10年くらい前のことですね。仕事の転勤で、ある地方都市に住むことに

なったんです。会社からは1年だけって言われてました。その地方に

新しくできた支店にノウハウを叩き込んだら戻ってきてもいいってことで。

私は家族持ちで、最初の子どもが2歳になったばかりでしたけど、
まあ、そういう期限があるんだったらってことで、転勤を受けたんです。
それで、住居のことをどうしようか考えたら、当時の上司から、
すでに会社のほうで契約してあるって言われたんです。

2LDKの賃貸マンション。子どもが小さい3人家族なら、まずもって

文句のないところですよね。それと、家賃は全額、会社で負担するとも。

これって、破格じゃないですか。家賃補助ってならよくありますが、
全額負担ってのは。あとね、引越し費用も会社持ちでした。

特別待遇だなあって思ったんです。私の会社はけっこう転勤はありますが、
家賃の全額補助なんて聞いたことがないですし。
で、引っ越した先は、その地方の支店まで車で30分ほどの、
郊外にあるマンションでした。全部で3棟の建物がありまして、
1棟に100戸ほどが入居してるんです。
行ってわかったことですが、ほとんどが家族持ちでしたね。
建物は築40年程度ですが、内装は新しかったし、
外からもそんなに古びて見えることはなかったんです。
3月中に引っ越しをして、その日の夜、両隣にあいさつにうかがいました。

そしたらどちらも、ご主人は私よりもやや年配で、小学生のお子さんが

おられました。気さくそうな方々で、まずは一安心したんです。


右隣の山根さんには、ぜひ、と言われて、部屋に招き入れてもらって
コーヒーまで出していただきました。そのときに、マンション内の決まりなど、
いろいろお聞きしたんですが、不動産屋に言われてたペット禁止くらいで、
特別に厳しいことはなかったんです。ただ・・・
「お成り」というのがあるということでした。
これは、マンションのオーナーから言い渡されている契約の条件ではなくて、
自治会のほうで自発的にやってることだから、
ぜひお宅でも趣旨に賛同して、仲間に入ってほしいって言われまして。
「どんなことですか」って聞いたら、「それはまあ、話すと長くなるし、
4月には自治会の総会で説明があるから、
そこで詳しいことを聞いてください」って言われたんです。

「なに、年に1回、番が回ってくるだけです。難しいことは何もないですよ」
山根さんは、こうもつけ加えられたんです。
それから、バタバタと慌ただしい日が過ぎまして、
4月の終わりだったはずです。近くの公民館の大ホールを会場にして、
マンションの棟ごとに自治会が行われ、それには私が参加しました。
さっき話しましたように、一つの棟の入居者が100戸。
その夜に参加してたのは80人くらいでしたね。
それで、会の最初のほうで、新入居ってことで皆の前で紹介され、

一言ごあいさつをしたんです。それから、ゴミ出しとか、

駐車場の使い方とか、こまごましたルールの説明があり、最後になって、

自治会長の光田さんという方から、「お成り」の話があったんです。

光田さんは、60年配の頭の禿げた男性で、「それでは、新入居の方も

おられますから、お成りの説明をしたいと思います。今年度も

自治会主催でお成りを実施したいのですが、みなさんよろしいですね」

そこで、参会者から拍手が起きました。「ありがとうございます。
ずっと続いてる行事ですから、落ちなくやっていきましょう。
よろしくお願いします」これで終わりで、私にはどういうことなのか、
さっぱり意味がわかりませんでした。それで、会が終わってから、
隣りにいた方に聞いたら「何、年に1回、お成り様をお預かりするんです」
詳しいやり方などは、順番がくる前日にお知らせが回って、
それにすべて書いてありますから。気楽に行えばいいですよ。
このおかげで、破格の賃貸料で住んでられるんですからね」

こんな風に言われたんです。で、「お成り」については、
まったく要領がつかめないまま、その日の会合は終わったんです。
それから、特に何事もなく日々が過ぎていきました。
支店での仕事はやりがいがありましたし、妻は主婦でしたが、
公園デビューも無事に済ませ、特に何も問題はありませんでした。
でね、あれは9月の28日です。さきほど話に出た自治会長の光田さんが、
夜の9時ころに部屋に来られ、明日の夜、お成りの順番になりました」って、
言われたんです。「お成りって、どういうことをするんですか?」
「明日の夜8時に、この部屋にお成り様をお連れします。
その後、ただ決まりに従って朝までお世話すればいいだけですから。
何も難しくないし、詳細はこのチラシに書いてあります」

これだけおっしゃって帰っていかれたんです。チラシの内容は簡潔で、
「お成り様を部屋のリビングに安置する。もし、部屋に神棚、仏壇などがある場合、
それらから最も離れた位置に置く。お成り様の前には、茶碗に山盛りの塩を
お供えし、一本箸を立てる。そして心からの謝罪の気持ちを持って、
家族全員で頭を下げる。交代でよいので、家族の誰かが必ずお成り様の前に
ついていること。朝の5時になったら、一礼して塩盛りを下げて終了」
こんな感じでした。ねえ、意味がわからないですよね。で、翌日8時、
マンションの方2人がお成り様を運んでこられたんです。
ええ、場所はTVをよせて台を空けてまして、そこに安置されました。
お成り様にかかっていた布をよけると、50cm四方ほどのガラスケースで、
中に着物を着た女の子の人形が一体。「これが、お成り様・・・」

運んでこられた方々は、お茶でもというのを断られ、「よろしくお勤めください」
そう言って帰っていかれまして。はい、それで、さっそく塩をお供えしました。
それから使ってない箸を一本立て、私と妻で「申しわけございませんでした」って
頭を下げたんです。もちろん、心からのものではなかったです。
だって、こんなわけのわからないことに、心を込めれるわけがないじゃないですか。

その後、妻が1時まで、私がそれから朝までって決めて、お成り様の前で

見守りをすることにしました。といっても、ただ座ってるだけでしたが。

私は翌日会社があるのでいったん寝ました。それで妻に夜中に起こされたんですが、
妻は「お成り様ねえ、だんだん形が変わってきてる」そう言ったんです。
見ると、かわいい人形の輪郭が崩れ、着物ごと、どろどろ溶け出してるようでした。
どうしてそんなことが起きたのかはわかりませんで、

何か失敗したのかと不安になりましたよ。それから私が朝まで見てたんですが、
お成り様はどんどん溶けて・・・溶けてというか、腐敗してくように見えました。
朝の5時を迎える頃には、赤茶色の肉塊になってしまったんですよ。
妻を起こして、2人で塩の茶碗を下げ、また一礼しました。

5時を10分ほど過ぎたあたりで、前日の方々が来られて、

肉のお成り様に布をかけ、「ご苦労さまでした」と言って運んでいかれたんです。

腐ったような状態になってることについては、何の話もなかったので、

「ああ、これでよかったのか」って思いました。まあ・・・これで

だいたい話は終わりなんですが、やっぱりお成り様が何なのかはまったく

わからないままで・・・で、あと2ヶ月で地方勤務も終わる1月下旬のことです。

会社から戻ってくると、棟の東の壁に工事のシートが広範囲にかかっていたんです。

「何だ?」と思いました。壁の崩落でもあったんだろうか?
でも、地震などはなかったし。それで、部屋に入って妻に「壁、工事してるな。

何かあった?」こう聞いたんです。そしたら、「午前中に外に出たらもう

そうなってた。それで、ママ友だちに聞いてみたら、お成り様のおもてなしを

しくじった家族があったからって言われた」こんな答えが返ってきました。

そして夜10時ころですね。救急車、パトカーのサイレンがわんわん聞こえだした

んです。ええ、たいへんな騒ぎで、朝まで寝られませんでした。妻が棟のロビーまで

出ていったんですが、誰も他に出てきてる人はなく、詳細はわかりませんでした。
その後、朝になって、TVで一家の無理心中があったことが報道されました。

この棟の、ある家のご主人が奥さんと2人の子どもを殺して自殺したんです。

お成り様との関係はわかりません。聞きもしなかったです。

だって、もうすぐその地方を離れるわけですし。