小学校のときの話だよ。クラス替えをした6年のことだな。
俺は今19だから、そんなに昔ってわけでもない。
ジャイアンがいたんだよ。いじめっ子ってことだ。
まあジャイアンの場合はアニメの登場人物だからか、やることがぬけてるし、
かわいげもあるよな。ところがこいつの場合、ホントに小学生とは思えない、
シャレにならないやつだったんだよ。名前は仮に武田とでもしておくか。
体がでかいし力が強い、ここまではジャイアンと同じだが、
武田はそこそこ頭もよかった。何より具合が悪いのは、
こいつの親父が地元の組の幹部だったってことだ。だから担任始め、
先生らもみな腫れ物にさわるような扱いをこいつにしてた。
武田が歩いてると、不良の中学生まであいさつしてくんだから察してくれよ。

で、俺ともう2人、クラスで集中的に悪ふざけを受けてたやつがいた。
小学生のときのことだから、金取られたりはしなかったが、
そのかわりガキっぽいイタズラはさんざんやられた。だなあ、例えば、
給食に理科の実験で使ったクエン酸の結晶を入れられたりとか。あと
肉体的な暴力だな。武田はスポ少に入ってなかったが、親父に関係した道場で
空手の直接当てるやつを習ってて、よく実験台にされたもんだ。
跡がつくから顔はやられないけど、そのかわり腹や太ももを集中的に叩かれ
蹴られたんだ。俺もその頃は気が弱かったし、今もそうだが体が小さいんで、
逆らうとかまったくできなかったんだよ。
あとの2人も、ゲームとアニメしか能のないようなやつだったから、
クラスでの同情もほとんどなかったんだ。

むしろ他のやつらは、武田のイジメのターゲットが固定してるのを、
自分のほうに降りかかってこないからって、歓迎してるみたいな感じだった。
な、人間なんてそんなもんなんだよ。
・・・俺の他の2人を西山、と東村って名前にしておく。ある土曜日の午前中、
3人で集まったんだよ。その週も西山がズボン下ろされるとかの
悪ふざけがいつものようにあった。で、東村の家に集まったとき、西山が、
「武田、ガマンできねえよな」って言い出した。
俺らはその名を聞くのも嫌だったから、暗い顔でうなずいた。
「俺よ、ネットで呪いとか探してるんだ。武田に仕返しできそうな強力なやつ。
で、いろんなサイトをみててたら、蠱毒(こどく)ってのがあったんだ」
そう言って、プリントアウトした紙を配ってよこした。

内容は小学生でも読める程度のもので、
気味悪い挿絵とともに、蠱毒についての説明が書かれてあった。
「器の中に多数の虫を入れて互いに食い合わせ、
最後に生き残った最も生命力の強い一匹を用いて呪いを行う・・・」
「これならできそうだろ、このあたりは虫も多いし」
「マジかよ、こんなのホントに効果あるんかな」
「それが、他に調べたとこだと、日本の昔の身分の高いお姫様で、
実際にこの呪いをやった人がいたらしい」
「で、どうなった?」 「その人は捕まってちゃったんだ。でも、
呪いは確実に効いたみたい」 「でも、その人がやったって
バレちゃったわけだろ。それだと意味ないんじゃないか」 「それは昔は、
陰陽師という専門家がいたからだけど、今はそんなのいないだろ」

こう相談して、やってみるだけやってみようってことになった。
東村の家にあった梅酒用のガラス瓶、
これを裏の団地の丘の斜面の土の軟らかいとこに埋めた。
そこは小山を切り崩して造成したところで、あたりは松の林になってたんだ。
「今日と明日で、これに毒虫を持ってきて入れよう」ってことになり、
割り箸を持って林の中に散らばった。なんとなくワクワクしてきたんだ。
今から考えれば、さすがに効果は信じてなかったと思うが、どうやっても

現実にはできない武田への復讐を少しでもやってるんだってことと、
あとは「呪い」自体に対する興味もあったんだろうな。
とはいえ、6月だったけど虫・・・それも毒虫なんて見つからないんだよな。
瓶の中に溜まっていったのは、小さなクモ、やはり小さなムカデとハサミ虫、
毒も何もないただのカエル・・・そんなのばっかだった。
 

1時間ほどで飽きてきて瓶の前に集合した。「なんだよこれ、

しょぼいな。せめてヘビとかいないと効果ないんじゃないか」

「ヘビなんてここらで見ないし、いても気味悪くてつかめないよ」
「しょうがないから、量でいこうぜ。
とにかく瓶半分くらいになるまで、虫を詰め込んでみよう」
で、その日と、翌日の日曜で量だけはそれなりに集まったんだよ。
ただ、瓶の半分まではいかなかった。三分の一くらいだったな。
底が見えなくなって、毛虫やなんかが重なってうごめいてる様子は、
なかなか気味が悪かったよ。
「呪文とかないのか?」 「どこにもそんなの書いてなかった」
「でもよ、これ武田を呪ってるもんだとわかんないじゃないか」
「じゃあ後で武田の名前を書いた紙を入れておく」家が一番近い東村が言った。

西山が「来週の土曜日に掘り出してみよう」と言って、瓶の蓋を閉めて
軽く土をかけた。で、俺らにとってはハードな一週間がまた過ぎて、
同じように、土曜日の午前中に集まった。「あれから蓋開けてないよな」
「うん、武田の名前を書いた紙を入れてからさわってない」表面の土をほろうと、
すぐ赤い瓶の蓋が出てきた。開けて、中をのぞき込んでみた。

・・・不思議なことは何もなかったよ。気温は高かったが、

瓶が密封状態だったかせいか、虫は腐らないで、そのままの形で

カサカサに乾燥してるのが多かった。食い合いしてる様子はぜんぜんなかったな。
割り箸で細長い紙を引っ張り出してみた。マジックで武田の名が書いてある

東村が入れたやつだ。それにぽつ、ぽつと白いものが

10個ほどついてたんだ。大きさは3mmくらい。前にアリの巣の

観察っのをやったが、あの卵みいな感じで透明感があり柔らかかった。

「何だこれ?」 「虫の卵だな」 「アリのみたいだ」
「でかいアリは入れたけど、女王とかじゃないし中で卵を産むとは思えないな」
「どうする?」 「武田の給食のスープに入れてみないか、

俺、来週当番だし絶対わかんないから。これ一個、

筆箱に入れて学校へ持ってって、手の甲とかにつけて盛りつけして、
武田が来たらスープの椀に落としてやればいいんだ」西山が言った。

「よし、じゃあまかせた」小さい卵を二個、

近くに落ちてたペットボトルの蓋につけて持って帰ったんだよ。

瓶はそのまま掘り出さず、中身ともどもうっちゃっておいた。
で、月曜日に計画を実行したんだよ。
西山は盛りつけを自分から買って出て、武田がお盆を持ってきたときに、
親指につけていた卵をスープの中に入れて具を多く盛った。
卵は白ゴマみたいに小さいから、具にまぎれればわかるとは思えなかった。

どうなったかって?武田は5時間目に「腹が痛え」と言い出して早退した。
俺ら3人は目配せしあって喜んだよ。罪悪感なんてまるでなし。

放課後に集まって「このままずっと休めばいい」 「死ねばいい」って言い合った

くらいだ。・・・その夜のことだ。俺は部屋に弟と2人で寝てたが、

猛烈に顔がかゆくなって目が覚めた。額の真ん中のところだけ集中してかゆい。

暗い中でさわってみると、異様な手触りがした。虫に刺されて腫れてる

とかじゃないんだ。起き出して洗面所に行って電気をつけた。

鏡を見てひっくり返りそうになったよ。額から生え際にかけて、

あの卵そっくりのものが数百、いやもっとか、くっついてたんだ。

「あー」と言いながら、テイッシュをとってこすった。そしたら強烈な痛みが

あって、テイッシュが血だらけになった。額の皮がべろんと剥けたんだよ。


俺は絶叫して、そしたら親が来て夜中だけども救急指定病院に連れてかれた。
医者の診断では虫さされ、それを掻きすぎて皮が剥けたということだった。

でもよ、さわったのは少しだけで、強く掻いた覚えはなかった。医者は、

「さっきも似たような患者さんが来てましたね」みたいなことをちらっと言った。

で、次の日遅れて学校に行くと、東村も同じように頭に包帯を巻いてたんだ。
休み時間話を聞くとまったく俺と同じことが起き、俺より

1時間ほど早く同じ病院に行ってたみたいだった。西山は何でもなかった。
あと、武田のやつだが、普通に朝から学校に来ててぴんぴんしてた。

額は俺は2週間ほどで直ったが、東村のほうはヒドくて、

1ヶ月以上かかったはずだ。でね、イジメはずっと続いたんだが、

中学校になって、やつは私立に入ったからそれで終わりになった。

武田は高校を中退して、もう組員になってるらしい。
俺は高校を卒業して、大きめの市に出て働いてるから会うこともない。
あと・・・一人だけ皮が剥けなかった西山な。

あいつは死んだんだよ。中3のときだ。受験間近2月頃だったな。

夜になっても家に帰らず、翌朝に凍死体で発見されたんだ。

それが、あの蠱毒の瓶を埋めた場所だったんだよ。近くに懐中電灯が

転がってたっていう話だったから、自分でそこに行ったんだろう。

何があったかは、俺は違うクラスだったからよく事情はわからない。
悩みでもあったのか、蠱毒をもう一度やろうとしたのか、それも・・・

まあこんな話なんだ。不思議なことがあるような、そうでもないような感じで

あんまり面白くなかっただろ。でも、しゃべることができてすっきりしたよ。


*話に出てくる、「蠱毒を使ったお姫様」というのは、
井上(いのえ)内親王のことで、奈良時代の有名な御霊です。
伊勢神宮の斎王から後の光仁天皇の后となりますが、
72年、夫の天皇を呪詛(巫蠱大逆の罪)したかどで廃后され、
子の他戸親王と共に庶人に落とされて幽閉先で同日に死去することになります。

この死は自殺あるいは暗殺説があります。天皇呪詛については藤原氏の陰謀

という説が強く、罪なくして死んだ廃后は龍と化して、さんざんに

祟りをなしたという伝説があります。(藤原百川を蹴爪にかけて殺した)
後に罪はえん罪であったとされ、名誉回復されています。

平安遷都が行われたのは、この井上内親王、早良皇太子、藤原広嗣らの

御霊が跋扈したせいとまで言われることもあります。

 

『蠱』香港道教HPより

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