「深刻なことは妻に言わないでほしい」

 

と頼まれていた。引き続き行った抗がん剤治療の効果はなく、
腫瘍は大きくなり、全身状態も徐々に悪化していった。
主治医は看護師同席のもと、「予後は2か月程度で、緩和医療を中心に
していくのがよい選択だろう」と夫に伝えた。そして、

 

「これからの大切な時間の過ごし方を考えるためにも、奥さんに今の病状と

予後について伝えたほうがよいのではないか」と提案した。しかし、夫は
考えを変えず、「妻には黙っていてほしい。そんなこと聞いたら
落ち込んでしまう」と強く要請した。(yomiDr ヨミドクター)




今回はこういうお題でいきます。科学ニュースの中にありましたが、
医療ニュースで、余命宣告についての話ですね。
現在では、病名の告知は、重度の認知症で本人に理解能力がないなどの
場合をのぞいて、どこの病院でも行われるようになりました。

これに対し、余命宣告をするかどうかは、医師により病院により
対応はまちまちです。絶対しない、という医師もいますし、
患者に聞かれた場合はするという医師、患者の家族にだけはする、
何ヶ月などの数値は言わず、大ざっぱにぼやかして告げるなど、
様々なケースがあります。

医学界に、余命宣告についてのマニュアルやガイドラインがあるわけでは
ありません。この理由はおわかりだと思います。病名は確定的な診断です。
がんであれば細胞をとって病理検査をし、「○○がんの疑い」から、
はっきり病名が決まります。重要な個人情報ですし、本人が知らない
ことはありえないと思うんですが、昔はそうではありませんでした。



まず家族に告知し、家族が本人に病名を告げるかどうか判断するケースが
多かったんです。ですから、本人に知らせない場合は、胃がんでは
胃潰瘍、肺がんには肺にカビが生えた(肺真菌症)などと言って
手術していたんですね。でもそれ、人権侵害だし、現在だと何らかの
犯罪に該当する可能性すらあります。

自分はYoutubeで『白い巨塔(田宮二郎版)』を見ましたが、最終回の
内容には驚きました。現役の臨床医であり、胃がん手術の大権威である
財前教授に対しても、周囲が最後まで隠して本当の病名を告げない
んですね。そのため、財前教授は自分はがんではないかと疑って
心理的にたいへんに苦しむことになります。

 



では、なぜ病名の告知が行われるようになってきたのか。
まず、「個人情報」という概念が周知されたことだと思います。本人に
ついての極めて重要な情報を、本人だけが知らないことはありえない。
それから、病名の告知は世界の趨勢だということです。『白い巨塔』の
ずっと以前から、アメリカでは病名告知があたり前でした。

むしろ、本人に正式な病名を告げない場合、医師が訴えられる可能性が
あります。まして虚偽の病名を告げたりしたら、裁判で敗訴し、
莫大な賠償金をとられるでしょう。3つめの観点としては、がんは治る
病気になってきたということです。この間、統計が出ていましたが、
全がん種での5年生存率は6割を超えていましたね。

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昔のように、がん=死というわけではなくなってきているんです。
あとまあ、ネット社会になって隠しおおせないということもあるでしょう。
検索すれば抗がん剤の名前もわかりますし、点滴の袋の表示などをすべて
消すなんて不可能です。ということで、病名の告知は当然になりました。

まあ中には、「俺はがんになっても病名は知りたくない。知らないでいる
権利もあるはずだ」などと言う人もいますが、これはわがままでしょう。
本人に病名を隠すことで、家族や医療関係者はたいへんな苦労を
しなくてはなりません。自分についての情報であるかぎりは、
それが不快なものであっても受けとめるべきだと思います。

実際の問題として、大病院の勤務医はたいへんに忙しいですよね。
患者一人にかけることができる時間はごくわずかです。ですから、
十把一絡げの治療になってしまうこともあります。患者側が知識を持ち、
自己責任で自分の治療を決める時代に変わってきているんです。
そのほうが、病院にまかせっきりにするよりもよい結果になる場合が多い。

ですから、セカンドオピニオンが推奨され、治療の途中で、より自分が
望む治療をしてくれる病院に転院することもあたり前になってきました。
では、余命宣告の場合はどうでしょうか。これは病名とは違って
不確かなものです。余命3ヶ月と言ったとして、その1週間後に亡くなる
患者もいれば、何年も生存する患者もいるでしょう。

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このあたりは難しいんですよね。不確かなものであるだけに医師は答えにくい
んですが、患者から聞かれた場合、「わからない」と言うと「なんだこいつ、
その程度の知識もないのか」と不信感を持たれるかもしれません。また、
「余命6ヶ月」と言って患者が3ヶ月で亡くなると家族に具合が悪いので、
あえて短めに言う、といった傾向もあるんだろうと思います。

引用のニュースの場合も、患者である奥さんに余命を知らせることで、
残された日々を悔いを残さないように生きよう、子どもとしっかりお別れをし、
死への準備をしよう、と前向きに考えるかもしれないし、絶望して無気力になり、
「ああ、余命なんて言わなければよかった」と後悔することになるかもしれません。

ケースバイケースで、どっちがよかったとは一概に言えない気がしますし、

言い方の問題もあるでしょう。

ただ、自分が考えるのは、現代の日本人は死への準備や覚悟ができていない
人が多いということです。アメリカなら、患者が望めば病室まで牧師さんが
来てくれますし、病状がよければ車椅子で教会に行くこともできます。
それが日本だと、宗教はあってないようなもので何の役にも立ちませんし、
医師にも看護師にも、死生の問題を相談することはできませんよね。

 



腫瘍精神科、あるいは心のケアについての専門チームがある病院や
緩和病棟も増えてきてはいますが、まだまだ少数です。
そんな中で、自分の死を目の前にして途方にくれる人が多い。
これは、一つには、現代の日本人が死を忌避し、できるだけ見ない、
ふれないようにしてきたせいもあるかと思います。

昔は、高齢者が自宅で亡くなるのは普通でした。それを小さい子ども
たちが見ていて死について学ぶ。ところが現代は、具合が悪くなれば
すぐ救急車で病院に運ばれ、意識のないまま人工呼吸、強心剤、昇圧剤など、
あらゆる延命治療をほどこされます。世界で最も高齢者が多い国なのに、
いまだに安楽死など、死についての議論はタブー視されている現状です。

さてさて、グダグダと書いてきましたが、死は万人に平等に訪れます。
みなさんも例外ではありませんので、日頃から、どのように死に向き合うか
考え、自分の意志を家族に表明しておくことも必要ではないかと思います。
ちなみに、自分(bigbossman)は、外れてもいいから余命宣告は
してほしいですし、もし助からない状態の場合、延命治療は拒否する
と記載したカードを財布に入れています。では、今回はこのへんで。