今回はオカルト論でいきます。さて、オカルトとは何か?
こう聞かれると、これはかなり困ります。Wikiで「オカルト」を見ると、
「オカルト(occult)は、秘学・神秘的なこと・超自然的なもの。
ラテン語: occulere の過去分詞 occulta(隠されたもの)を語源とする。
目で見たり、触れて感じたりすることのできないことを意味する。」

となっていて、まあそれはそうなんですが、
この定義はあいまいだよなあ、とも思います。

で、自分がどうしても「オカルト」を短い言葉で定義しなければならないとしたら、
「再現性がないもの」こう言うしかないんじゃないかと思っています。
例えば、そうですね。30年ほど前に「常温核融合」というのが話題になりました。
普通、核融合というのは、水素爆弾のように高温高圧で発生します。

しかし、もし室温程度の環境下でそれが起きるのなら、これはエネルギー革命に
つながりますよね。最初に常温核融合があったとされる実験は、
「重水を満たした試験管に、パラジウムとプラチナの電極を入れ、しばらく放置、
電流を流したところ、電解熱以上の発熱が得られ、
核融合の際に生じたと思われるトリチウム、中性子、ガンマ線を検出した。」

 

 

こんな具合でした。特別な準備はいっさいいらないし、実験費用もかかりません。
そこで、発表以来、世界中の研究室で追試が試みられたものの、
実施された追試の圧倒的多数では、核融合反応や入力以上の
エネルギー発生が観測できなかったんですね。
(一部にそれらしい現象が見られたという報告はあります)

このため、研究者の間では常温核融合はオカルト、
疑似科学であるという認識が広まり、世界的な権威のある学術誌は、
常温核融合に関する論文の掲載を拒否しています。
これこれ、こういう実験をすれば核融合が起きる、というレシピがあって、
それに忠実に従って実施しても起こらない、つまり再現性がないならば、
オカルトと言われてもしかたないんじゃないでしょうか。

 

日本でもこのようなケースはいくつもありました。
記憶に新しいところでは、小保方女史のSTAP細胞がそうでした。
世界のどこの研究室でも再現ができない。疑われてもしょうがないですよね。
この事件は自殺者まで出して、たいへん後味の悪い形で終息しています。

 



あと、面白いところでは、日本の東北大の研究者が、
「右回りのコマは重量が軽くなる」という論文を発表し、
これを最初に聞いたとき、自分は「ありうるかも」と思ってしまいました。
地球の自転と何か関係があるかもしれないと考えたからです。


しかし、やはり世界中の研究室の追試で否定されてしまったんですね。
ただ、これは意図的に騙そうとしたのではなく、
測定ミスであった可能性はあると思います。

さて、では「再現性がない」ことについて、オカルト界はどう扱っているのか。
まず「わざと再現を難しくする、再現のハードルを上げる」ということがあります。
魔術や錬金術では、ある目的を行うために、「死刑囚の手首」 
「女のヒゲ」「イモリのため息」など、まず手には入らないだろうという材料を、
鍋に入れてグツグツ煮なければならない、などと書かれることが多いんです。



これは中国の仙術でも同じで、4世紀の仙術指南書『抱朴子』には、
仙薬の作り方として、よく似たようなことが載っています。
材料が手に入りにくければ、再現もできませんよね。
そして嘘だとばれることもないわけです。こうして、詐欺師はいつまでも
イカサマを続けて、権力者から金を引き出すことができました。

また、心霊や超能力関係もそうです。さまざまな条件が整わないと、
霊現象や超能力現象を再現できない。中には、実験の関係者の中に、
たった一人でも能力に疑いを持つものがいれば、実感は成功しないなどと
言う人もいました。しかし、関係者の一人ひとりが、
実験についてどう思ってるかを推し量るのはまず不可能ですよね。

 


 

あと、UMAなんかはわかりやすいと思います。ネッシーはいる、いない。
これを論争しているヒマがあったら、ネッシー捕獲作戦に打って出れば
いいわけで、もしネッシーが捕まえられたら、
それは、実験で超常現象が再現されたのと同じことでしょう。
ネッシーの生物学的な特質が調査され、ネッシーはUMAを卒表して、
図鑑に採録される既知生物になるわけです。

さてさて、ということで「再現性」はオカルトを見るための重要なキーです。
もしある現象が、世界のどこでも、誰にでも再現できるのなら、
それはオカルト(隠されたもの)ではなく、世間に開かれたものになります。
例えば、最初は世界中の学者が半信半疑だった「相対性理論」なんかでも、
数多くの実験で追認され、現在では物理学の教科書に載っているんですね。