あれは僕が小学校5年生のときです。あ、話を始める前に、
うちの家族を紹介しておいたほうがいいですよね。
父と母と僕、1歳になった弟です。その2年前まではおばあちゃん、
父の母親がいたんだけど、病気で亡くなってました。
おじいちゃんは、僕がまだ幼稚園の頃に亡くなったはずです。
それでこの話、そのおばあちゃんのことと関係があるんですが、
いまだにどういう意味だったのかよくわからないんです。だから、
ここのみなさんがもし何かわかるのなら、ぜひ教えてほしいと思って。
話の始まりは弟なんです。当時1歳だからもう歩けるんだけど、
まだよくしゃべれなませんでした。うちは祖父が建てた一軒家で、
そこにそのまま住んでたんですが、部屋数もけっこうありましたね。

それで、その弟が、母親が目を離すとすぐに、1階の一番奥にある
仏間に入っていくんです、襖2枚の引き戸なんだけど、それを自分で開けて。
そこは元おばあちゃんの部屋で、おばあちゃんはそこで亡くなったんです。
朝、起きてこなくて、母が見にいったらもう冷たくなってたっていう。
はい、その前日まで表の草とりとかしてたので、ピンピンコロリってことです。
両親とも、亡くなるならおばあちゃんみたいにしたいって言ってましたね。
で、そのときは部屋は誰も使ってなくて、仏壇にはおじいちゃんと
おばあちゃんの遺影が仲よく並んでたのを覚えてます。
え、仏壇の扉? いつも開いてたと思います。朝に母親がお水をお供えし
お線香をあげて、それからずっと。でね、母親が料理とかしてて、
弟の姿が見えないと、僕に探してきてって言いつけまして。

またおばあちゃんの部屋だろうと思って見にいくと、やっぱりいて、
部屋の真ん中に座ってるんです。おばあちゃんの使ってたタンスとかは
もう片づけてたので、仏壇以外に何もない部屋なんですよ。
今考えれば、赤ちゃんの興味を引くものなんてないと思うんだけど、
弟は仏壇に背を向ける格好で、部屋の隅を見てたんです。
いつもすごい上機嫌でした。にこにこ笑いながらじっと何もないところを
見てて、僕が抱き上げてつれてこうとすると嫌がったんです。
不思議でしょう。仏壇のほうを見てるならわからなくもないけど。
それでね、「ここに何かあるの」とか言いながら、弟の視線の先の空間に
手をかざしてみたことがあるんです。けど、当然ながら何もない・・・
ただ、1回だけそのあたりの空気が冷たい感じが

したことはありました。まあ、気のせいだろうと思ってましたけど。
でね、僕に抱っこされて部屋から出るとき、弟はいつも見てた部屋の隅に
向かって手を振ってたんです。最近、実話怪談とかを読むようになったんですけど、
赤ちゃんのときって、大人に見えないものが見えたりすることが
あるみたいなんですよね・・・ それで、僕が夏休み中のことだったと思います。
弟は1歳半を過ぎて、片言だけど少ししゃべれるようになってました。
その日の夕食前です。7時くらいかな。母親がちょっと目を離したすきに
やっぱり弟がいなくなって、「またおばあちゃんの部屋だから見てきて」
って母親に言われました。行ってみると、部屋の襖は少し開いてて、
けど、そんな時間だから中は真っ暗で、さすがにいないだろと思ったんです。
暗いとこは怖がってましたし。いちおう入って電気のひもを引っぱると、

部屋の隅に弟がいたんです。すごく不自然な姿でした。
足は畳についてるのに体は斜めになってて、まるで見えない大きな
ボールとかがあって、それにもたれてるような格好だったんです。
「え!?」弟はうっとりした顔で目を閉じてましたが、眠ってないのは
わかりました。「どういうこと?」そう言いながら近づいて弟を抱き上げたとき、
弟がもたれていた空間にぼよんとした感触を感じたんです。うまく説明
できないけど、パンパンにふくらましたゴム風船を押したような感じ。
「わっ」びっくりして弟を抱えたまま後ろに退がると、
弟が目を開けて「うーっ」とうなったんです。
それから、むちゃくちゃに手足を振り回して暴れ出しました。
顔を引っかかれて手を離しそうになったとき、後ろの仏壇のほうで

カタンという音がしたんです。弟を抱えたまま体ごとふり向くと、
おばあちゃんの遺影が下の畳に落ちてました。暴れてた弟の体から急に力が
抜けてくたっとなったんで、小走りで居間に戻り、テレビを見てた父に
今起きたことを話したんですよ。父は、何をバカなみたいな顔をしてましたが、
機嫌がよくなってる弟を抱き上げると、仏間を見にいったんです。
僕がおそるおそる後をついてくと、電気がついたままの部屋に入って、
「何もないぞ、けど、写真は落ちてるな。これでびっくりしたんだろ、
もうすぐ6年生なのに怖がりだな」そう言っておばあちゃんの写真を
もとに戻し、部屋の電気を消しました。それから居間に戻ったんですが、
父に抱かれながら、弟が誰もいない暗い仏間の中に向かって
やっぱりバイバイをしたんです。

それで次の日、父が仕事に出た後に、母にその話をしました。
母は真面目に聞いてくれて「うーん、何か変なものがいるとは思えないけど、
あの部屋はチャッカマンとかもあるし、入れないようにしようか」
それで、僕と弟を連れて近くのホムセンに行き、店員さんに話をして、
襖にはさんで開かなくする金具を買ったんです。それだと弟は
手が届かないから開けられない。母親は、さっき言ったように毎朝、
仏壇にお供えをするのは続けてましたけども。それからしばらくは何事も
起きませんでした。不思議なことに、金具がついてから、
弟は仏間に行こうとしなくなったんです。ただ・・・一度だけ、
母がこんなことを言ってました。「仏壇のお水がすごく減る。
夏だからかもしれないけど、茶碗半分も蒸発するものかな。

おばあちゃん、もしかしてのどが渇いてるのかな」って。
それから10日くらいして、夏休みがもうすぐ終わるってときです。
僕は宿題を溜めてしまってたので、12時頃までそれやってました。
僕の部屋は2階にあるんだけど、トイレに降りてきたときに、
パン、パンという下敷きで机を叩くような音が、かすかに聞こえたんです。
廊下の突きあたりの仏間のほうからです。気味が悪かったけど
こわごわ近づいていくと、襖の引き戸がパンという音がするたびに
少しふくらんだんです。部屋の中から何かが戸にあたってるんだと
思いました。そのとき僕の頭の中に、大きな柔らかいボールが
仏間の中を飛んでるイメージが浮かんできたんです。
もちろん開けて確かめたりはしないで、自分の部屋に戻りました。

夏休みが終わってからですね。あるとき、夕食中に弟が食べたものを
吐いたんです。具合が悪そうで、でも、はかっても熱はなかったので、
明日の朝になっても調子悪ければ病院に連れていこうってことで、
1階にある両親の寝室に寝かせました。その夜の2時過ぎです。
階下が騒がしくて目を覚ましたんです。両親が何か大声を出してる。
寝ぼけながらも階段を降りていくと、2人が仏間の前にいて、
必死で戸を開けようとしてたんです。「どうしたの!?」
という僕の問いに答えず、父は両手で襖を外して中に走り込み、
電気をつけたんです。あのいつもの部屋の隅で、弟がうつ伏せに浮いてました。
いえ、うっすら水色の透明な直径1mくらいのボールがあって、
弟がその上に乗ってたんです。両親は駆け寄ろうしたんですが、

どういうわけか部屋の隅に行けない。僕も近くまでいくとボヨンと
撥ねつけられたんです。透明な壁みたいなのがあって、そこだけ遮られてる
っていうか。そうしてるうち、弟の体が顔からボールにめり込み始めたんです。
微生物が他の小さい微生物をとり込むみたいに。「あ、あ、あ」母が声を上げ、
弟の体が半分までボールの中に沈んだとき、奥のところにもう一つ何かが
浮き出てきたんです。・・・おばあちゃんでした。おばあちゃんは白黒で、
生きてたとき座ってお茶を飲んでるときのポーズで顔をかがめ、ボールに口を
つけて吸い始めました・・・どのくらい時間がたったか。いつのまにか
ボールとおばあちゃんの姿のどっちも消え、弟がうつ伏せに倒れてました。
父が踏み込むと中に入れ、抱き上げることができたんですよ。あれから4年たって、
弟は5歳になりましたが、当然というか、当時のことは何も覚えてません。