自分(bigbossman)は、旅行雑誌に、神社仏閣についての雑文を書いてますが、
その関係で、インドの仏教遺跡にツアーで行ったことがあります。

団体は、自分をのぞいてみな僧侶の方々でしたが、そのときの

行きの飛行機の中で、親しくなったご住職にうかがった話がこれです。

「あの、自分は地獄絵に興味があって、あちこちのお寺で拝観させて

いただいてるんですが、地獄や極楽って、本当にあるものなんですか?」

まだ40代に見えるご住職は笑って、「いやいや、私らの宗派では、 
地獄や極楽があるという教えはございません。お釈迦様は、この世界を統べる
法をお説きになったのであって、目に見えない場所の話はなさりませんでした」
「そうですよね。でも、昔からその手の話ってあるじゃないですか。
悪行を行えば地獄に堕ちる、善行を積めば極楽に行けるって」

「それは・・・方便ですね」 「ああ、嘘も方便の方便ですか。
じゃあ、地獄や極楽なんてものはない?」 
「はい。火宅(かたく)の例えってご存知ですか?」
「いえ、不勉強で知りません」 「これは法華経に出てくる例え話の一つで、
ある長者の屋敷が家事になりました。ですが、屋敷は広いので、
誰も火事に気がつかない」 「はい」 「外に出た長者は、
煙を見て火事とわかったんですが、屋敷の中では子どもたちが夢中になって
遊んでいて、長者が出てくるように叫んでも誰も出てこない」 「はい」
「そこで長者は、外にいいものがあるぞ、出てきたらお前たちに、
羊の車、鹿の車、牛の車をあげよう、と呼びかけた」 「はい」
「それにつられて出てきた子どもたちは、火事から逃れて命を助かり、

そこで長者は子どもたちに、もっと立派な車を与えた」
「うーん、どういう意味ですか?」 「子どもたちというのが、衆生、
つまり一般の人々です。夢中になって生きている人々は、なかなか仏の教えに
出会う機縁がない。そこで、羊の車などで釣って外に出てこさせる」
「ああ、わかってきました。それが地獄や極楽ってわけですね」
「そうです。そして出てきた子どもたちに与えた、もっと立派な車が
真の御仏の教えということなんです」 「なるほど、縁なき衆生は度し難しって
やつですね。勉強になりました」その後、10日ほどかけて仏跡を見て回り、
帰りの飛行機で、またそのご住職といっしょになりました。そこで、
「こんなことを聞いてはなんですが、自分は怖い話をブログに書いてまして、
ずっとお寺さんで生活してて、何か怖い話なんてありましたか?」

これを聞いて、ご住職はちょっと困った顔をされたんですが、少し考えて、
「うん、じゃあこの話をしましょう。私の父、先代の住職なんですが、
4年前に、60代の後半で亡くなってるんです」 「はい」
「それが、肝臓癌だったんです。ほら、私らは会社勤めの方とは違って、
どうしても健康診断などはおろそかになってしまいまして」
「そうでしょうね」 「父も、自覚症状が出て病院に行ったときには、
すでにお腹の中全体に癌が広がってて手術不能、余命1年と宣告されたんです」
「・・・・」 「父は僧侶ですから、たくさんの人の死を見てきましたし、
寺のほうは、まだまだ未熟者ですが、私という跡とりもいる」 「はい」
「だから、気持ちの動揺はないつもりだったと言ってました」 「はい」
「それで、病院のほうからは抗癌剤治療を勧められたんです」 「はい」

「でも、抗癌剤って評判がよくないじゃないですか。
たしかに数ヶ月の延命にはなる場合が多いけれど、その間、
副作用で日常の生活に大きな影響をきたすって」 「そう聞きますね」
「ですから、これから亡くなるまで、しっかり勤行をしようと考えて、
いったんは断ったんです。けど、あまり医者のほうで勧めるので、
1回だけやってみて、副作用がひどいようなら、それでやめようって考えました」
「ああ、はい」 「でね、やってみたら、やっぱり強い副作用が出たんです。
まあ坊主ですから、髪が抜けるのはかまわないでしょうが、
味覚障害と、知覚障害っていうんですか、水を飲んでも泥のような味がするし、
指差がしびれてうまく物がつかめない。それで、お勤めにも差し障りがでるので、
外来の2回目の抗癌剤投与のときに、もう断ろうと考えて病院に出かけたんです」

「はい」 「父は気丈な人でしたから、私が送ろうと言っても、
一人でタクシーで行きました」 「はい」
「で、まず血液検査と医師の診断がありますから、待合室の長椅子で待っていると、

だんだん気分が悪くなってきました。それで目を閉じ、しばらくして

目を開けると、目の前に大坊主がいたそうです」 「おおぼうず?」

「ええ、父の話では、袈裟を着て、髭剃り跡の青々とした、まだ若い坊主だった
そうですが、背が高く、病院の天井に頭が着きそうだったと」
「うーん、で?」 「その坊主は、父の前でかがみこむと、
こうささやいてきたそうです」 「何と?」 
「お前は長い間よくよく修行を積んで、見上げた徳の高さになった。
それで、このたびは特別に命を助けることになった、って」 「で?」 

「父が、どう答えていいかわからずに黙っていると、大坊主は、
ただし命の数は決まっているものだから、お前が助かるかわりに、
別の命を持っていかなくてはならん」こう言ったんだそうです。
「うーん、身代わりってことですか」 「そういう意味だったようです。
なおも父が黙っていると、大坊主は、もうあまり時間がないのだ、
どうだ、お前の代わりになる命をこの場で選ぶことにしよう」
そう、ささやくように言ってきたんだそうです。」 「・・・・」
「待合室は、いくつかの診療科が隣接していて、数十人の患者がいたそうですが、
平日の午後ですから、ほとんどが父より上の年寄りばかりで」 「で?」
「父は黙ったままでした。この、今 見ている大坊主は、抗癌剤の副作用で
出てきた幻覚に違いない、でなければ、自分が無意識に死を怖れてるのだろう、

そう考えて、相手にしないようにしてたのだそうです」 「で?」
「すると大坊主は、いらだった声で、早くせねば、もう時間がないのだ、
閻魔様の帳簿を書きかえるのは手間もかかる。早く選べ、早く身代わりを選べって」
「で?」 「父がなおも黙っていると、大坊主の声が変わって、
はしゃぐような調子で、あれなどはどうだ、そう言って通路のほうを指さしたんだ
そうです」 「で?」 「その大学病院には産科もありまして、
大坊主の指さした先には、若い母親が押しているベビーカーが」
「う」 「生まれて1ヶ月ほどの赤ちゃんが、すやすやと眠っていたそうです」
「うう」 「父は、大坊主に向かって一言、去りなさいって言ったんです」
「・・・・」 「すると一瞬で大坊主の姿はかき消え、父は座ってた長椅子から
前のめりに倒れまして」 「それで?」

「他の患者さんが受付に知らせて、父は応急処置を受けてその場は回復しました。
で、2回目からの抗癌剤投与を断って帰ってきたんです」
「で?」 「父の寿命はそれから4ヶ月でした。最後の最後まで勤行をして、
死の2週間前に緩和病棟に入りまして、そこで亡くなりました」
「・・・・」 「父は、亡くなる数日前、まだ意識があったときに、
私にこの話をしてくれまして。あのとき病院で出てきた大坊主は、
抗癌剤の影響もあるのだろうが、おおかたは自分の心の迷いなのだろうって」
「はい」 「もしあのとき、自分の代わりに持っていかれる命を指名していたら
どうなっていたんだろう、それこそ地獄に落ちたんじゃないか。
あんなものを見るようじゃ、自分では修行を積んだつもりでも、
まだまだ足りていなかったんだな、ってね」

「・・・でも、地獄や極楽は存在しないんじゃなかったんですか?」
「ええ、場所としての地獄や極楽はありません。ですが、心のあり方としての
地獄はあるんです。俗に、生き地獄って言いますでしょう」 「はい」
「天道、餓鬼道、畜生道、修羅道、地獄道などの六道は、この世での心の
在り方のことを指すんです。例えば、お金がほしくてほしくてしかたがない、
いくら資産家になっても、もっともっとほしい、こういうのは、
生きながら餓鬼道に堕ちているということなんです」
「うーん、勉強になりました。ところで、この話、お名前は出しませんので、
ブログに書いてもいいでしょうか」 「ええ、かまいませんですよ」
「それと・・・もう一つ、もしご住職がお父上の立場で、自分の身代わりを

求められたら、どうされましたか?」 「それは・・・もちろん・・・」