天武天皇


みなさんは日本の霊的指導者と言えば誰を思い浮かべられるでしょうか。
聖徳太子? 弘法大師 空海? 日蓮上人? 出口王仁三郎?
・・・まあ、いろんな名前があがると思いますが、
自分は天武天皇をあげたいと思います。

兄であった天智天皇は、積極的な施策を次々に打ち出した人ですが、
弟である天武天皇も傑出した人物でした。
これはやはり血筋のなせるわざなんでしょうねえ。
天武天皇といえば、幼名を大海人皇子といい、天智天皇の子、
つまり自分の甥である大友皇子と壬申の乱で戦って勝利し、

壬申の乱の戦地


飛鳥浄御原(あすかのきよみはら)に都を築いた。
このあたりが一般的な知識ではないかと思います。
ですが、天武天皇についてちょっと深く調べてみると、うーむ、
すごい人だったんだなと改めて唸らされる事実がいろいろ出てくるんです。

まず、天武天皇は道教的な知識に精通していました。
そのことは『日本書紀』にくり返し出てきます。「道教的な知識」と書くと、
仙人などが出てくる世界を思い浮かべられる方が多いでしょうが、
天文学や易学なども含まれる、この当時の最先端科学の
ようなものだったんです。

天武天皇というのは後世の諡(おくりな)であり、本名(和風諡号)は
「天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)」です。
ここに出てくる「瀛」は道教における東方三神山の一つ瀛州(えいしゅう)
のことで、「真人(しんじん)」は優れた道士に冠せられる言葉です。
つまり、名前自体がひじょうに道教的な響きを持ってるんです。

飛鳥浄御原の都


天武天皇は684年、八色の姓(やくさのかばね)という氏姓制度を定めましたが、
その第一位にくるのがやはり「真人(まひと)」です。
『日本書紀』の天武紀の冒頭には、「能天文遁甲」という文が出てきます。
これは「天文と遁甲に精通していた」という意味で、
遁甲は、中国的な一種の占いのことです。

また『日本書紀』には、壬申の乱の最中、ゆくてに暗雲が垂れ込めると、
「則舉燭親秉式占曰」天武天皇みずからが式盤をとって、
戦いの吉凶を占ったことになっています。
式盤とは、下図のような占術のための用具です。

自分は占星術師ですので、ホロスコープというものを使いますが、
式盤の用途はこのホロスコープと似ています。
さらに、日本で初めての占星台をつくったという記述も出てきます。
天武天皇は、われわれ占星術師の大先輩と言っていいかもしれません。

式盤とホロスコープ
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「天皇」という称号についても、天武朝で初めて用いられたとする
学説が有力ですが、これは中国の「皇帝」を意識した道教的な言葉なんです。
道教では、「天皇大帝」という神があり、

天の北極(北辰)を神格化したものですが、日本の「天皇」

という称号の起源の有力な候補の一つと考えられています。

上の式盤の画像の中央部分に北斗七星(天の北極)が描かれていて、
自分は、天皇の称号はここから来たものではないかと思います。
さて、このように天武天皇は道教を学んだ当時の最先端知識人だったんですが、
天武天皇のすごいのは、それ以外の宗教、仏教と神道についても
手厚く保護しているところなんですね。

道教の「天皇大帝」


神道について。前にも書きましたが、天照大神という神をつくり出したのは
天武天皇であるという説があります。これは現状では定説であるとは
言い難いですが、自分はかなり有力であると考えています。少なくとも、
伊勢神宮を五十鈴川沿いの現在地に建て、娘の大来皇女を
斎王として送り、式年遷宮を始めたことは確実視されています。

それまで、各豪族がばらばらに行っていた神道的な祭祀を、
天照大神を中心とした国家的な祭祀に引き上げたのが天武天皇なんですね。
『日本書紀』の編纂により、天照大神の子孫が天皇家であることを
周知させるとともに、それを中心として神々の体系を整理し、
各地の神を祀る祭儀を朝廷公式の儀礼の中に取り込んでいったんです。

天武天皇は娘を伊勢斎宮とした
キャプチャ

さらに、天武天皇は仏教も保護・奨励しました。書写の事業を推進し、
685年には、「家ごとに仏舎を作って礼拝供養せよ」という詔を下し、
これにより全国各地に寺院が建てられていきました。
奈良の薬師寺は、天武天皇が創立者となっています。

仏教を管理し、「国家仏教」として、国家と天皇家のために
祈らせようとした強い意図が、その政策から読みとることができます。
この考え方は天武朝以後も続いて、聖武天皇による
奈良の大仏建立へとつながっていくわけですね。

世界遺産 奈良の薬師寺


さてさて、道教、神道、仏教、この3つを並立して庇護・普及した
天武天皇のねらいは、宗教を通じて、日本の霊的な支配を確立させよう
とすることであったと自分は考えます。天武天皇は、701年に制定された
「大宝律令」の前身と考えられる「飛鳥浄御原令(現存していない)」
を定めましたが、国家を治めるにあたって、

法律による支配だけでは限界があることを知っていたんだと思います。

まずは内面の統治が必要。それがないと我欲だけになってしまいます。
小難しい内容になってしまって申しわけないですが、
このような面から、自分は天武天皇を日本の霊的指導者として
有数の巨人であったと考えているんです。